2.イタイイタイ病
イタイイタイ病とは
<こんな病気>
イタイイタイ病、それは実に恐ろしい病気だ。
歩くことも、立つことも、話すことさえできなくなる。
医者が脈拍をとるために腕を持ち上げただけでも、
咳をしただけでも骨折してしまう。
全身72箇所も骨折した患者もいる。
その激しい痛みを、ただ、「イタイ、イタイ」という叫び声にしか表せず、
最後まで苦しんで死んでいく。
火葬された患者の遺骨は、わずかに頭蓋骨(ずがいこつ)の
一部を残すのみで、五体の面影はない。
<イタイイタイ病の歴史>
1905(明治38)年頃から、それまで夾雑物(きょうざつぶつ)として
廃棄していた亜鉛鉱石の採取を開始した。
このように亜鉛鉱の採掘・処理により、
それまで神岡鉱山周辺に限定されていた鉱害が富山県側にも拡大した。
富山県婦負郡南部地方で鉱毒による農業被害が起こり、
1912(大正元)年頃からイタイイタイ病患者が発生した。
<イタイイタイ病は公害病>
イタイイタイ病は公害病だ。
三井金属鉱業叶_岡鉱業所から、長期間にわたり
大量に排出され続けたカドミウムと、その他の重金属などが、
川や土を汚染し、農業・漁業を破壊し、
ついには人間そのものを破壊した。
カドミウムなどによる広大な自然・環境破壊、
その原点をなしているのが、人間そのものの破壊・イタイイタイ病である。
<汚染土壌の復元事業>
カドミウム等の重金属で汚染された土壌を復元することは、
発生源対策と並んで、農業と人体の被害を未然に防止するために、
また農業の生活を確保するためにも、早急に実施する必要があった。
1974年に富山県は神通川左岸約650ヘクタールを
土壌汚染防止法に基づく指定地域としたが、
被害住民はこの地域指定が汚染実態と合致しないとして、
県に補充調査を実施させ、1977年までに神通川右岸も含めて
約1500ヘクタールの面積を指定させた。
しかし、被害住民の度重なる要求にもかかわらず、
富山県は土壌復元事業に着手せず、ようやく1980年から
パイロット(第1次)事業として、約100ヘクタールの復元に着手し、
1984年までかかった。
また、第2次事業の約450ヘクタールは1992年までかかって
やっと完成しました。
こうして、裁判後20年が経過してようやく3分の1の復元事業が
完了したが、第3次計画は残る約950ヘクタールの内、
約550ヘクタールが農地以外に転用され、
約400ヘクタールが1992年から12年かけて行われる計画である。
イタイイタイ病の特徴
・ 腎臓の尿細胞管がカドミウムによって障害を起こして再吸収障害が起こる
・ 骨を形成する成分である、血液中のリンやカルシウムなどが尿中に出てしまう
・ カドミウム暴露量により、腎尿細管障害から骨軟化症へと進行する
・ 骨量も多く骨太の男性よりも、女性に目立つ病気である
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