山南敬助
新撰組総長(副局長)
1833年〜1865年3月20日
*生まれ&新撰組
1833年、
陸奥仙台藩剣術指南の家に生まれる。
小野派一刀流の
免許皆伝で、後に
北辰一刀流でも免許皆伝を成すほどの剣の腕前の持ち主である。
仙台藩を脱藩し、江戸にて剣を学んでいるときに、
試衛館の近藤に他流試合を挑み敗れ、近藤の人柄や腕前に感服し試衛館の
食客となった。
新撰組においては、新撰組副長、総長などの要職を務めあげる。
*最後
一見順調に見える山南の人生であるが、副長であるのに戦いに参加しないことや、同じ副長である土方とはそりが合わず新撰組内での立場は良いものではなかった。
そしてついに1865年新撰組を脱走。
近江大津まで逃れるが、馬で追いかけてきた沖田に見つけられ屯所に引き戻され
局中法度により切腹を申しつけられる。
伊東や永倉が再度逃げるように進めたが、山南は潔く切腹。
この時の
介錯は彼が弟のようにかわいがっていた沖田であった。
享年は33歳。
とても温厚で優しい剣客であったという。