五月といっても旧暦だから、そのうち梅雨の季節となる。
雨も秀吉に味方して、ついにあたりは一面の湖水にかわった。
その湖水のまんなかに高松城が、ぽつんと何とも言わずに、とりのこされてしまったものだ。
これには高松城主の清水宗治もきもをうたれ、
「おえりゃあせんのう。毛利勢がやってきても、これではわれらと合体もならぬ。」
と視線をさまよわせている。
五月二十日、その毛利勢が、三万の大群をひきいてやってきた。総大将は、まだ若い毛利輝元だ。
それに小早川隆景と吉川元春の、二人の叔父がつきそっている。
隆景は釈迦の峰、元春は不動岳に陣をとり、大切な毛利の後継者である輝元は、高松城から六里も離れた猿掛山にじんをとった。
「やっとやっと毛利軍が来てくれたぞ。心を強くして、ろう城にたえようぞ。」
高松の城兵どもが喜んだ。喜んだのは、秀吉らもおんなじだ。
「やっと毛利軍が来てくれたぞ。これで、援軍をたのむ口実ができたわい。」
というわけで、さっそく使者が安土へはしる。
「われらだけでは、とうてい毛利の大群はあしらいきれませぬ。ただちに援軍を。」
「よし、信長みずから大群を率いてかけつけようぞ。だが、その先発隊として、明智光秀、池田信輝の両人をつかわす。」
と、信長の返答だ。