第3章

タイムマシンとパラドックス

タイムマシンとパラドックス
因果律哲学で、すべての事象は、必ずある原因によって起こり、原因なしには何ごとも起こらないという原理。 をどう解決するか タイムトラベル実現の際に発生するパラドックス正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉。 の解決法 物理学は因果律を前提に出来上がっている。
時間の順序が運動方程式の基本であるだから過去に戻るとなると、色々論理的な矛盾が生じる可能性がある。
一番の大きな問題は「親殺しのパラドックス」である。
ワームホール時空構造の位相幾何学として考えうる構造の一つで、時空のある一点から別の離れた一点へと直結する空間領域でトンネルのような抜け道である。型タイムマシンを発表したソーンアメリカ合衆国の理論物理学者。もこの問題の存在を知っており、殺人のような自由意志の入り込むような議論にならないように慎重な態度をとった。 すなわち、論文では人間がタイムマシンを通り抜ける例だけを考えた。
 しかしそれでも、電磁波がワームホールを何回も通過することで増幅し、やがてワームホール自体を破壊することはないのか、という問題が発生する。
たとえばマイクで音声を増幅してスピーカーで流しているとき、誤ってマイクをスピーカーに向けると自分の音を何回も拾うことになって大きな音を出す。
ハウリング音に関する現象のひとつ。とかフィードバックと呼ばれる現象で、時にはスピーカーを破損させることもある。
ソーンは、ワームホールで過去に戻ることができるのなら、電磁波もハウリングを起こすのではないか、と心配した。
 計算の結果、その可能性はないことがわかった。
負のエネルギーで支えられているワームホールでは、電磁波も出口で拡散するので増幅するほど重ならなかったのである。
 そこでソーンは論文に「解決不能なパラドックスはないだろう」と自信を持って記述した。 四次元ビリヤード問題 「親殺しのパラドックス」の変形版として、「ビリヤード球の軌跡問題」がポルチンスキーによって提案された。
「ワームホール型タイムマシンの入り口と出口がビリヤード台上にある。入り口に入った球が時間を逆に進んで出口から飛び出し、その球が以前の地震を跳ね飛ばすような場合、結局その球は子過去に戻れないのではないか」この問題には自由意志がはいらないので、純粋に物理の問題である。
簡単に言えば、過去に戻ることの矛盾を指摘したものだが、この状況でも矛盾なく説明できる方法をソーンはノビコフらとともに数ヶ月に考え出した。トリックは次のようである。「球はタイムマシンの入り口に入る前に、すでに出口から出てきた玉とぶつかって軌道を変え、タイムマシンに入るのだ。」 自身が跳ね飛ばされたタイムマシンの入り口に到達できないようならば親殺しのパラドックスと同じように矛盾が生じるが、すでにタイムマシンを通り抜けてきている球の影響を含めて運動が決まっていたので大丈夫、という考えだ。そして、そのようなビリヤード球の解をいくつか出した。 つまり、未来からの影響を含めて因果関係が自己無矛盾なループになっていれば問題ない。という解決方法である。実際にそのような解が存在するので、現実も大丈夫だろう、というのが、の事故不の自己無矛盾仮説である。


同時のパラドックス
〜同時に着くはずではなかったの?〜
織姫と彦星が天の川を渡って一年に一度7月7日に会う七夕の話は誰でも知っているだろう。
ある観測者にとって織姫や彦星は天の川のとある地点で同時に出会うが、観測者によって織姫や彦星の体験が変わるはずがない。
ところが、次のような例を考えてみると、特殊相対性理論はそのありえないことを予言するようにみえる。
織姫と彦星はお互いの中間地点に光速度で会いにいくとしよう。
中間地点にたってるAにとって2人は同時に出発して同時に出会う。


ガレージのパラドックス 〜車は出るの、入るの?〜
最初にローレンツ収縮マイケルソン=モーリーの実験の結果を説明するためローレンツが立てた仮説。にまつわるパラドックスとして、ガレージのパラドックスを取り上げてみる。
あなたが車を運転していてガレージに車をいれることを考えてみてください。
実際にガレージに入れるときはブレーキを踏み、速度をゆるめて止まる訳だが、ここでは一定の速度のままでガレージに入れるとする。
するとガレージの後面に激突してしまうので後面の壁はないものとする。
車の長さとガレージの長さは同じとする。地上にたって車が入ってくるのを見る人にとって、走っている車はローレンツ収縮によって長さが縮まるので、車はガレージの中にすっぽり納まる。
ところが車を運転しているあなたからしてみるとガレージの方が縮んでみえるので車はガレージからはみ出してしまう。
さて、どちらが正しいのだろうか。
実はこれはどちらも正しくしかも矛盾ではない。
地上の人にとって車の後端がちょうどガレージの前面を通過した時刻(事象A)での車の先端(事象B)はまだガレージの中にいる。
これは正しい。
しかしこの2つの事象は運転しているあなたの時計では同時ではないのである。
あなたにとって車の後端がガレージの前面がガレージの前面を通過した時刻(事象A)と同時なのはBではなく、車の先端がガレージの後面を越えた位置(事象C)なのである。
パラドックスと思うのは事象Bと事象Cを同じと思ってしまうからである。
それらは違う事象なので、違う結論を出すのは当たり前なのである。
では、Aにたいして織姫から彦星の方に等速直線運動している観測者Bからみたらどうだろう。
Bからみると、出会う中間地点は織姫のほうに近づき、彦星から遠ざかっている。
したがってBにとっては織姫と中間地点までの距離は、彦星と中間地点までの距離は短くなるはずだ。
すると光速度光が伝播する速さのこと は一定であるからBにとっては織姫のほうが中間地点に先に着き、彦星はその後に着くことになる。
これは明らかにパラドックスである。
もちろんBにとっても織姫と彦星は同時に中間地点に着くはずである。
いったい何がおかしいのだろう。
同時が問題となるのは、離れた2点で起こる出来事であった。
この問題では、観測者Aにとって織姫と彦星は同時出発したが、観測者Bにとってその2つの事象(織姫の出発と彦星の出発)は同時ではないのである。
Bにとって彦星が先に出発に出発して、その後から織姫が出発したのである。
こうしてどの観測者にとっても、めでたく織姫と彦星は同時に出会うことになる。

章選択へ HOMEへ