通俗長編による探偵小説の大衆化


乱歩は「二銭銅貨」以降、優れた短編を次々発表し、世間の評価を高めていった。

その人気は朝日新聞に連載した「一寸法師」によって爆発し、その後休筆をはさんで「陰獣」等の名作を著した。


だが彼は、昭和5年ごろから通俗長編をかくようになる。中島河太郎

 独創性のあるトリックの案出と、浪漫の夢への飽くなき思慕との「一人二役」の荷の重さに精根をからした氏は、しばらく筆を擱いた後驚くべき変貌を遂げ、相次いで通俗長編を産むに至った。
(中略)二十篇になんなんとする長篇は最大の読者層を有する雑誌、新聞に連載されて、圧倒的喝采を博したことは今だ世人の記憶に存するところである。

と述べている。澁澤龍彦は、この事について

 初期の短篇の書かれたわずかの期間のうちに、乱歩の独創や作家的生命は燃焼しつくしたのであり、その後は、単に猟奇趣味やグロテスクやあくどさを拡大して、しばしば作者自身にも不本意な荒唐無稽の筋を追うというだけの、同工異曲の通俗物の方に筆が流れていったのである。
この稀な資質をもった作者にとって、それは惜しむべきことであった。


と書いている。

このように反対する人も多いし、その意見も否めないが、この通俗長篇により探偵小説の読者層は、今までの数少ない、いわゆるマニアから一般市民へと一気に拡大し、現在までの推理小説ブームの礎となっている事もまた、否定できないと思う。

乱歩がそのまま本格物だけを書きつづけていればコナン・ドイルらに匹敵するような秀でた本格物が多く書かれ、日本の本格探偵・推理小説の質は間違いなく向上したと思われるが、今のような推理、もしくはミステリー小説の隆盛も又、あり得なかったであろう。

乱歩の姿勢は、良くも悪しくも日本の探偵・推理小説の方向を決定づけたのだ。