<2015.3.27.チーム170236制作>

 なんじ【ナンジ】

別 名 オオナンジ
出没地 ○「一でクラガイト(大迫)、二でナメキ(下多古)、三でサカナカ(北和田)、四でイツボウ(上多古)」と言って、この4つのナンジが有名で、この順番は格の順らしく、クラガイトとナメキのナンジがよく祟るという。(※1)
○同じ川上村内に、イモヤマ(大迫〜柏木)、神之谷、井光、イワクラ(武木)などのナンジがある。(※2)
○竜門村の大汝神社(大名持神社・吉野町)は、神名ではなく禁忌が守られるためのナンジからきたのかもしれない。(※2)
容 姿 ナンジとは祟りのある場所で、敬遠されている。その祟りを鎮めるために、小祠の置かれる例が多く、そこには弁天の祀られていることが多い。(※2)
出没方法 ○下多古のナメキのナンジには、ホウケントウ(法華経塔)が立っている。昔、その辺に橋があった頃、大勢で坊さんを殺したところで、その祟りのせいか、人が流れてしようがなかったので祀ったという。(※1)
事 例 ○大迫のナンジはクラガイトと呼ばれ、十二社神社の載る尾根の裾近くにあると言われ、ここだけ植林しないで雑木林になっている。(現在の大迫ダムサイト付近)ここは第一級の霊威が伝えられており、昔は、この辺の木を切れば血が出ると言って、付近を切る時は洗米・塩・お神酒などを祀った。近くの焼き畑の火がナンジに燃え移った時は、翌日採ろうとしていた稗が一粒も無くなっていたと言う。昔は、子供でもこの辺で小便をしなかった。(※3)
○この地、通称ナメキという。中世の頃、ここに「ナメキ7軒」と呼ぶ集落あり。うち4軒は下多古へ、3軒は白川渡の地に移り住み、現白川渡を創始したと伝えられる。
古来、この地は難地にて事故事変多く、後南朝事変などの古戦場とも伝わる。また往事ここで、僧侶某が殺されたとも、橋から落ちて死んだとも言われる。こうした諸霊供養のため宝篋印塔が建立されたという。この宝篋印塔の下段に「一字一石」と彫った石のあることから、経文を一字ずつ墨書した小石が出土したことが推量でき一字一石の埋納塚であったとも考えられる。(大滝ダム建設により湖底に水没する宝篋印塔跡を同地区内のここに移設)※4
アクセス
ナメキのナンジ
原風景
クラガイトのナンジ(川上村) <2015.3.1.チーム170236撮影>
ナメキのナンジ(川上村) <2015.3.1.チーム170236撮影>
考 察 【実体・モデル】
 主に川上村に伝わるもので、何かしらの言い伝えと共に祟りのある場所とされていて、化け物が出るというような実態はありません。しかし、クラガイトのナンジでは、大崩落跡が残っており、偶然とは思えませんでした。
【現在人との係わり・存在感】
 ナメキのナンジは、ダム建設工事に伴い国道端に新たに宝篋印塔が祀られています。近くを通った時には、探してみるとおもしろいです。
参考文献 ※1)林宏著『吉野の民俗誌』(S55.3.29.文化出版局)
※2)『奈良県綜合文化調査報告書−吉野川流域』(1954奈良県教育委員会)
※3)奈良県文化財調査報告第十四集『大滝ダム関係地民俗資料緊急調査報告書』(1970.3.奈良県教育委員会)
※4)「宝篋印塔の由来」碑文(国道169号線沿い下多古地区建立)