武田信玄はすでになく、息子の勝頼の代になっていた。
天正三(一五七五)年、野山に若葉がもえだすころ、その甲斐の武田勝頼が、三河の長篠まで兵をくりだし、徳川家康と戦を始めた。
「家康を助けねばならぬが、武田の騎馬隊といえば、あしに聞こえたあ猛者ぞろい。さーて、どう立ち向かったものか。」
と思案なげ首の信長に、
「長篠の合戦、それがしにお任せを。」
名乗り出たのが、いうまでもない羽柴筑前守秀吉である。
「さぁ、ものども、敵は長篠じゃ!」
秀吉が率いるのは、鎧かぶともつけず、じんがさをかぶった鉄砲足軽だ。