天正十九(一五九一)年には関白の位を姉の子の三好秀次にゆずって太閤となった秀吉、 いくら日本中に号令をかけられても、その号令に従わない奴が一人いた。 自分の体内に潜む病魔だった。 推測だが、今日言うところの胃がんか肺がんだったらしい。数年、起き伏しが続いた。
 慶長三(一五九八)年の八月、波乱万丈の生涯を駈け抜けた豊臣秀吉は死んだ。 享年六十二歳。その死を見取ったものは寧寧一人である。
「お寧寧や、わしの女房どのや。秀吉が万一のときは、これを辞世にせよ。」
 まるでへたくそな字でたんざくに書かれた歌に、こうある。



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