九十一番目の作者
名前:後京極摂政前太政大臣
(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)
生没年:1196年〜1206年
性別:男性
出典:「新古今集」
   経歴:藤原良経、もしくは九条良経といい、父は関白藤原兼実
     です。1195年(建久6年)に内大臣になりましたが、翌年に
     兼実が失脚で籠居してしまいますが、1199年(正治元年)
     左大臣に、1202年(建仁2年年)摂政、その2年後には、太
     政大臣となります。良経は和歌・漢詩のどに秀れていた、と
     いわれています。



九十二番目の作者
名前:二条院讃岐(にじょういんさぬき)
生没年:1141年頃〜1217年頃
性別:女性
出典:「千載集」

   経歴:源頼政の娘で、内讃岐・内宮讃岐ともいわれました。二条
     天皇に仕えていたので、二条院讃岐と呼ばれるようになりま
     した。天皇の没後、藤原重頼と結婚しました。1190年(建久元
     年)頃に、後鳥羽上皇中宮子に仕え晩年は出家しました。新
     古今時代を代表する女流歌人で、後鳥羽・崇徳上皇の歌壇に
     迎えられました。



九十三番目の作者
名前:鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)
生没年:1192年〜1219年
性別:男性
出典:「新勅撰集」

  経歴: 本名は源実朝です。鎌倉幕府3代将軍で、源頼朝の次男
    で、母は、北条政子です。12歳で兄頼家に代わって将軍にな
    りましたが、実権は北条氏に握られました。京文化に憧れ、和
    歌や蹴鞠などをよくしたそうです。また、渡宋と巨船を作らさせ
    ましたが、うまく進水しませんでした。右大臣拝賀の礼で鶴岡八
    幡に参拝しに行った帰りに甥の公暁に殺されました。



九十四番目の作者
名前:参議雅経(さんぎまさつね)
生没年:1170年〜1221年
性別:男性
出典:「新古今集」

  経歴:藤原雅経といい、藤原頼経の子です。父の頼経が源義経と
    関係があったため、伊豆に流されてしまいまいした。また、雅経
    も鎌倉に住んだことがあるといわれています。雅経は、歌を俊成
    について学び、藤原定家と共に「新古今集」の撰者になりました。
    また、蹴鞠も得意で、「飛鳥井流」という流派を開きました。



九十五番目の作者
名前:前大僧正慈円(さきのだいじょうじえん)
年譜:1155年〜1225年
性別:男性
出典:「千載集」

  経歴:天台宗の僧で、関白藤原忠道の子です。10歳の時に父が亡く
    なり、14歳で出家しました。38歳で天台宗の座主に就任しました。
    また、49歳で大僧正になりました。また、兄の藤原兼実の孫道家の
    後見人をつとめました。後鳥羽上皇の倒幕の企てを批判するため
    に著した「愚管抄(ぐかんしょう)」は当時の歴史思想を考える場合に
    不可欠な書です。



九十六番目の作者
名前:入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)
生没年:1171年〜1244年
性別:男性
出典:「新勅撰集」

  経歴:藤原公経(ふじわらきんつね)、もしくは、西園寺公経ともいい、
    父は、藤原実宗です。源頼朝の妹婿の、一条能保(いちじょうよし
    やす)の娘を妻にし、幕府と親密な関係を作りました。後鳥羽院が
    承久の乱を起こした時、幕府に事前に情報を漏らし、幕府方の勝
    利に貢献しました。幕府との強い結びつきを背景に上進し、1222年
    (貞応元年)に太政大臣になりました。琵琶や和歌に秀で、文化人と
    しても活躍しました。



九十七番目の作者
名前:権中納言定家(ごんちゅうなごんていか)
生没年:1171年〜1244年
性別:男性
出典:「新勅撰集」

  経歴:藤原定家といい、この「百人一首」を作った人物です。父は
    藤原俊成で、定家が20歳の時父の教え従って本格的に、詠作
    を始め、九条家に仕えました。しかし、九条家が失脚すると作家
    が息詰まりましたが、新境地を開くことに成功しました。そして、
    後鳥羽院の和歌所寄人になりますが、院の怒りをかってしまい
    閉門させられる羽目になったので(1220年・承久2年)、承久の
    乱には連座しませんでした。そのため、定家の名声はさらに高
    まりました。また、1035年(嘉禎元年)に「新勅撰集」を単独で、
    撰進しました。また、多くの文学作品を残しました。



九十八番目の作者
名前:従二位家隆(じゅうにいいえたか)
生没年:1158年〜1237年
性別:男性
出典:「新勅撰集」

  経歴:藤原家隆のことで父は、藤原光隆の子です。和歌を藤原俊成
    に学びました。藤原定家と共に「新古今集」の撰者となり、歌壇に
    新風を吹き込みました。後鳥羽上皇に信頼され、院が承久の乱で
    隠岐に流されてからも、連絡を絶やしませんでした。晩年まで、旺
    盛な歌を詠み続けました。



九十九番目の作者
名前:後鳥羽院(ごとばいん)
生没年:1180年〜1239年
性別:男性
出典:「続後撰集」

  経歴: 82代の天皇です。5歳で即位、19歳で、外孫の土御門
    天皇に譲位します。土御門・順徳・仲恭の三代にわたって院
    政を行いました。自分の従姉妹を源実朝に嫁がせ、幕府との
    関係を円滑にしようとしました。また、西面の武士を置くなど、
    朝廷の権威を取り戻そうしました。そして、実朝の死後、承久の
    乱を起こしました。しかし、乱は失敗し、隠岐に流され、18年後に
    崩じました。



百番目の作者
名前:順徳院(じゅんとくいん)
生没年:1197年〜1242年
性別:男性
出典:「続後撰集」

  経歴:84代の天皇です。後鳥羽天皇の第3皇子で、15歳で即位し
    25歳で(承久の乱の直前)、息子の仲恭天皇に譲位しました。
    父の後鳥羽院に協力して、幕府打倒計画に加わりました。乱後
    順徳天皇は佐渡に流され、当地で没した。





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