北海に何が起こったのか?
原因不明の大量死
北海の面積は日本海のおよそ半分。周囲を取り囲むヨーロッパの国々の1億5000万人分の生活廃水が流れ込んでいく海でもある。さらに北海は、一部の工場の排水が処理されずに海へ流されていて、沿岸の国々の浄化槽の役割もしている。しかし、これは結果的に海を有害物質で汚染することになり、アザラシの大量死の原因につながった。 人々には、アザラシの大量死が起こる前に北海が少しずつ変化してきていることが分かっていた。北海沿岸では、どの国も漁業が盛んで、魚は日本と同じように消費されていた。北海は、アザラシの他にカモメや白鳥などの海鳥等、多くの動物が生息する。動物たちの姿は砂浜や岩の上などで見られ、また漁師達は、漁の最中にアザラシが海の上に顔を出しているのを見ることができた。だが、北海の漁場は大量死が起きる20年前から、陰りが見え始めていた。タラやニシンの漁獲量が年々減少し、海域ごとに禁漁期間を設けるまでになったのだ。(特にニシンの漁獲量は70年代に比べると3分の1まで減った。)北海沿岸の漁港も、最盛期は3000箇所余りあったが、今は半分まで減っている。そんな北海に突然、アザラシたちの間で異変が起きた。
1988年4月頃、スウェーデン・デンマーク・西ドイツなどの長い海岸線に、毎日大量のアザラシの死体が流れ着くようになったという報告があった。今までに経験がない、突然の出来事だった。海岸に流れ着いたのは、灰色の体に白い小さな斑点を持つ
ハイイロアザラシである。同年の初夏には、3000頭のアザラシの死体が山のように積まれ、波打ち際では苦しげな咳をしながら息を引き取るハイイロアザラシの光景が広がった。被害は拡大する一方で、科学者の必死の追及にもかかわらず、原因はつかめなかった。北海で、未知の異変がアザラシの間に広がっていた。それまでに魚や海鳥などの大量死はたびたび報告されていて、多くの場合、原因はすぐに解明できていた。例えば、タンカーの事故によって漏れた重油が海鳥の羽についたり、誤って大量の有害物質が海に流れ出して大量死につながったという原因である。これらの被害の範囲は限られていて、事故で重油や有害物質が流出しなければ大量死にはつながらなかったものである。
ところが、北海で起きたアザラシの大量死の場合はまったく違うものだった。
この大量死が起きる前に北海の海は少しずつ変化していたことがわかっていた。しかし、タンカーなどの事故もないのに次々とアザラシが死んでいくことにはっきりとした原因がわからないのであった。この大量死は1988年4月に始まり、1989年2月の末までに、北海全域のアザラシの死亡数は1万7,000を超えている。被害は北海沿岸の8カ国全域に広がり、1年たっても大量死は続いていた。
そしてアザラシの大量死が起きた北海に、何か原因があることは確かだが、くわしいことはわからなかった。それが果たして人間や他の生物に影響があるかどうかさえ、つかめない状況だった。
このアザラシを解剖したところ、アザラシの体の中から多くの細菌やウイルスが見つかっている。さらに肺の中は正常な部分がほとんどない状態で相当ひどい肺炎をわずらっていたことがわかっている。
大量死の中での住民達の働き
流れ着いたアザラシの死体は、周辺地域の住民や自然環境保護団体などの手で1体づつ回収された。スウェーデンでは、沿岸の町の消防隊がアザラシの捜索の任務についていた。これ以上の被害を防ぐだけでなく、できるだけ新しい死体をみつけることも重要な任務になっていた。大量死の原因をつかむために、見つかった死体は研究者によって解剖されたが、大部分は腐敗がひどく、症状を把握するのでさえ困難な状況だったからだ。
スウェーデンの海岸線は、岩盤でできていて、小さな島や入り江が無数にある。陸上からは捜索が難しいため、海上からボートを出して1つ1つ入り江を捜索するしかなかった。中にはゴミや流木の溜まった場所から生まれたばかりのアザラシの死体が見つかったり、岩場に隠れてほとんど原型がわからないほど腐食した死体も見つかった。消防隊員はこれらの死体にビニール袋をかけ淡々と丁重に回収していく。大変な作業だが、同情している暇もなく、北海のいたるところで同じように次々と発見される死体を回収するのであった。