いざなみ景気
2001~2009年
いざなみ景気というのは2002年から2008年にかけて景気が回復していた時期を指す言葉だ。1965年から1970年におこった「いざなぎ景気」に対してこう呼ばれているよ。
小泉純一郎(こいずみ じゅんいちろう)(第一次:2001年4月26日~2003年11月19日 第二次:2003年11月19日~2005年9月21日 第三次:2005年9月21日~2006年9月26日 1980日 自民党)
中曽根政権以来となる長期政権で、強烈なカリスマ性と並外れた行動力で様々な改革を行い、良くも悪くも強い印象を残した人だよ。
自民党の支持率急落に対しては派閥による人事はしないと断言し、女性閣僚を五人も登用し、改革のために「自民党をぶっ壊す」といったことから「変人」と呼ばれたんだ。
また「構造改革なくして景気回復はなし」と叫び不良債権の早期処理、特殊法人(NHK(日本放送協会)、JP(日本郵政)などの公共事業を主に行う団体)改革なども打ち出したんだ。
日朝首脳会談に出席するなど長年の懸案だった北朝鮮拉致問題にも取り組み、日朝平壌宣言を出して、五人の拉致被害者の帰国を実現させるなど外交でも高い評価を得たよ。
イラク戦争の際には、周囲の反対を押し切って自衛隊発足以来初となる支援のための海外派遣なども打ち出したんだ。
終戦の日前後に靖国神社を公式に参拝することが、韓国・中国を中心に反感を招いた事もあったんだけど、小泉はそれでも参拝を続けたんだ。
その後も、「現代のうば捨て山」とよばれた「後期高齢者医療制度」を成立させるなど賛否両論あったんだけど、様々な政策をどんどん打ち出したんだ。
また、議員時代から主張し続けていた「郵政民営化」にも取り組み、これに反対する自民党内の造反議員が無所属として戦った総選挙では自民党が大勝出来たんだ。この時に当選した若手議員たちは「小泉チルドレン」と言われているよ。
安倍晋三(あべ しんぞう)(2006年9月26日~2007年9月26日 366日 自民党)
安倍首相は52歳(戦後最年少)での就任、小泉首相と同様の「改革派」として国民から大きな期待が寄せられたんだ。
また、戦後体制からの脱却をはかり、憲法や安全保障、教育分野などで改革を実行しようとする「美しい国作り」を目指したんだ。
だけど、社会保険庁による「消えた年金」問題、閣僚の不祥事、松岡農水省の首つり自殺、久間防衛大臣の「しようがない発言」、柳沢厚労大臣の「女性は子どもを産む機械」発言などの閣僚の失態が相次いだ事で信頼を失っていったんだ……
それに、小泉首相以来の改革で社会や地域の格差が大きくなってしまい、地方自治体の支持を失ったことで2007年の参院選で自民党は大敗してしまったんだ。これが現在の「ねじれ国会」を引き起こしたんだ。
福田康夫(ふくだ やすお)(2007年9月26日~2008年9月24日 365日 自民党)
福田赳夫の息子として初の親子二代での首相となった。
自らの内閣を「背水の陣内閣」となづけ危機感を持つような政治運営をしていくと語っていたんだけど、
人事においては四大派閥のトップを起用すると、「昔の自民党に戻った」と野党から批判されたんだ。
辞任会見の質疑応答における「あなたとは違うんです」発言などで一時話題となったんだ。
結局、第二次内閣でリーマン・ブラザーズの破綻による世界不況の影響をうけて辞任したんだ。
麻生太郎(あそう たろう)(2008年9月24日~2009年9月16日 358日 自民党)
吉田茂の孫。ちなみに、マンガに精通していたことで一部の若者からの熱狂的な支持を集めていたんだよ。
「定額給付金制度」などを始めるなど、様々な改革に取り組んだんだけど、失言や部落差別発言などを連発し自民党に対する国民の信頼を回復することはできなかったんだ。
2009年の衆議院解散・総選挙で民主党への惨敗の責任をとり総辞職して、務めていた自民党総裁も辞任したんだ。
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