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伊藤甲子太郎(イトウカシタロウ)


新撰組参謀

1835年−1867年12月13日


*生まれ&新撰組
常陸志筑ヒダチシズク藩士、鈴木専右衛門忠明の長男として生まれ、イミナ武明タケアキであった。
長男であったため伊東は家督カトクは相続したが、後に父の借財が知られ追放される。
その後、伊東は水戸で水戸学と国学を学び、さらに神道無念流シントウムネンリュウの剣術を学んだ。
江戸にて北辰一刀流の伊東誠一朗の名跡を継ぎ、名を「伊東大蔵」と変えた。
一道場の平凡な道場主であったが、同門の新撰組八番隊隊長藤堂平助トウドウヒヘイスケの誘いで新撰組に入隊。
そして名を「伊東甲子太郎」とした。
伊東は新撰組において参謀という重役についたが、新撰組の方針に疑問を感じた彼は、隊内に一大派閥を作り上げ藤堂らを連れ新撰組を離れた。



*最後
新撰組を離れた伊東は公明天皇御陵衛士ゴリョウエジを拝命して、正式に新撰組を離れた。
これを近藤らが許すはずもなく、1876年近藤はメカケ宅に伊東を呼び酔わせて、油小路の本光寺門前にて大石鍬次郎オオイシクワジロウら数名により暗殺した。
享年は32歳だった。


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