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藤堂平助トウドウヘイスケ


新撰組八番隊隊長

1844年−1867年12月13日



*生まれ&新撰組
生まれは武蔵国江戸であり、イミナ宜虎タカトラといった。
彼には、伊勢津イセヅ藩主、藤堂和泉守高猷トウドウイズミノカミタカユキ落胤ラクインという噂がある。
剣は北辰一刀流ホクシンイットウリュウを学び目録を得たに過ぎないが、その剣はかなりのもので、沖田、永倉、斉藤と共に近藤の四天王ともいわれた。
ちなみに近藤とは試衛館シエイカンからの付き合いであった。
新撰組では常に戦陣を切っており「サキガケ隊長」とも呼ばれていた。
池田屋事件においては刀の刃切れがさらさらになるまで奮闘するが、敵に眉間を切られて戦線を離脱している。



*最後
新撰組の隊士募集に江戸にくだり、同門の伊東一党を加入させることに成功する。
これが藤堂の人生を大きく変え、新撰組の方針に疑問を抱いていた藤堂は、伊藤甲子太郎イトウカシタロウと共に御陵衛士ゴリョウエジを結成すべく試衛館メンバーの中で唯一新選組を離脱。
しかし1867年の油小路事件にて伊東が暗殺されると、新撰組は伊東の遺体引き上げに罠と知りつつ油小路へ出向き、待ち伏せしていた土方一派と争闘し、切られる。
享年は29歳であった。


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