アッシリアの文化
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アッシリアの文化



衣食住・全般
言語

バビロニア=アッシリア文学
アッシリア美術


衣食住・全般

●酒
この頃、欧州にはすでにビールが存在した。初期のビールは、麦を乾燥して粉にし、パンを焼き上げたものを砕いて水を加え、自然に発酵させたものだった。
また、上に浮いた雑物などをさけて、壷の下の澄んだビールを飲むための知恵として、人々はストローでビールを飲んでいたらしい。

●レンズ
ニネベから発見された水晶のレンズ
これは平凸レンズで、太陽熱を集めるためのものだったらしい(視力を助けるためのものではなかった)。

●毒
ニネベの都を築いたアッシリア王ニヌスは、その妻女王セミラミスに毒殺された、という伝説が残っている。この事件は伝説に残っている最古の毒殺事件と言われている。紀元前2世紀の出来事であるから、最古であってもなんら不思議はない。
セミラミスはバビロンの「架空庭園」を造営した贅沢好きな、男勝りの女王である。
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言語

アッシリアで主に使用していたのは、アッシリア語だった。
アッシリア語は、アッカド語の2大方言の1つ(ちなみにもう1つはバビロニア語)。主に北メソポタミアで用いられた。
アッカド語は最古のセム語であり、現在最もよく理解されているセム語。表記にはシュメール語が、通常表音語として用いられる。一部は表意語のものもある。
アッシリア語は古アッシリア語中期アッシリア語新アッシリア語に分けられる。それぞれの使用時期・代表的出土場所は下の通り。
使用時期 代表的出土場所
古アッシリア語 前19世紀頃 カッパドキアのアッシリア商人植民地跡
(カッパドキア文書)
中期アッシリア語 前1500〜前1000頃 アッシュール
(「アッシリア法」)
新アッシリア語 前1000〜前625頃 (アッシリア隆盛期の書簡、経済文書)
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アッシリアは、太陰暦を採用していた。
太陰暦とは、朔望を基準として日数を区切る暦の事である。
毎年、くじやさいころで最高官を決め、その人物の名をその年の名(年号)としていたようだ。
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バビロニア=アッシリア文学

アッカド語 (古代アッシリアおよびバビロニアの言語) で書かれた文学のこと。
アッカド語:書き記されたセム系言語の最古のもの。比較言語学上重要な意味をもつ。
書法:史上最古の書き言葉であるシュメール語より借用。
王碑文(「〜を建立」など)、年代記(王の年ごとの遠征の記録)、神話、叙事詩、賛歌、知恵文学 (箴言) などのジャンルがあり,文献は前2500年頃までさかのぼることができる。
有名、または重要な作品としては、以下の3つが挙げられる。
・『イシュタルの冥界下降』
 ジャンルは神話。信仰の項で詳しく説明する。
・『エヌマ・エリシュ』
 バビロンの市神マルドゥクがいかにして邪悪なティアマトを討ち、その身体から世界を創造し秩序を定めたかという、要するに創世の物語。
 本当の題はまったく違うのだが、便宜上冒頭の言葉をとってこう呼ぶ。
・『ギルガメシュ叙事詩』
 シュメールの英雄ギルガメシュとその友エンキドゥの冒険物語。シュメール語の短編をいくつか混ぜ合わせ発展させたもの。
 叙事詩の中に、ノアの箱舟(大洪水)の物語に酷似した『ウトナピシュティムの洪水物語』が挿入されている。
 この詩は小アジア方面に伝えられ、聖書やギリシア神話『オデュッセイア』にも影響を与えたとみられている。
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アッシリア美術

アッシリアは軍事・政治で強い力を持っていたが、文化面ではバビロニアには及ばず、どちらかといえばバビロニアに学ぶ立場にあった。特に宗教・文学などでははっきりとその関係が現れているが、美術の面では、アッシリアは前9世紀前後から独自の特色・芸術的な高い水準を持つようになり、特に浮彫などの平面的な美術において優れた遺品をのこした。
●古アッシリア時代●
この頃の美術品は、現在ではほとんど知られていない。見つかっているのは、
・人物彫刻
 スタイルなどが、マリ出土の彫像によく似ている。
・円筒印象
など、ほんのわずかなもののみである。

●中期アッシリア時代●
円筒印象
 文様の意匠には、空想上の動物・神話伝説の登場人物が多く取り上げられている。動きのある、変化に富んだ場面構成やのびやかな表現が特色的。
浮彫
 『トゥクルティニヌルタ1世の祭壇』など、数は少ないがいくつかの作品例がのこっている。
この頃の意匠には、ミタンニなどの近隣諸国の影響がみられる。

●後期アッシリア時代●
この頃になると領土が広がり、美術も華やかになる。
〜カラクに置かれた美術品〜
 ・人面獣身の守護像
  カラクの北西宮殿の主要出入り口に置かれた。アラバスター(大理石の一種)製。
 ・オルトスタト(画像石板)
  同じく、カラクの北西宮殿の、王座室周辺と中庭に置かれた。薄肉浮彫が施されたアラバスター製。浮彫には大きく分けて2つの種類があり、それらは扱われているテーマによって分けられる。
  1つは、アッシュールナシルパル王が近隣諸国を征服するために行った戦闘の様子を描いたもの。主に王座室の壁に、部屋をぐるりと取り囲むように配置された。動きのある場面展開で様々な場面が描かれている。
  もう1つは一転して宗教的な絵柄。緻密で丁寧な細部描写が施されたもので、正装した王、従者、有翼の精霊像、聖樹などが描かれている。
〜アッシュールバニパル宮殿に置かれた浮彫〜
アッシュールバニパル王は、その宮殿に様々な浮彫をのこした。
 ・『ウライ河畔の戦』
  王の遠征の様子を扱ったもの。画面を横長に分け説話風に図柄を展開していく、古くから伝えられてきた形式。
 ・ライオン狩りの浮彫
  王は動物狩りを好み、闘技場でライオンを倒す遊技をしばしば行った。その影響か、宮殿にはライオン狩りを扱った一連の浮彫がのこされている。芸術性が非常に高く、アッシリアの浮彫の頂点とも言える。
・バワラトの宮殿門扉
 青銅製浮彫。
・象牙彫刻小品
 おびただしい数のものが各都市から出土している。最も有名なのは、ニムルドから発見された女性の面、通称『モナ・リザ』だろう。
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