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今昔岸和田城3D比較

このページでは現在の岸和田城と昔の岸和田城の天守閣を、実際に作成した3Dモデルを用いて比較します。
内部構造や建築材料の違いももちろんありますが、ここでは3Dモデルからわかることを中心に説明します。
(以下「岸和田城」とは岸和田城の天守閣を指します)

現在の岸和田城の3Dモデル

旧岸和田城の3Dモデルの作成後、そのノウハウを活かして今の岸和田城のモデルを作りなおしました。
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細部までの完成度は旧岸和田城のものに劣りますが今の岸和田城の大まかな形や大きさは再現しています。
(右の画像は今の岸和田城)

2つのモデルを並べる

作成した新旧二つの岸和田城を並べてみます(右が新、左が旧)
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城の高さと層の数

二つの城を並べてまず目に付くのは高さの違いでしょう。
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今の岸和田城は高さが約22mであるのに対して、昔の岸和田城は高さが約32.4m (18間、1間=1.8mとして計算) あります。
つまり昔の岸和田城は今よりも10mも高く聳え立っていたようです。
また、昔の岸和田城の最上階が今の岸和田城の屋根より同じかそれ以上の高さにあり、
そこからは岸和田の様子が今よりももっと遠くまで見渡すことができたでしょう。
城の高さの違いは層の数から来るもので、今は3層の天守、昔は5層の天守です。(層=屋根の数)

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↑今の岸和田城から見える岸和田高校。もし昔の岸和田城ならばもっと高いところから高校を眺めることができる。

城の大きさと天守台

城の高さは異なりますが横幅、縦幅はどうでしょうか。
二つの城を下から見てみます。
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天守は石や土によって作られる「天守台」という石垣の上に作られます。
今回の3Dモデルには含まれていませんが、天守台は天守の横幅を決定し3Dモデルを作るうえで重要なものです。
実は、岸和田城は昔のままの石垣が残っていて、天守台は今も昔も同じものです。(一部の石垣は補修されています)
よって天守の最下層の横幅は新旧でほとんど同じです。
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↑天守台。1827年に天守は落雷によって消失したが、天守台は残り続け今日の岸和田城を支えている。

城を飾る破風(ハフ)

日本のお城のほとんどは「破風」と呼ばれるものがあります。
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↑の図の赤い丸で囲まれたものが「破風」です。
破風にはいろいろな種類がありますが破風の中でもよく使われるものが「千鳥破風」と呼ばれるものです。
「千鳥破風」は屋根の上に見られる三角形をしたもので、資料から昔の岸和田城にいくつかの千鳥破風があったと考えられます。
また、今の岸和田城には千鳥破風のほかに「唐破風」や、千鳥破風が二つ並んだ「比翼千鳥破風」が見られますが、
今回私たちは調べた資料から昔の岸和田城にはなかったとしました。
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↑唐破風と比翼千鳥破風。これらと思えるものが書かれている絵もいくつか存在した。改装によって後に取り付けられたとも考えられる。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
岸和田城再建プロジェクトクリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際 ライセンスの下で提供されています。