足尾銅山鉱毒事件

1610年 足尾銅山が発見
1877年 足尾銅山が古河市兵衛の経営に
1884年 足尾銅山の生産量が日本一に
1890年 洪水で大きな鉱毒被害が発生
1891年 田中正造が初めて衆議院で鉱毒問題について政府に追求
1896年 大洪水が起こり、鉱毒の被害が広がってしまう
1897年 政府が足尾銅山鉱毒調査委員会を設置
1900年 川俣事件
(第四回押し出しの農民が警官隊によって阻止された事件)
1901年 田中正造が議員を辞職。天皇に直訴を企てる
1907年 谷中村を遊水池にするため、残留農民の家屋に対して
強制破壊がおこなわれた
1913年 田中正造が亡くなった
1958年 鉱石の残りかすの捨て場が決壊
鉱毒問題が再燃
1973年 銅の採掘が中止
1974年 古河鉱業が初めて鉱毒被害を認め、損害賠償を
支払うことに同意する
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