1997年8月31日、ダイアナ元皇太子妃はパリで交通事故に遭い、死去されました。36歳の若さでした。

「We love you ,Diana!」と、多くの市民がケンジントン宮殿やバッキンガム宮殿に弔問に訪れ、弔花を捧げ

また9月6日ウェストミンスター寺院で行われた葬儀には、

生前に交流のあった慈善団体のメンバー約550人が参列しました。

世界的なポップス歌手エルトン・ジョンが、哀感をこめて「さようなら英国の薔薇」

と歌いはじめた時、それまで気丈にも涙を押さえていたウィリアム王子とヘンリー王子は

遂に泣き出したと伝えられています。

寺院や宮殿を取り巻き、沿道を埋め尽くした数百万と伝えられる国民も涙しました。

国民的英雄であったチャーチル元首相の「国葬」の人出が約70万人であったといいますから、

ダイアナ元皇太子妃がいかに国民に愛されていたか、その死が惜しまれたかよく分かります。


なぜダイアナさんがこのように人気があったのでしょうか。

私生活では離婚やいくつかの不倫もありましたが、国民はそのような事実よりも、

なぜ彼女が離婚に追いつめられたのか、どうして不倫をしなければならなかったのか

その背景を良く理解し、同じ人間として喜怒哀楽の情を共有していたのでしょう。

彼女が「心の女王」になりたいと努力し、多くの国民が「心の女王」と慕っていたことには驚きました。



 彼女は理知的というより情の人でした。

 極めて感受性が高く、かつ素直に行動していたと思います。

 政治的な配慮よりも、社会的弱者に人間的愛情を惜しみなく注ぎ、

 その救済に積極的に行動していました。

 世界の人々は、彼女の心と行動が「本物」であったことを認識していましたから、

 私生活で一人の人間として異性の愛を求める行動をとっても、

 さほど問題にしなかったのでしょう。それほど彼女の弱者への愛は大きかったのです。



 「トニー・ブレアが基調を作った。しかしこの急速な展開をしたのは民衆だった」(インディペンデント紙)

 と報じられているように、ブレア首相と英国民は、英王室とマスコミに対し、

 大人の意思表示と行動をとったように思います。

 特にブレア首相の的確な判断とチャールズ皇太子への助言に注目します。



 それにしても、我々が平素日本のマスコミから得ているダイアナさんの虚像と、

 亡くなられた後に知った実像に、大きな乖離があったことに、愕然としています。

 ワイドショーで騒がれる男女問題ばかりを先入観として、彼女の“像”をつくってしまった人も多いはずです。

 日本国民の何人が、エイズ患者と握手し激励するダイアナさんや、

 地雷除去作業の現場を訪れ、病院で対人地雷の犠牲になった子供や女性などを慰め、

 積極的に地雷の根絶に立ち上がっているダイアナさんを知っていたでしょうか。

 多くは彼女の死後、彼女の『記録』として目にしたことだと思います。

 インドではマザー・テレサと親しく手を携えて、弱者救済を支援していました。

 偶然でしょうか、葬儀前日の9月5日、マザー・テレサも逝去されました。

 世界の人々は、マザー・テレサと同様にダイアナ元皇太子妃を、

 行動する「心の女王」として見ていたのでした。

 日本のマスコミの報道姿勢と、日本国民の興味のレベルについて

 考えさせられた出来事でもありました。



 10月10日、ノルウェーのノーベル賞委員会は、今年のノーベル平和賞を、

 対人地雷全面禁止条約の実現に向けて国際世論を盛り上げ、政府間会議の原動力になった

 「地雷禁止国際キャンペーン」(ICBL)と、

 その世話人ジョディ・ウィリアムズさんに贈る、と発表されました。

 政治的な動きではなく、純粋に人道的な観点から地雷禁止を訴えていたダイアナさんへの、

 何よりの供養になるでしょう。

 この機会に、「対人地雷全面禁止条約」が、早急に締結されるよう願っています。



 ダイアナさんやマザー・テレサなき後、世界の弱者救済に、

 誰が象徴的なリーダーシップをとるのでしょうか。

 日本政府が「対人地雷全面禁止条約」の署名を渋るのは、国際世論に逆行することになります。

 10月15日の新聞では、政府は署名する方針を固めたとのことで、それについてはよかったと思います。

 わたしたちは忘れてはならないのです。

 なぜ彼女が死ななければならなかったのか、ではなく、

 これからのわたしたちが、彼女の意思をつないでいかなければならない、ということを。

 ・・・皆さんはダイアナ元皇太子妃のご葬儀とその背景を、どう受け止められましたか。