光秀はいったん勝竜寺城へ引き上げたが、
あすにもこの城がおとされるのは目に見えている。そこで夜になるとこの城を抜け出し、
近江の坂本城をめざした。そのとき二人の武士をしたがえる。
村越三十郎と溝尾勝兵衛である。『ほあん太閤記』という書物によると、光秀は、
坂本城にたどりつく前に落武者の手にかかって死んだ、とある。
小栗栖村の長兵衛という百姓の竹やりにかかって殺されたことになっている。
これが本当なら、あわれな末路としか言いようがない。
山崎の合戦で大勝利をおさめた秀吉がさらに陣をすすめると、三井寺に光秀の首が届けられていた。
小栗栖村の長兵衛が届けたのだ。ところがもうだれの首やらみわけがつかないがいこつだった。
「これが光秀か?まぁよい。たとえ光秀が生きていようとも、二度と天下とりのぶたいへは登場してこれまい。」
秀吉は言って、そのがいこつを京の三条河原にさらした。