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電話

電話はドイツのライス [Johann Phjlipp Reis](1834〜74)の光駆的な研究を経て、1876年、アメリカのべルとグレー[Elisha Gray](1835〜1901)によりほぼ同時に独立に発明された。しかし結局特許権を獲得したのはべルで、彼は77年から加入電話事業を開始した。以後電話は順調に発展してきた。
電話はべルの発明の翌年に早くも日本にも輸入されて実験が行われた。公衆用としては、1890年東京と横浜で電話交換を開始し、同時に両市間の市外通話も始められた。この時の加入者は東京は155加入、横浜は42加入であった。その後順調に発展し、1940年には加入者数108万に達したが、戦災で電話施設は壊滅に近い状態で使用可能の加人者は54万加入と半減した。52年に従来の宮営から日本電信電話公社に移行した。数次の拡張計画の中で、新しい技術を積極的に導入し、電話機も初期の磁石式から共電式、さらに自動式へと進歩し、現在では全国ほとんどの地域でダイヤルにより即時で相手を呼ぴ出せるようになっている。

電話の機能は電話機、電送路、交換機の三つで構成される。電話機は伝送路を介して交換機につながれ、そこで希望する相手を選択する。交換機には人手による方法と機械による自動接続があり、伝送路には初期の裸線に代わってケーブルが使用され、遠距離の中継には同軸ケーブルやマイクロ波による多重通信が大きな役目をはたしている。

〔電話機〕

電話機には人間の声を電流に変え、また逆に電流の大きさを音に変える送受話の機能と、交換機を呼ぴ出す装置および電話がかかってきたことを知らせる装置が組み合わされていなければならない。べルが発明した電話機は、送・受話器ともに電磁石を利用し、電流の変化で振動板を動かし音声を伝える方式であったが、電流が微弱で遠距離の通話は困難であった。そこで炭素の接触抵抗の変化を利用したエジソンの送話器を経て、ガワーが炭素棒を利用した実用的な送話器を発明し、べル式の受話器と組み合わせてガワー・べル電話機と称され初期に盛んに使われた。その後、炭素棒に代えて炭素の微粒を入れた容器の一面に薄い振動板をおき音声の振動により炭素棒を圧縮する際抵抗の変化に応じて電流の強弱をもたらす現行の形の送話器が開発された。受話器の基本原理はべルの開発したものと同じである。その後、部品の改良、音響技術の発展で通話の音声周波数帯域300〜3400Hzを忠実に再生するものがつくられている。送話器は長い間おもに経済的な理由から炭素粒を利用する方法がもっぱら使われてきたが、近年のIC回路の低価格化によりこれを利用した小型で軽量の電磁型のものも開発されている。

交換機を呼び出すためには、初期の磁石式では付属の発電機のハンドルを回し交換台の表示板を動作させ、また共電式では送・受話器をとりあげることにより電話局にある共同の電源で交換台のランプをつけて、交換手に知らせる方法がとられた。自動式では交換台の代わりに自動交換機に接続し、ダイヤルにより電流を断続して相手を選択する。電話がかかっているのを知らせるには、交換機から16Hzの信号を送り、べルを鳴動させる。プッシュホンと呼ばれる押しボタン式の電話機は、従来の回転ダイヤル式が電流の断続によって信号を送るのに対し、電話機内部に組み込んだ低周波発信機の二つの周波数の組み合わせで信号を送るので、接続後も信号を送ることが可能であることから、コンピューターと接続して簡単な計算などにも利用されている。

その他、プッシュホンを小型化し押しボタン機構を送・受話器と一体化しスピーカー機能を付与したミニプッシュホン、複数の電話機を組み合わせて能率的な使い方のできるビジネスホン、ホームテレホン、音量を大きくしたり緊急メッセージなどを送る機能をもつ難聴者やひとり暮らしの老人のための福祉電話(シルバーホン)、無線を使用して室内を自由に移動できるコードレス電話、自動的にテープ録音の可能な留守番電話など、生活水準の向上や多様化に伴い種々の機能をもつ電話機が数多く開発されている。公衆電話機は交換機からの信号により通話時問、距離に従って自動的に硬貨を収容する機能をもつ電話機である。

〔交換機〕

全国にまたがる数千万に及ぶ電話機の任意のニつを、いつでも直ちに結びつけ良好な品質の通話を提供するためには、これらを結ぴつけるネットワークが必要で、これを電話網という。このネットワークの中心点に位置し、加入者の要求に応じ適切な経路を選んで、相互に接続するのが交換機である。交換機の機能として、1.発信者の確認、2.受信者の受付け、3受信者の選択呼出し、4.相互の接続、5.通話終了後の楼続解除、6.料金算定などの計数確認などが必要である。交換の方法には交換手を介する手動式と機械で行う自動式がある。自動式には大別してステップ・バイ・ステップ方式と共通制御方式がある。日本では関東大震災後の復旧に1926年ステップ・バイ・ステップ方式が採用され、東京京橋局でサービスを始めた。これは名前のとおり、加入者のダイヤルの数に従って十進法の上昇回転スイッチを使って順次相手を選択する方法である。長い間自動交換の主流を占めてきたが、後述のクロスパー方式にとって代わられ、現在では新しく設置されることはなくなった。

共通制御方式は現在の主流となっている方法で、クロスバー方式や電子交換方式がこれにあたる。クロスバースイッチは縦横十文字の接点で構成され、水平と垂直の電磁石の働きで任意に接点を選んでこれを開閉させるスイッチである。ステップ・バイ・ステップ方式ではダイヤルのパルスで順次スイッチを働かせるが、共通制御方式では、いったんダイヤル信号をすベて蓄積したうえで通話回路を作成する。すなわち発信者が受話器をとりあげると、まず、共通の制御回路であるマーカーが動作を始め、どの加入者が発信したかをさがし、次いで空いている蓄積装置(レジスター)を選択し、そこでいったん発信者からのダイヤル信号を記録蓄積し、そのうえで着信加入者を探知する。発信者と着信者を確認すると、マーカーは前記のクロスバースイッチを使用して、相互をつなぐ空線をさがし出して接続する指令を出す。接続が完了すると通話回路だけが接続状態で残り、共通制御回路は復旧し元の状態にもどって次の呼びに備える。ステップ・バイ・ステップ方式では通話回路と制御回路が同じ機械を用いるのに対し、共通制御方式ではこれを分離し、一つの共通制御回路があたかも手動交換方式の交換手の役目をはたしていると思えばよい。クロスバースイッチは小型で摩擦部分が少なく、雑音が小さく障害が起きにくい特色をもち、共通制御方式によって中継線の使用能率,融通性にすぐれているので、第2次世界大戦後日本でも標準機種として採用され、市外通話のダイヤル即時化などに貢献している。

また共通制御回路として電子部品を使用し、コンピューターと同じようにプログラムによって動作する電子交換機が実用化され、1972年東京銀座局でサービスを開始し、以後急速に全国導入がはかられている。クロスバー方式に比ベ、同じ加入者を収容するのに2分の1〜3分の1の局舎面積で可能なこと、新しいサービスの開始、電話番号の変更などはプログラムの修正を行えぱよく、従来のように配線を変更する繁雑さがないこと、障害もきわめて少ないことなど、多くの利点をもっている。

〔電話網と伝送路〕

電話機はケーブルを通して2本の線で電話局と結ばれる(加入者線)。同一の市内局番に属する電話相互はその局の交換機で接続されるが、異なる局番の電話と通話する場合、電話局間は中継線という共用部分で結ばれる。この中継線の数は、少なすぎるといわゆる話し中が多くなり、多すぎると不経済な施設をかかえるので、確率論を用いたトラフィック理論によって、電話局相互で通話の最も忙しい時間帯でどのくらいの回線が必要か計算して定める。電話局の数が少ない場合は相互間をすベて結ぶことも可能である(網形回線網)。しかし電話局の数が多くなるとむだをなくすため、回線をまとめて中継局をおき全体の回線数を整理する(星形回線網)。ネットワークが広がると2重、3重の構造をとり、日本では4重構成で星形回線網に一部網形回線網を組み合わせている。通話の多い区間には直通のルートを作成して通話をさばくが、これらが全部使用されるとそれぞれ上位の局を経由し迂回のルートで紡ばれる。この迂回ルートの選定も交換機によって自動的に行われる。

電話機と電話局を結ぶ加入者線には、直径0.32mmから0.9mmの銅線を10〜3600対にまとめたケーブルを使用する。局の近傍では大束のケーブルを使用し、順次小さなケーブルに分岐する。局相互間を結ぶ中継ケーブルで、距離が長くなると損失を補償するため適当な間隔でインピーダンスを挿入する。これを装荷ケーブルという。装荷ケーブルでは、信号の伝搬速度がおそい、高周波の損失が大きいなどの欠点があり,これに代わって真空管を使用して損失を補い、一つの広送路で多数の通話を運ぴ、中継線の節約をはかる搬送電話(多重通信)が使われるようになった。これを無装荷ケーブルといい、1957年ころまで長距離回線の根幹として活躍したが、現在では同軸ケーブルやマイクロ波無線にとって代わられている。