<2015.8.1.チーム170236制作>

がごぜ 【元興神】

別 名 がごじ、ぐわごぜ、がんごう、がんご
出没地 ○昔、元興寺(奈良県)の鐘楼に鬼がいて、道場法師という大力の僧に退治せられたことが『霊異記』に記されてある。以後、妖怪のことを「ガゴゼ」あるいはこれと近い音で呼ぶ地域が日本各地に伝わるが、ガゴゼ元興寺説が有力だとされている。(※1)
○道場法師は雷の申し子として誕生し、元興寺の鬼を退治して、後に立派な法師となったということで、後に元興寺では神格化され、「八雷神(やおいかづちのかみ)」とか「元興神(ガゴゼ)」と称して、奇怪な鬼面を伝えている。農耕を助け、鬼を退治し、佛法を興隆した鬼神を象徴しているのだろう。(※2)
容 姿 1791年に刊行された『大和名所図会』の奈良町の項には、「美しい女を鬼ときく物を、元興寺(がごじ)にかまそというは寺の名」と言う狂歌が載せられている。この時代、すでに元興寺そのものは衰退し、境内跡は商工業の町「ならまち」として栄えていたが、幕末に焼失するまで存在していた五重塔はがごぜの棲みかと言われていたようだ。(※3)
出没方法  昔、御所馬場に、松浦という長者が住んでいた。ある夜、一人の賊が忍び込んだが、長者はこれを捕らえ、現在奈良ホテルのある鬼隠山(きおんざん)から谷底へ投げ込んで殺した。その後、賊の霊が鬼と化し、毎夜、元興寺の鐘楼に現れて人を悩ました。
 当時、元興寺には後の道場法師がおり、鐘楼で待ち受けて鬼と激しく格闘し、勝敗のつかないうちに夜が明けてきた。夜が明けてはと、鬼は慌てて鬼隠山の方へ逃げ出した。法師も続いてその跡を追いかけたが、鬼の姿を見失った。その見失った付近を「不審ヶ辻子(ふしんがづし)」という。(※4)
事 例 その昔、元興寺の鐘楼に悪霊の変化である鬼が出て、都の人たちを随分こわがらせたことがある。その頃、尾張国から雷の申し子である大力の童子が入寺し、この鬼の毛髪をはぎとって退治した。(※2)
アクセス
不審ヶ辻子町  (外部のページへ)
原風景


不審ヶ辻子町 <2015.4.26.チーム170236撮影>
考 察 【性格・生まれてきた背景】
 元興寺の「ガゴゼ」には、2つのキャラクターが存在しています。1つは、その昔、元興寺周辺に出没し、闇に隠れ人を啖(くら)うものとされた悪鬼邪気です。こちらのガゴゼは、若干の音を変形させながらも、全国に化け物の代名詞として広がっています。そして、もう1つは、その鬼を退治した道場法師自身が、鬼神として神格化され、やはり「元興神(ガゴゼ)」と呼ばれています。こちらは、元興寺の代名詞にもなっており、そのキャラがお土産グッズにも使われています。しかし、2つの「ガゴゼ」も、今はスクランブルされ、お寺側も明確な区別を主張していないようです。
【現在人との係わり・存在感】
 元興寺の境内には水島石根作の5躯の鬼が存在し、これらの鬼を見つけるのもおもしろいです。また、お土産に、杉本健吉画伯考案の元興神(鬼)と作家の干支を描いた絵馬が販売されています。
参考文献 ※1)柳田國男著『妖怪談義』(1977.4.10.講談社)
※2)元興寺公式ホームページhttp://www.gangoji.or.jp/
※3)月刊大和路『ならら』2015.3月号
※4)編集:奈良県童話聯盟、編纂:高田十郎『大和の傳説』(S8.1.15.大和史跡研究会)