タイトルバー
TOP >アニメーションとは? >アニメーションの歴史
アニメーションとは? アニメーションの歴史

■世界におけるアニメーションの歴史


映画(映像)技術が発明される前は人間の目の残像効果を利用した、動く絵を作っていくことが盛んでした。
そのなかでもっとも有名だと言われているのが、ジョン・エアトンが発明した鳥かごのアニメです。
丸い紙の表側に鳥の絵、裏側に鳥かごの絵を描き、その紙を高速で回転させると鳥が鳥かごに入っているように目が錯覚を起こします。
これをソーマトロープ(Thaumatrope)と呼びます。
世界

その後、ベルギーのジョセフ・プラトーやウィリアム・ホーナーによる回転のぞき絵などが考えられていき、映像技術がまだ発展していない頃でもかなり高度なアニメーション技術がありました。
フランスのリュミエール兄弟が映画の発明の祖と言われているシネマトグラフを発明してからアニメーションは大きな変化を遂げました。
まず動きのキーポイントとなる絵を描いてから、間の絵を描いていくことを中割りと言います。
この技術は、映画以前にも使われていましたが、映像技術が発展してからも映画でも使われ、その仕組みを使用したアニメーション映画と言われるジャンルが誕生しました。


はじめてできたアニメーション映画は1906年に作られたスチュアート・ブラックトンの「愉快な役面相」という作品です。
その後も映画(映像)技術は大きな発展をつづけて、今私たちが日常生活でよく目にするテレビアニメや、最新のコンピューターグラフィックスを使用した作品などが登場しました。
■日本におけるアニメーションの歴史

日本に初めてアニメーション映画の技術が外国から渡ってきたのは今からおよそ115年前の1896年(明治29年)でした。
1900年に日本人は初めて国産のアニメーション映画「ニッパールの変形」を制作しましたが、実際に上映されたのはその9年後、1909年でした。 その後外国のアニメーション映画に刺激を受け、日本国内の映画会社は皆一斉にアニメーション映画の制作に力をそそぎはじめます。
日本最大級の映画会社として知られる「東映株式会社」は、1956年に「東映アニメーション」(当時は「東映動画」)を発足、日本独自のアニメーション作りに力を注ぎ始め、もとは香港の会社からの持ち込みであった「白蛇伝」というアニメ映画の制作をスタートしました。

1960年代には漫画家兼アニメーターである手塚治虫氏が「虫プロダクション」を設立し、日本では初となる連続テレビアニメシリーズとなる「鉄腕アトム」を始めとした日本海外問わず「アニメの歴史」に名を残す名作を数々生み出しました。

同時期に、当時高校生だった宮崎駿氏は、前述した東映アニメーション制作の「白蛇伝」に感銘を受け、アニメーターへの道を志します。 1963年に東映にアニメーターとして入社した駿氏は、数々のアニメを手がけた後、違う会社を転々とし、「アルプスの少女ハイジ」、「未来少年コナン」、「風の谷のナウシカ」などの日本人なら必ず耳にしたことがあるであろう大ヒットアニメを生み出しました。
駿氏が世界的にも有名なアニメ会社、「スタジオジブリ」を創立するのはその後のこととなります。

近代のアニメーションの歴史は、「機動戦士ガンダム」、「新世紀ヱヴァンゲリヲン」などで大きく塗り変わりました。
現在では「アニメーション」とは子供向けのコンテンツではなく、老若男女、様々な人の持つ様々な需要に応じたコンテンツを提供しています。
日本は他の国よりいっそうアニメーション、映画(映像)技術にこだわり続け、今では世界有数のアニメ大国となっています。

Top | このページの先頭に