岡亨
〜運命的な出会い〜

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コーチとしての役割
自己紹介
1999年
2000年
2001年
英語版
子供用

【コーチとしての役割】 制作記録 岡亨編

自己紹介
名前:岡亨(おか とおる) 
職業:教師
所属:小豆島,土庄町立大鐸小学校,土庄中学校兼務(2001年03月12日現在)
好きなこと:子供と遊ぶこと
特技:子供とすぐ仲良くなれること
免許・資格:小学校専修免許・中学・高校専修免許(国語)養護学校1種
図書館司書・学校図書館司書教諭
その他:小中連携教員(過去3年間)
一言:本当にいいメンバーに恵まれてうれしい。何か青春が戻ってきたようで,わくわくします。これで,小中高と制覇したような気持ちです。どこでも,いけるぞ!子供と話ができない大人がいるなんて信じられな い。子ども達と一緒に成長していくことは教師にとって一番の喜びです。若さを貰っています。コーチというより仲間のような存在です,私は。インターネットとともに進化しています。

  1999年 
運命の序曲
 県の教育委員会の情報担当の方から学校宛に1通のメールが舞い込む。
こんなコンテストがありますとのメール。そこで「シンククウェストコンテスト」というコンテストがあることをはじめて知る。教育委員会から直接メールが届くのだから正統派のコンテストだろうと思い,HPを見る。そして,「自分もチームを組んで,創造的な世界に入りたい」と思う。「また,よい勉強にもなる」と思った。

そこで,登録されている方の中で,自分が関心のある方に一緒にチームを組んでいただけるようお願いした。自分も登録した。〔大学生・社会人部門〕にしかし,私が,興味を持ったテーマの方は,残念ながら,もうすでにチームを組んでいるとの答え。時期はすでに遅し。結局,この年は,作品を作るどころか、チームも組めない。しかし,チームを組んで,作品は作れなかったものの交流はしていただく。

 それが,昨年度社会人部門で最優秀を見事獲得した「リーディングチュ
ウ太」。私は,ワンポイントアドバイスの「チュウ太が動くとかわいいな」−そ
の一言をとりあげていただいた。このアドバイスが,コーチとして今後,活躍をす
ることを予見していたのではないかと今振り返ると思ってしまう。

2000年 
出会い、そして...

 「リーディングチュウ太」との交流はじまる。3年間,小中連携教員で中学校で
も選択教科国語を教えている関係で新しい試みを模索していた。そんなとき,突然「ウィーンで客員教授になることになりました」とのメール。よい実践ができるぞとの予感。そうこうしているうちに,ウィーン 大学の学生さん達との交流がはじまった。意見文「私の夢」を中学生が書き,それに対してお返事をいただいたり,ディスカッションしていただいたりして,交流をしていただいた。また,小学生の「私の夢」に対しても交流をしていただいた。その私とチュウ太の交流の様子は「チュウ太のウィーン日記」に詳しい。この時も,ウィーンと小豆島のメールによる共同授業をコーディネートしていくコーチの腕が磨かれたように思ってしまう。

 その間,奇妙なメールが舞い込んできた。はっきりとは,わからないが,「コン
テンツ」を重視するというものであった。メールが迷い込んできた理由はわからなかったが,とりあえず,返事を書いてみた。「どういうご用件ですか?」という感じで。「もしかして,メンバーをお探しですか?」

 私は,本当は社会人と今年こそはチームを組みたいと考えていたのだが,メールしていくうちに,この学生とチームが組めるのではないかとかなりの期待が生まれた。変な話,「テーマやコンテンツにはこだわるが,学生であろうと社会人であろうとそれは,かまわない。新しいものを作っていこうという意欲が一番だ」と思っていた。この「コンテンツ」という言葉を私も重視していたし,私もチームを組みたい,彼もチームを組みたいということで意見があい,チームを組むこととなった。つまりは,〔中学生・高校生の部〕でのコーチ岡亨の誕生である。

 そして,コンテストに出すHPについて,2人で練っていった。ただし,メンバー
は,私というコーチ1名,そして,松尾君。学生があと1人必要であるということで,チームの仲間を探すことにした。この時はあと1人は,すぐ見つかると確信していた。しかし,いくら見つけようとしても見つからない。なかなか教育に関
心のある学生は少ないようだ。メールを出してもよい返事が返ってこない。他のチームは,学校単位とかで構成されているようだ。しかし,私達のチームは,NET上でメンバーを探すということにこだわった。そして,私達の考えとして,地方からの創造・改革を基本においた。コーチ岡とチームリーダ松尾との息はぴったりあっている。

 しかし,あと1人が,なかなかみつからない。登録の日間近。あと1人いないと,参加さえできない。そこで,あと1人は,知り合いに当たろうということで,まずは,松尾君の友達の森谷君にするが,その森谷君からもなかなかよいお返事がこない。「まずい!」明日は登録。

 夜,携帯がなる。松尾君から電話による初めての連絡。「状況が悪いです。チームが組めないかも知れないです。まずいです。明日が〆切です」そこで,私は,急遽,親戚であり,私の選択教科国語のかっての教え子であった西崎さんのところへ、夜空のもと,パソコンを担いで訪問。まずは,西崎さんのお父さんに説明。そして,西崎さんに。オケーがでる。「ホッ」・・・。松尾君に連絡。「実は森谷君もオケーでました」「えっ!何それ!でもいいわ」ということで,急にメンバーが2人増えた。そして,リームリーダ松尾君,チームを登録する。チーム組むのが本当に難しい・・・そのような体験をした。やっとチーム完成。コーチ岡亨は,この時,正式に誕生した。チームとしての理念を,「地方からの発信」というスローガンにして。

 小学生の教師として中学生の教師として,子ども達とともにいろいろなものを共に創造してきた。そして,今回,NET上で新しい教育をテーマにして,高校生とHPを創造していくこととなった。そして,大学生や社会人も巻き込んで・・・。NET上,その手法自体が新しい,きっとこれから始まる21世紀型教育に役立つはずであると確信する。この体験自体が大きな教育である。

2001年
ホームページ作成の終わり 次への始まり
 メンバーは組んだ。TQテキスト部分は,ちゃくちゃくと進んでいく。チームリー
ダー松尾君と毎日何回もメールで構成や内容などの確認,アドバイスをする。
ただし,森谷君,西崎さんには,あの段階では,チームが成立するために「名前をおかりするだけで」ということでメンバーに入ってもらったので,制作には参加していない。が,そこで,動きが生まれた。

 森谷君から「松尾君,君のは難しすぎないか。小学生にでも分かるHPではないのかな?」その通り。コーチ岡は納得。そうこうしているうちに,「そうだ,要約を作ろう」というアイディアが生まれた。「内容は中高校生,大学生向け,しかし,小学生にも分かる部分を入れていこう」ということになった。要約の担当は,森谷君となった。

 また,私から「画像は?」との質問に松尾君,森谷君,まったくだめとの答え。「えっ!そんな!」そこで,西崎さんが登場する。(正直,この時思ったメンバーに入ってもらっていてよかった)画像の担当は,西崎さんとなった。結局,すべてが運命的な出会いであり,このメンバーでないと「プロジェクトE」は完成しなかっただろう。

 そして,いろいろな方にお世話になった。チームリーダ松尾君の「このHPを幅広くみてもらえるためには,どうすればいいだろうか?」という疑問から発して,「そうだ!英語はもちろんのこと,中国語を組み込んでみよう」ということになった。コーチ岡は,無条件でこの提案に賛成した。しかし,この提案を実現するためには大きな困難が待ち受けていた。「誰に訳してもらう?」チームリーダ松尾君の父親,山形大学教授の関係から中国人留学生をあたろう。これもいない。困っているところに,コーチ岡の娘茉莉子(小学生)のメル友に(V6関係)台湾の大学生がいることがわかる。「おっ!とりあえず,お願いしてもらってよ」ということで中国語の訳を頼んだ。そして,大事なところの中国語をゲットできた。完成に近づく。

岡はコーチ,松尾はチームリーダでテキスト・構成担当,森谷は,子供向けの要約を担当、西崎は画像担当。それぞれの個性を生かして,一つの作品を仕上げていった。

 困難がくるたびに,コーチ岡は,「プロジェクトE」の生みの親「プロジェクトx」の主題歌,「地上の星」をかけ,意識を鼓舞してきた。その意識がチームメンバーに伝わったのか,それぞれが,本当にやる気を持ち,作品を完成させていった。最後の最後まで心配をかけてくれました。本当に大変苦労して生んだ作品です。かわいがってください。 そして,皆さんの手で大きくそだててやってくださいね。



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