ここでは、英国に関する歴史的事件を並べてあります。
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『歴史的事実を並べたものとは言っても、コピーライトについては、
上記参考文献から得た情報であることは明記することが必要です。
筆者自身で獲得したものも含まれますので、本データを転載する場合には
出典を明らかにしておくことが必要とであると考えます。
従って、転載に際してはこの説明文書をこのまま一緒に付随させて下さい。
なお、このデータを転載する場合には、その旨を御一報下さい。』


西暦/月/日,日本の暦/月/日
出来事の説明

となっています。
紀元前〜1499年まで

-2800/**/**,陰暦-2800/**/**
この頃から、イングランド南部のストーンヘンジの建築が始まる。
-055/**/**,(崇神)43/**/**
この年、シーザー(カエサル)が第1回ブリタニア侵冦を行う。
0367/**/**,(仁徳)55/**/**
この年、アイルランド人が大挙してローマ支配下のブリタニアを襲う。
0597/**/**,(推古)5/**/**
この年、アウグスティヌスがケントに上陸する。
0669/**/**,(天智)8/**/**
この年、テオドロスがカンタベリ大司教となる。
0735/05/26,天平7/04/30
ベーダ(Beda,Venerabilis)がノーサンブリア地方ジャローで没。62歳(誕生:0673)。
シャロー修道院の司祭で「イギリス教会史」の著者。
0757/**/**,天平宝字1/**/**
この年、オファがマーシア王国の国王に即位する。
0787/**/**,延暦6/**/**
この年、デーン人が初めてドーセット海岸に来冦する。
0793/06/08,延暦12/04/25
デーン人が、イギリス北海沿岸のリンディスファーン島の修道院を襲う。
0796/07/29,延暦15/06/21
オファ(Offa)没。アングロ・サクソンを統一しマーシア王国の最盛期を創った国王。
0865/11/01,貞観7/10/09
デーンの大軍がイングランド全土を荒掠する。
0871/04/**,貞観13/03/**
この月、ウェセックス王家のアルフレッドがイングランド王に即位する。
0901/10/28,延喜1/09/14
アルフレッド大王(Alfred,the Great)没。54歳(誕生:0848)。
デーン人からイングランドを守ったウェセックス王。
1002/11/13,長保4/10/07
エゼルレッド2世がイングランドのデーン人の虐殺を命じる。
1012/04/19,寛弘9/03/26
ヴァイキングが、カンタベリ大司教を殺害する。
1013/12/**,長和2/11/**
この月、エセルレッド2世が、国内のデーン人を虐殺したため、
デンマーク王スヴェン1世がエセルレッド2世を追放してイングランド全土を掌握する。
1016/11/20,長和5/10/28
エドマンド2世(剛勇王)(Edmund II,Ironside)没。36歳(誕生:0980)。イングランド王。
デンマーク王ハラールの弟のクヌートが、イングランド王となる。
1035/11/12,長元8/10/10
クヌート1世(Knut I)没。35歳(誕生:0995)。この後、「北海帝国」が崩壊に向かう。
イングランド、デンマーク、ノルウェーの王。
1042/06/08,長久3/05/18
エドワード証聖者王(懺悔王)がイングランド王に即位する。
1065/12/28,治暦1/11/28
ウェストミンスター修道院が建設される。
1066/01/05,治暦1/12/07
エドワード(懺悔王)(Edward,the Confessor)没。(誕生:1004)。
アングロサクソン系16代のイングランド王。
実子がなかったため、ヘイスティングの戦いへのきっかけとなる。
1066/04/**,治暦2/03/**
この月、彗星が現れる(ハレー彗星)。
1066/09/20,治暦2/08/28
ハーラル3世とトスティングがイングランド北方のユーク近郊でイングランド軍を討ち破る。
1066/09/25,治暦2/09/04
ハーラル3世(Harald III)がイングランド侵攻の戦いで敗死する。マグヌス2世が即位する。(誕生:1016)。ノルウェー王。
1066/09/28,治暦2/09/07
ノルマン公ギョームが、5000の船隊を率いてイングランド南部のペヴンジーに上陸する
(ヘイスティングスの戦いの始め)。
1066/10/14,治暦2/09/23
イングランドに上陸したノルマン公ギョーム(ウィリアム)が、
南下したサクソン王ハロルド2世軍とヘイスティングスの北方センラックで戦い、圧勝する。
1066/12/24,治暦2/12/05
イングランドを征服したノルマン公ギョームが、ウィリアム1世として
ウェストミンスター・アベイで戴冠する。
1086/08/01,応徳3/06/19
イングランド騎士がウィリアム王に忠誠を誓う(ソールズベリの誓い)。
1087/09/09,寛治1/08/10
フランス、ノルマン朝イングランドの始租ウィリアム1世(William I)が
ノルマンディのルーアンで没。(誕生:1027-28)。第3子ウィリアム2世(赤顔王)が
イングランド国王を、長子ロベールがノルマンディ公領を継承することになる。
1087/09/26,寛治1/08/27
ウィリアム2世がイングランド国王に即位する。
1100/08/02,康和2/06/25
ウィリアム2世(William II)が、狩猟中に横死する。(誕生:1060)。イングランド王。
1100/08/05,康和2/06/28
ヘンリー1世が即位する。戴冠憲章が発布される。
1101/07/20,康和3/06/23
イングランド王の長兄のノルマンディ公ロベールがイングランドに来襲する。
これ以後、兄弟での交戦が起こる。
1120/11/25,保安1/11/03
ウィリアム(イングランド王ヘンリー1世の一人息子)の乗ったホワイト・シップ号が
イギリス海峡で難破し、水死する。
1128/06/17,大治3/05/18
ヘンリー1世の娘のマチルダ(神聖ローマ皇帝ハインリッヒ5世の寡婦)が、
アンジュー伯ジョフロア・プラタジュネと結婚する。
1133/03/05,長承2/01/27
イングランドのヘンリー2世(Henry II)誕生。
1135/12/01,保延1/10/25
ヘンリー1世(Henry I)没。67歳(誕生:1068)。イングランド王。
1135/12/26,保延1/11/20
イングランドで、ヘンリー1世の甥のスティーヴンが即位する。
ヘンリー1世の娘マチルダとの間に王位をめぐる内乱が勃発する。
1139/09/30,保延5/09/06
マチルダが王位を要求してイングランドに上陸する。
1141/02/02,保延6/12/24
スティーヴンが、マチルダとの内戦に敗れて捕虜となりリンカンに幽閉される。
1141/03/03,保延7/01/23
スティーヴンに勝利したマチルダが、イングランド女王に推戴される。
1141/11/01,永治1/10/01
幽閉されていたスティーヴンが釈放される。
1152/05/15,仁平2/04/10
アリエノール・ダキテーヌが、ノルマンディー公兼アンジュー伯で後に
イングランド国王ヘンリー2世となるヘンリー・プランタジネットとサン・ピエール寺院で
結婚する。アリエノールはノルマンディ公妃となりアンジュー伯妃となる。
1153/01/06,仁平2/12/10
ヘンリー・プランタジネットが、エティエンヌ・ド・ブロワ国王のマルメスバリーを急襲する。
1153/11/06,仁平3/10/19
エティエンヌ・ド・ブロワ国王がヘンリー・プランタジネットに屈伏し、自分の後継者と認める。
1154/10/25,仁平4/09/17
エティエンヌ・ド・ブロワ国王、没。これでヘンリー・プランタジネットが国王となる条件が整う。
1154/12/07,久寿1/11/01
ヘンリー・プランタジネットとアリエノール・ダキテーヌが嵐の中をイギリス海峡を渡り、イングランドに向かう。
1154/12/17,久寿1/11/11
ヘンリー・プランタジネットとアリエノール・ダキテーヌがともにウェストミンスター修道院で戴冠式をあげる。
ヘンリーはイングランド国王ヘンリー2世となる。
1157/09/08,保元2/08/03
イングランドのヘンリー2世とアリエノールの間にリチャード1世(獅子心王)(Richard,Lion-Hearted)が誕生する。
1162/05/23,応保2/04/08
トマス・ベケットがカンタベリ大司教に選出される。
1163/10/01,長寛1/09/02
イングランドのベケット大司教が、聖職者裁判の国家移管の要請を拒否する。ヘンリー2世との対立が始まる。
1164/01/29,長寛2/01/04
イングランドでクラレンドン法が制定される。「保有地の聖俗に関する審問」が定められる。
1165/12/09,永万1/11/05
スコットランド王ウィリアム1世(獅子王)が即位する。
1167/12/24,仁安2/11/11
イングランド王になるジョン(John)誕生。
1170/07/22,嘉応2/06/07
イングランドのヘンリー2世とベケット大司教の和解が成立する。
1170/12/29,嘉応2/11/20
トマス・ベケット(Becket,Thomas)が、イングランド王ヘンリ2世の4人の騎士に襲われて、
剣で頭を割られて即死する。52歳(誕生:1118)。カンタベリ大司教。
1171/10/16,承安1/09/16
イングランド王ヘンリー2世がアイルランドに上陸する。アイルランド貴族が、ヘンリー2世の宗主権を認める。
1173/09/30,承安3/08/22
イングランド王ヘンリー2世とその息子たちは1172年以来争っていたが、
この日トゥール郊外のモンティで協定を結び仲直りをする。アリエノールは夫の監視下におかれる。
1174/07/13,承安4/06/13
イングランドに侵入したスコットランド王ウィリアム1世が捕らえられる。
1174/08/14,承安4/07/15
イングランドとフランス両王国の間にモンルイの和約が結ばれる。
1174/09/30,承安4/09/03
ヘンリー2世が息子たちと和解する。
1189/07/04,文治5/05/19
息子リチャードに反逆されたイングランド王ヘンリー2世は、リチャードの後ろ盾のフランス王に屈伏し、
要求を全て呑む約束をする。
1189/07/06,文治5/05/21
ヘンリー2世(Henry II Curtmantle)没。56歳(誕生:1133/03/05)。イングランド王でアンジュー家。
1189/09/03,文治5/07/21
イングランド、リチャード獅子心王がウェストミンスター修道院で戴冠する。アンジュー帝国の全領土を相続する。
1189/12/12,文治5/11/03
リチャード1世が十字軍に出征する。
1190/07/04,建久1/05/30
フランス王フィリップ2世(オーギュスト)とイギリス王リチャード獅子心王が第3回十字軍遠征に出発する。
1191/05/21,建久2/04/27
リチャード獅子心王がトレミトゥーシアの戦いでビザンティン人からキプロス島を奪い取る。
1191/06/08,建久2/05/15
リチャード獅子心王がアッコン攻囲軍に合流する。
1191/07/05,建久2/06/12
リチャード獅子心王らのアッコンの奪回が成功する。
1191/07/12,建久2/06/19
第3回十字軍のフィリップ・オーギュストとリチャードがアッコンを占領する。
1191/09/07,建久2/08/17
リチャード獅子心王がサラディンとアルスーフで戦い勝利をおさめる。
1192/08/05,建久3/06/26
リチャード獅子心王がヤッファで戦いサラディンに勝つ。
1192/09/03,建久3/07/25
第3回十字軍のリチャード獅子心王がサラディンと休戦協定を結ぶ。
1192/10/**,建久3/09/**
この月、リチャード獅子心王が帰国する。
1194/03/13,建久5/02/19
リチャード1世が帰国する。
1199/04/06,建久10/03/09
リチャード1世(獅子心王)(Richard,Lion-Hearted)が、西部フランスで城攻めの最中に矢の傷の壊疽がもとで没。
41歳(誕生:1157/09/08)。イングランド王。
1199/05/27,正治1/05/01
イングランド、リチャードの弟ジョンがウェストミンスター修道院でイングランド王の冠を受ける。
1199/09/22,正治1/09/01
イングランド王ジョンがフランス王フィリップのブルターニュを攻略し、
ル・マンでブルターニュのアーサーとコンスタンスに恭順を表させる。
1200/05/22,正治2/04/08
ル・グーレで、イングランド王ジョンとフランス王フィリップの和平協定が結ばれる。
1201/07/31,建仁1/06/30
ルジャンニ家への処遇のことでフランス王フィリップとイングランド王ジョンが対立して戦争になるが、
この日ジョンはルジャンニ家の者を捕虜にし、母のアリエノールを救出する。
1202/04/30,建仁2/04/07
フランス国王フィリップ2世が、イングランド王ジョンに対してフランス王国内の所領没収を宣言する。
1203/04/03,建仁3/02/20
アーサー(Arthur of Brittany)が、ルーアンの牢獄でイングランド王ジョンにより刺し殺される。
16歳(誕生:1187/03/29)。ブルターニュ侯。
1203/12/05,建仁3/11/01
意欲を失ったイングランド王ジョンがフランス王に圧迫され、ノルマンディを離れイングランドへ向かう。
ジョンはこののち再びノルマンディに戻ることはなかった。
1204/04/01,元久1/02/29
アリエノール・ダキテーヌ(Eleonore d'Aquitane)没。(誕生:1122)。リチャード獅子心王とジョン王の母。
1205/12/11,元久2/10/29
ジョン・グレイがカンタベリ大司教に選立される。インノケンティウス3世は拒否する。
1208/03/23,承元2/03/06
教皇インノケンティウス3世が、ジョン王に対する処分として、イングランドを教権停止とする。
1209/11/**,承元3/10/**
この月、イングランド王ジョンが教皇インノケンティウス3世に破門される。
1212/11/19,建暦2/10/25
神聖ローマ帝国のフリードリッヒ2世とフランスのフィリップ2世が同盟を結び、
イングランドのジョン王とヴェルフェン家の皇帝オットー4世に対抗する。
1213/05/13,建暦3/04/21
ジョン王が、教皇インノケンティウス3世に屈伏する。
1213/05/15,建暦3/04/23
ジョン王が教皇に王国を献上し、教皇の封建家臣となる。
1213/05/30,建暦3/05/09
フランス海軍が、フランドル沿岸の海戦でイングランド海軍に敗れる。
1214/07/27,建保2/06/19
イングランド王ジョンが、神聖ローマ皇帝オットー4世らと結んで所領の奪回を図るが、
フランス国王フィリップ2世(49)に撃退される(ブーヴィーヌの戦い)。
1214/12/04,建保2/11/02
スコットランド王アレグザンダー2世が即位する。
1215/05/17,建保3/04/17
イングランドの諸侯が、ジョン王に反抗してロンドンを占拠する。
1215/06/15,建保3/05/17
イギリス中から反抗を受けたイングランド王ジョンがテムズ川をさかのぼったランニミードの中洲で
貴族たちと会見して彼等の要求を受け同意する。
1215/06/19,建保3/05/21
大憲章の発布。イングランド王ジョンが貴族たちの要求に基づいて大憲章(マグナ・カルタ)を公布する。
1215/09/**,建保3/08/**
この月、ジョン王がマグナ・カルタの無効を宣言し、内乱となる。
1216/10/17,建保4/09/05
ジョン(欠地王)(John Lackland)没。48歳(誕生:1167/12/24)。大憲章に署名したイングランド王。
1216/10/28,建保4/09/16
イングランドで、ヘンリー3世が即位する。
1217/09/12,建保5/08/10
キングストン条約が結ばれ、敗北したフランス軍がイングランドを去る。
1225/02/11,元仁2/01/03
大憲章の第3回改定が行われる(最終版)。
1231/07/05,寛喜3/06/04
イングランドとフランスの間に3年間の休戦協定が結ばれる。
1234/04/**,天福2/03/**
この月、イングランドで国王の親政が開始される。
1237/09/25,嘉禎3/09/05
ヨーク条約が結ばれ、イングランドとスコットランドの間の国境が画定する。
1240/08/01,延応2/07/12
城外にあったセント・ピーター・アド・ヴィンキュラ教会がロンドン塔内に移され、聖堂の献堂式が行われる。
1242/07/21,仁治3/06/22
イングランド王ヘンリー3世がフランスに侵入する。
1243/04/07,寛元1/03/17
ボルドーの和約が結ばれ、イングランドとフランスが5ヵ年間の休戦が成立する。
1249/07/08,建長1/05/26
アレグザンダー3世が即位し、スコットランド王となる。
1254/04/26,建長6/04/08
イングランド政府が、課税に関して史上初の全国州代表集会を招集する。
1258/04/**,正嘉2/03/**
この月、ヘンリー3世がロンドンに諸侯会議を召集し、十字軍費用のための課税を求める。
しかし、諸侯は十字軍に異議を唱えて王を非難する。
1258/06/11,正嘉2/05/08
オクスフォードで開かれたパーラメントで、ヘンリー3世が、諸侯の国政改革案を承認する。
1259/10/13,正元1/09/25
ウェストミンスター条項で、イングランド諸侯の国政参加が規定される。
1259/12/04,正元1/10.19
パリ条約が結ばれ、ルイ9世がプランタジネット家と和解する。
1263/10/03,弘長3/08/30
スコットランド王アレグザンダー3世が、ノルウェー王ホーコン4世との戦いに勝利する。
1264/01/23,弘長3/12/23
フランス王ルイ9世が、イングランド国王と諸侯の対立を仲裁する(アミアン裁定。失敗)。
1264/05/14,文永1/04/17
リュイスの戦い。国王ヘンリー3世とレスター伯シモン・ド・モンフォール率いる改革派貴族が軍事衝突を起こし、
改革派貴族が勝つ。ヘンリー3世と王弟、皇太子が捕虜となる。
1265/01/20,文永2/01/02
イングランドで、モンフォールの指導で議会が召集される。高位聖職者、諸侯、州代表、都市代表が参加する。
1265/05/**,文永2/04.**
この月、拘束されていた皇太子エドワードが逃亡する。
1265/08/04,文永2/06/22
イングランド皇太子エドワードが、イーヴシャムの戦いでモンフォールを敗死させる。
1265/09/16,文永2/08/06
救出されたヘンリー3世が改革すべてを無効とする旨宣言する。
1266/07/02,文永3/05/28
ノルウェー王マグヌス7世が、パース条約を結んでヘブリディーズ諸島とマン島のスコットランド帰属を認める。
1266/10/31,文永3/10/02
ケニルワースの協定が結ばれ、インフランド王と貴族の和解が成立する。
1267/09/29,文永4/09/10
イングランド王ヘンリー3世が、北ウェールズの首長ルーウェリンに
プリンス・オブ・ウェールズの称号を認める(モンゴメリー条約)。
1267/11/18,文永4/11/01
ヘンリー3世が、ウェストミンスター条項の多くを認め、内乱が終結する(モールバラ法令)。
1272/11/16,文永9/10/24
ヘンリー3世(Henry III)没。65歳(誕生:1207/10/01)。イングランドのアンジュー家の王。
1272/11/20,文永9/10/28
イングランドで、エドワード1世が即位する。
1274/08/19,文永11/07/16
エドワード1世がドーヴァーに上陸し、ウェストミンスター寺院で戴冠する。
1276/11/12,建治2/10/05
第1次ウェールズ戦争が起こる。
1278/08/**,弘安1/07/**
この月、スコットランドのアレグザンダー3世がエドワードに臣従礼を行う。
1282/03/12,弘安5/02/01
第2次ウェールズ戦争が起こる。
1282/03/**,弘安5/02/**
この月、イングランド北ウェールズでルーウェリンの反乱が起こる。
1282/12/11,弘安5/11/10
ルーウェリン(Llewelyn ap Gruffydd)が敗死する。北ウェールズで反乱を起こした。
1283/11/03,弘安6/10/13
デーヴィッドが処刑される。ルーウェリンの弟で北ウェールズの反乱指導者。ウェールズの反乱が終結する。
1284/03/19,弘安7/03/01
イングランド王エドワード1世が、ウェールズ地方を征服・併合し、この地方の統治の法令の「リズラン法令」を発布する。
1286/03/19,弘安9/02/23
アレグザンダー3世(Alexander III)が落馬事故で没。(誕生:1241)。スコットランド王。
孫のノルウェー王女マルグレーテがスコットランド女王に即位する。
1287/06/08,弘安10/04/26
第3次ウェールズ戦争が起こる。
1289/11/06,正応2/10/22
イングランド、スコットランド、ノルウェーの間で、
スコットランド女王の後見権をエドワード1世とするソールズベリ条約が結ばれる。
1290/07/**,正応3/06/**
この月、イングランドのエドワード1世が、ユダヤ人を国外へ追放する。
1290/09/**,正応3/08/**
この月、マーガレット(マルガレーテ)(Margaret)が、ノルウェーからスコットランドへ向かう途中で没。(誕生:1283?)。
スコットランド女王。
1291/05/10,正応4/04/11
エドワードがスコットランド王位継承問題に介入する。
1291/11/**,正応4/10/**
この月、スコットランド王にジョン・ベーリオルが決まる。
1292/11/17,正応5/10/07
スコットランドに出兵していたイングランド王エドワード1世がスコットランドに対する主権を認めさせ、傀儡王を擁立する。
1294/05/19,永仁2/04/23
フランス王フィリップ4世が、エドワードのフランス内の所領の没収を宣告する。ギエンヌ戦争が始まる。
1294/06/11,永仁2/05/16
ロジャー・ベーコン(Bacon,Roger)、没。80歳(誕生:1214)。イギリスのスコラ哲学者で近世自然科学の祖。
1294/09/30,永仁2/09/10
第4次ウェールズ戦争が始まる。
1295/07/**,永仁3/06/**
この月、反イングランド諸侯らがスコットランド国政の主導権を握る。
1295/11/27,永仁3/10/19
イングランド王エドワード1世が「模範議会」を召集する。
1296/03/**,永仁4/02/**
この月、イングランド・スコットランド戦争が始まる。
1296/04/27,永仁4/03/24
イングランドのエドワード1世が、スコットランド軍を破る。
1296/07/10,永仁4/06/09
インギランドのエドワード1世が、スコットランド王ジョン・ベーリオルを退位させ、
スコットランドから王位の象徴の戴冠石(スクーンの石)を奪う。
1297/09/11,永仁5/08/23
イングランド軍が、スターリング・ブリッジでスコットランド軍に敗れる。
1297/09/30,永仁5/09/13
王とその側近が2人の伯と和解してロンドンでパーラメントを召集する。
1297/10/10,永仁5/09/23
イングランドで「両憲章の確認書」が発表される。
1298/07/22,永仁6/06/13
イングランドのエドワード1世が、フォルカークでスコットランド軍を破る。
1301/02/07,正安2/12/28
エドワード1世の皇太子エドワードが、プリンス・オブ・ウェールズの称号を与えられる。
1305/08/24,嘉元3/08/04
ウィリアム・ウォレス(Wallace,William)が処刑される。33歳(誕生:1272頃)。スコットランドの愛国者。
1306/03/25,嘉元4/02/10
ロバート・ブルースが親イングランド派のジョン・カミンを殺害し、スコットランド王に即位する。
1307/05/**,徳治2/04/**
この月、スコットランド王ロバート・ブルースがイングランド軍を破る。
1307/07/07,徳治2/06/07
エドワード1世(Edward I)がスコットランド遠征途中に病没。68歳(誕生:1239/06/17)。イングランド王。
1307/07/08,徳治2/06/08
イングランドでエドワード2世が即位する。
1308/01/15,徳治2/12/21
エドワード2世が、フランス王の娘イザベラと結婚する。
1308/11/08,徳治3/09/25
ドゥンズ・スコトゥス(Duns Scotus,Johannes)没。(誕生:1274)。スコットランド人の神学者。
1312/06/**,正和1/05/**
この月、イングランド軍がスコットランドに侵入する。
1314/06/24,正和3/05/11
スコットランドのロバート・ブルースが、バノックバーンの戦いでエドワード2世を破る。
1316/05/02,正和5/04/10
スコットランドのエドワード・ブルースが、アイルランドに侵入する。
1318/10/14,文保2/09/20
エドワード・ブルースが、アイルランドのダンドーク付近でイングランド軍と戦って敗死する。
1322/03/16,元亨2/02/28
エドワード2世が、反抗貴族ランカスター伯の軍を破る。
1324/07/**,元亨4/06/**
この月、シャルル4世がエドワード2世の在仏全所領の没収を宣告する。サン・サルド戦争が始まる。
1326/09/24,嘉暦1/08/28
イングランド王妃イザベラが、ロジャー・モーティマーとエドワード2世に謀反を起こす。
1326/10/**,正中3//**
この月、ヒュー・ディスペンサー(Despenser,Hugh)が処刑される。(誕生:1261)。国王エドワード2世を助けた政治家。
1326/11/26,嘉暦1/11/01
イングランドのエドワード2世が捕らえられる。ヒュー・ディスペンサーの子が処刑される。
1327/01/20,嘉暦1/12/27
イングランドのエドワード2世が廃位される。
1327/01/25,嘉暦2/01/02
イングランドでエドワード3世が即位する。
1327/09/15,嘉暦2/08/29
エドワード3世の最初の議会が開かれる。
1327/09/21,嘉暦2/09/06
エドワード2世(Edward II)が暗殺される。43歳(誕生:1284/04/25)。廃位させられた前イングランド王。
1328/03/17,嘉暦3/02/05
エディンバラ条約が締結される。
1328/05/04,嘉暦3/03/24
スコットランド王ロバート1世が、イングランド王エドワード3世とエディンバラ・ノーザンプトン条約を結び、
スコットランドが独立する。
1329/06/06,嘉暦4/05/09
イングランドのエドワード3世が、アミアンでガスコーニュに関してフランス王への臣従を誓約する。
1329/07/09,嘉暦4/06/12
ロバート・ブルース(ロバート1世)(Bruce,Robert,I)没。55歳(誕生:1274/03/21)。
スコットランドをイングランドの圧迫から解放したスコットランド王。デイヴィッド2世が即位する。
1330/10/20,元徳2/09/08
エドワード3世が親政開始を宣言する。
1330/11/29,元徳2/10/19
エドワード3世が母后の愛人のロジャー・モーティマーを処刑する。
1332/09/24,元弘2(南);正慶1(北)/09/04
エドワード・ベーリオルが、イングランドの支援でデイヴィッド2世を破り、スコットランド王となる。
1333/07/19,元弘3(南);正慶2(北)/06/07
イングランドのエドワード3世が、スコットランドからマン島を奪う。
1334/06/12,建武1/05/10
ニューカースル協定が結ばれ、スコットランド王ベーリオルが、エドワード3世に臣従を誓う。
1337/07/15,延元2(南);建武4(北)/06/17
コブレンツ条約が結ばれ、エドワード3世が皇帝ルードヴィッヒ4世と同盟する。
1337/10/07,延元2(南);建武4(北)/09/13
エドワード3世が、ヴァロワ家のフィリップ6世に対してフランス王位継承権を要求する。
1338/07/16,延元3(南);建武5(北)/06/28
エドワード3世が、アントワープに上陸する。
1338/09/05,延元3(南);建武5(北)/07.21
皇帝ルードヴィッヒ4世が、コブレンツでイングランド王エドワード3世と会談する。
1340/01/25,延元4(南);暦応2(北)/12/26
エドワード3世がフランス王を称し、フランドルの諸都市に承認させる。
1340/06/24,興国1(南);暦応3(北)/05/29
ライン川河口のスロイス沖の戦いで、国王エドワード3世のイングランド軍が
フランス艦隊を破りフランドルに上陸する(百年戦争)。
1343/01/19,興国3(南);康永1(北)/12/22
英仏休戦協定が成立する。
1343/**/**,興国4(南);康永2(北)/**/**
この年、イングランドの議会が貴族院と庶民院に分れ始める。
1345/10/21,興国6(南);康永4(北)/09/25
ランカスター伯のイングランド軍が、ガスコーニュでフランス軍を破る。
1346/06/28,興国7(南);貞和2(北)/06/09
イギリス王エドワード3世がポーツマスを出帆する。
1346/07/12,興国7(南);貞和2(北)/06/23
エドワード3世がノルマンディに上陸する。
1346/08/26,興国7(南);貞和2(北)/08/09
フランドル地方のクレーシー村でイギリス王エドワード3世の軍とフランス王フィリップ6世の軍が衝突し、
フランス軍は再三突撃するが敗退する。
1346/10/17,興国7(南);貞和2(北)/09.02
スコットランド王デイヴィッド2世がイングランド北部に侵入するが敗北し捕虜となる。
1347/08/04,正平2(南);貞和3(北)/06/27
イングランド軍が、カレー占領する。
1347/09/28,正平2(南);貞和3(北)/08/23
英仏休戦協定が成立する。
1348/**/**,正平3(南);貞和4(北)/**/**
この年、イングランド、欧州全土に黒死病が上陸する。
1354/04/06,正平9(南);文和3(北)/03/13
イギリスがフランスとの休戦協定を延長する。フランスがスコットランドと同盟を結ぶ。
1355/11/**,正平10(南);文和4(北)/10/**
この月、イングランド王エドワード3世が、ピカルディに出征する。
1356/01/20,正平10(南);文和4(北)/12/18
エドワード・ベーリオルが、スコットランド王を退位する。
1356/09/19,正平11(南);延文1(北)/08/24
ポアティエの戦いで、フランス国王のジャン2世がイングランド黒太子エドワードに捕らえられる。
1357/10/03,正平12(南);延文2(北)/08/20
イングランドが、スコットランドと10年間の休戦協定を結ぶ。デイヴィッド2世が解放される。
1360/10/24,正平15(南);延文5(北)/09/14
カレー条約が結ばれ、フランスがジャン2世の身代金を支払い、アキテーヌ・ポワトゥー地方などを割譲する。
インギランドはフランス王の称号を放棄する。
1370/09/19,建徳1(南);応安3(北)/08/29
イギリスの黒太子エドワードが、リモージュを攻略する。
1371/02/22,建徳2(南);応安4(北)/02/07
デーヴィッド2世(David II)、没。46歳(誕生:1324/03/05)。スコットランド王。
ロバート2世が即位し、ステュワート朝が始まる。
1372/06/23,文中1(南);応安5(北)/05/22
フランスが、カスティリャ海軍の助けでラ・ロシェルの海戦でイングランド海軍を破る。
1372/08/07,文中1(南);応安5(北)/07/08
フランス軍が、ポアティエを回復する。
1373/06/16,文中2(南);応安6(北)/05/25
ロンドン条約が結ばれ、イギリスとポルトガルの同盟が成立する。
1375/06/27,天授1(南);永和1(北)/05/28
ブルージュの和約が結ばれ、フランス内のイングランド領が大幅に狭められる。
1376/04/28,天授2(南);永和2(北)/04/09
イングランド議会が王の政府と衝突し、「善良議会」を開く。
1376/04/30,天授2(南);永和2(北)/04/11
コモンズが課税を討議する。政府の失政に対する批判が続出する。
1376/06/08,天授2(南);永和2(北)/05/21
エドワード黒太子(Edward the Black Prince)没。45歳(誕生:1330/06/15)。イングランド。
1377/02/19,天授3(南);永和3(北)/01/11
ロンドン司教座聖堂でのウィクリフの査問を契機にロンドン市内で暴動が発生する。
1377/06/21,天授3(南);永和3(北)/05/15
エドワード3世(Edward III)没。64歳(誕生:1312/11/13)。
プランタジネット家のイングランド王でガーター勲章を制定した。
1377/06/22,天授3(南);永和3(北)/05/16
イングランドでリチャード2世が即位する。
1377/07/17,天授3(南);永和3(北)/06/12
イングランドで、国王が未成年のため評議会による統治が始まる。
1380/06/10,天授6(南);康暦2(北)/05/07
イングランド艦隊が、アイルランド沖でフランス艦隊を撃破する。
1381/06/15,弘和1(南);永徳1(北)/05/23
反乱軍の代表とイングランド国王リチャード2世の会見の席上、タイラーが王とロンドン市長側の兵士に殺害される。
1386/05/09,元中3(南);至徳3(北)/04/11
ポルトガルのジョアン1世が、イングランドと同盟を結ぶ(ウィンザー条約)。
1387/12/20,元中4(南);嘉慶1(北)/11/10
イングランド王リチャードの軍が、専制に抵抗する貴族らの軍に敗れる。
1388/02/03,元中4(南);嘉慶1(北)/12/25
イングランドで、「無慈悲議会」が召集させる。リチャード2世の寵臣貴族らが、議会より有罪を宣告される。
1389/05/03,元中6(南);康応1(北)/04/07
イングランドで、リチャード2世が成年を宣言し、親政を開始することを表明する。
1390/04/19,元中7(南);明徳1(北)/03.04
ロバート2世(Robert II)没。(誕生:1316)。スコットランド王でステュワート朝の創始者。ロバート3世が即位する。
1396/03/12,応永3/02/03
イングランド王リチャード2世が、フランス王女イザベルと婚約する。
イングランドとフランスの間に28年間の休戦協定が成立する。
1396/11/04,応永3/10/03
イングランド王リチャード2世と、フランス王女イザベルが結婚する。
1397/09/**,応永4/08/**
この月、リチャード2世が、反国王派のアランデル伯らを処刑する。
1399/02/03,応永5/12/27
ランカスター公(John of Gaunt,Duke of Lancaster)没。(誕生:1340)。イングランドの大貴族。
1399/07/04,応永6/06/01
追放中のジョンの息子のヘンリーが、ヨークシャーで挙兵する。
1399/08/19,応永6/07/18
イングランドで、リチャード2世が、ヘンリーに降伏する。
1399/09/29,応永6/08/29
イングランド王リチャード2世が退位する。ヘンリーがイングランド王として即位してヘンリー4世となる。
1399/10/11,応永6/09/12
イングランド王となったヘンリー4世が、ホワイト・タワーで46人の騎士にバース最高勲章を授与する。
1400/02/14,応永7/01/19
リチャード2世(Richard II)が暗殺される。33歳(誕生:1367/01/09)。イングランドの前王。
1403/07/10,応永10/06/21
イングランド北部のパーシー家の第1次反乱が起こり、ヘンリー4世がこれを鎮圧する。
1405/05/**,応永12/04/**
この月、パーシー家の第2次反乱が起こる。
1413/03/20,応永20/02/18
ヘンリー4世(Henry IV,Bolinggroke)没。45歳(誕生:1367/04/03)。イングランド王。
1413/03/21,応永20/02/19
イングランドでヘンリー5世が即位する。
1414/01/09,応永20/12/18
イングランドでオールドカースルの乱が起こる。
1414/05/23,応永21/05/05
イングランドのヘンリー5世が、ブルゴーニュ派と結束する。
1415/03/14,応永22/02/04
ヘンリー5世の使節が、フランスに王位要求の交渉に派遣される。しかし失敗に終わる。
1415/07/19,応永22/06/13
フィリパ(Philippa of Lancaster)が病没。イギリスのランカスター公の娘でポルトガル王ジュアン1世の妃。(誕生:1359)。
1415/07/31,応永22/06/25
ヘンリー5世を廃位させようとした貴族たちの陰謀が発覚し、関係者が処刑される。
1415/08/13,応永22/07/09
ヘンリー5世が、フランスへ進撃を開始する。
1415/10/25,応永22/09/23
ノルマンディーに上陸していたイギリスのヘンリー5世がフランス軍と戦う。
フランス軍がブルゴーニュ派の自由意志による寄せ集めだったため、イギリス軍の圧勝になる(アザンクールの戦い)。
1416/08/15,応永23/07/22
イギリスのヘンリー5世とドイツ皇帝ジギスムントの同盟のカンタベリ条約が結ばれる。
1417/09/20,応永24/08/10
ノルマンディに侵攻していたイギリスのヘンリー5世がカーン市を攻略する。
1417/12/14,応永24/11/06
オールドカースルが火刑に処せられる。
1418/07/29,応永25/06/26
イングランド軍が、ルーアンの攻囲を開始する。
1419/12/25,応永26/12/09
ブルゴーニュ公フィリップが、シャルル王太子に対抗して、ヘンリー5世と同盟を結ぶ。
1420/06/02,応永27/04/21
ヘンリー5世が、シャルル6世の娘のカトリーヌと結婚する。
1422/08/31,応永29/08/15
ヘンリー5世(Henry V)没。35歳(誕生:1387/08/19)。ランカスター家のイングランド王。
1422/08/31,応永29/08/15
イングランド、生後9ヵ月のヘンリー6世が即位する。
1424/03/28,応永31/02/28
スコットランド王ジェームズ1世がイングランドでの捕囚を解かれ、両国間の7年間の和平協定を結ぶ。
1424/08/17,応永31/07/23
ヴェルネイユの戦いで、イングランド軍がフランス軍を破り、北フランスの大半を制覇する。
1425/03/25,応永32/03/06
スコットランド王ジェームズ1世が、王権を回復する。捕囚となっていた摂政のアルバニ公を処刑する。
1428/10/12,正長1/09/04
イギリス軍が、南フランスのイギリス領ギュイエンヌとの連絡路を確保するため
ロワール川中流のオルレアン侯領のオルレアンの町を攻略する。
1429/02/23,正長2/01/20
イギリス軍からオルレアンの町を解放し確保したいシノン城の王太子シャルルのもとへ、
数人の騎士に護衛されて予言者と自称するジャンヌ・ダルクが現れる。
1429/03/23,正長2/02/18
ヘンリ6世の妃となりバラ戦争をひき起こすマーガレット(Margaret)誕生。
1429/05/07,正長2/04/04
オルレアンの近くのトゥーレルのイギリス軍の砦を、少女ジャンヌ・ダルクに率いられたフランス兵が襲う。
1429/06/18,正長2/05/17
王太子軍がオルレアンの西北シャルトルのパテーの野でイギリス軍に決戦を挑み、大勝する。
1430/11/21,永享2/11/06
ジャンヌ・ダルクがイギリス軍に1万フランで売り渡される。
1431/12/16,永享3/11/12
ヘンリー6世が、パリでフランス王として戴冠する。
1437/02/12,永享9/01/07
ジェームズ1世(James I)が殺害される。42歳(誕生:1394/07)。スコットランド王。
1437/02/24,永享9/01/19
ジェームズ2世がスコットランド王に即位する。
1437/11/12,永享9/10/14
ヘンリー6世が成年を宣言し、評議会を改組する。
1444/05/28,文安1/05/11
トゥールの和約:イギリスとフランスが、2年間の休戦を約束する。
1445/04/23,文安2/03/16
イギリスのヘンリー6世が、アンジュー伯の娘のマルグリートと結婚する。
1449/10/29,宝徳1/10/13
イングランド軍がルーアンを放棄する。
1450/01/26,宝徳1/12/14
イングランドの庶民院が、ヘンリー6世の寵臣のサフォーク伯に対する弾劾を開始する。
1450/04/15,宝徳2/03/04
イギリスがフランスに攻め入るが惨敗する。
1450/05/**,宝徳2/04/**
この月、イングランドのバラ戦争の発端というべきジャック・ケイドの一揆が起こる。
ヨーク公リチャードが4000の軍勢を率いてアイルランドからウェールズに上陸する。
1450/07/12,宝徳2/06/04
ジャック・ケード(Cade,Jack)がヒースフィールドで処刑される。イングランドの農民一揆の指導者。
1451/07/**,宝徳3/06/**
この月、イングランドがボルドーを放棄する。
1452/10/02,享徳1/08.19
イギリス、リチャード3世(Richard III)誕生。
1452/10/23,享徳1/09/11
ボルドーで反乱が起こり、イングランド軍が一時市を制圧する。
1453/07/17,享徳2/06/11
フランスのカスティヨンでのフランス軍とイングランド軍の戦いで、
フランスが勝利しイングランド軍が一部を除いて退却する。116年続いた英仏戦争が終結する。
1453/08/**,享徳2/07/**
この月、ヘンリー6世が精神に異常を起こす。
1453/10/19,享徳2/09/17
ボルドーが、シャルル7世に降伏する。
1454/03/27,享徳3/02/28
イングランドのヘンリー8世の精神異常のため、ヨーク公リチャードが摂政となる。
1455/05/22,享徳4/04.06
イギリス、ユーク家がランカスター家と王位の譲り渡しをめぐって
ロンドン北郊のセント・オールバンズで戦い、ヨーク家が勝つ(バラ戦争)。
1459/09/23,長禄3/08/27
イギリス、ブロア・ヒースの戦いでヨーク派が勝利する。
1459/10/12,長禄3/09/16
イギシス、ラドオードの戦いで、ランカスター派(国王軍)がヨーク派を破る。
1460/07/10,長禄4/06/22
イギリス、ノーサンプトンの戦いで、ヨーク派のウォリック伯が国王軍に大勝する。
1460/08/03,長禄4/07/17
ジェームズ2世(James II)が殺害される。29歳(誕生:1430/10/16)。スコットランド王。ジェームズ3世が即位する。
1460/10/16,長禄4/09.02
ヨーク公が議会で公式に王位を請求する。
1460/10/31,長禄4/09.17
ヘンリー6世が、ヨーク公リチャードを王位継承者として承認する。
1460/12/30,長禄4/11/18
ヨーク公リチャード(Richard Plantagenet,3rd Duke of York)が、ウェークフィールドの戦いで敗死する。49歳(誕生:1411)。
1461/02/02,寛正1/12/22
ヨーク公エドワードが、モーティマーズ・クロスの戦いでランカスター派を破る。
1461/02/17,寛正2/01/07
ヘンリー6世の王妃のマーガレットがセント・オールバンズの戦いでヨーク派のウォリック伯を破って王を救出する。
1461/03/04,寛正2/01/22
イギリス、ヨーク家とランカスター家の王位継承争いに決着がつき、王座がヨーク家のものになる。
1461/03/29,寛正2/02/18
ヨーク家のエドワード4世がランカスター派を破り、ヘンリー6世はスコットランドに逃走する。
1464/04/25,寛正5/03/19
エドワード4世の軍が、スコットランドから侵攻してきたランカスター派の軍をヘジリーニ・ムアの戦いで撃破する。
1464/05/15,寛正5/04/09
ヘクサムの戦いで、ランカスター派が敗れる。
1466/07/**,文正1/06/**
この月、ヘンリー6世がロンドン塔に幽閉される。
1469/07/26,文明1/06/18
ヨーク家派の領袖ウォリック伯が裏切って兵を起こし、ヨーク家の国王エドワード4世を逮捕する。
しかしウォリック伯は国内の混乱をおさめ切れず、9月にエドワード4世を釈放することになる。
1470/03/12,文明2/02/10
国王エドワード4世が、スタンフォード付近の戦いで反乱軍を一蹴する。
反乱の指導者がウオリック伯の陰謀が洩らされる。
1470/09/13,文明2/08/18
ランカスター家とウォリック伯派の連合軍がダートマスとプリスマに上陸する。
1470/10/06,文明2/09/12
ウォリック伯がロンドンに入り、ヘンリー6世をロンドン塔の幽閉から解き、ロンドン司教座聖堂に導く。
この結果、政府の要職はヨーク派からウォーリック=ランカスター派にとってかわられる。
1471/03/11,文明3/02/20
前イギリス国王エドワード4世がブルゴーニュ公の支援を得て遠征軍を編成しオランダの港から出発する。
1471/03/14,文明3/02/23
ヨーク派の前イギリス国王エドワード4世の遠征軍がヨークシアのハンバー河口のレイヴァンスパァに上陸する。
1471/03/18,文明3/02/27
エドワード4世が、ヨークに入る。
1471/04/04,文明3/03/14
ヨーク家のエドワード4世がコンヴェントリにいたってウォリック伯に挑戦する。
1471/04/10,文明3/03/20
ヨーク家のエドワード4世がセント・オールバンスに入る。
1471/04/11,文明3/03/21
ヨーク家のエドワード4世がロンドンに入り、ヘンリー6世は再びロンドン塔に幽閉される。
1471/04/13,文明3/03/23
ウォリック伯(Warwick,Richard Neville,Earl of Salisbury)の軍とエドワード4世の軍がバーネットで衝突する。
ウォリック伯は自軍の混乱で戦死する。42歳(誕生:1428/11/22)。
バラ戦争ではヨーク家を助けて戦いエドワード4世を擁立したが、
後に対立してヘンリー6世を復位させて摂政となっていた。
1471/04/13,文明3/03/23
ランカスター派のマーガレットとその子エドワードが、ヨーク家のエドワード4世と対峙するため
ドーセットシァのウェイマスに上陸する。
1471/05/04,文明3/04/14
エドワード4世軍がテュークスベリでランカスター軍と衝突する。
ランカスター派の王子エドワードらは戦死し、マーガレットは捕らえられる。
1471/05/21,文明3/05/02
ヘンリー6世(Henry VI)がロンドン塔で暗殺される。49歳(誕生:1421/12/06)。
バラ戦争の原因を作ったランカスター家のイングランド王。
1474/07/25,文明6/06/12
ブルゴーニュ公シャルルが、イングランド王エドワード4世と同盟を結ぶ。
1475/07/04,文明7/06/02
エドワード4世が、カレーに上陸する。
1475/08/29,文明7/07/28
エドワード4世が、フランス王ルイ11世と7年間の和約を結ぶ。
1478/02/07,文明10/01/05
イギリスの思想家・政治家のトーマス・モア(More,Sir Thomas)誕生。
1478/02/18,文明10/01/16
クラレンス公(Clarence,George,3rd Duke of York)がロンドン塔内で没。28歳(誕生:1449/10/21)。
イギリス王エドワード4世の弟。
1482/08/25,文明14/07.11
マーガレット(Margaret of Anjou)没。53歳(誕生:1429/03/23)。ヘンリ6世の妃でバラ戦争をひきおこした。
1483/04/09,文明15/03/03
エドワード4世(Edward IV)没。40歳(誕生:1442/04/28)。ヨーク家の王。
1483/04/10,文明15/03/04
皇太子のエドワードが王位を継承しエドワード5世となる。先王の末弟グロスター公リチャードが摂政につくことになる。
1483/04/29,文明15/03/23
グロスター公の第1宮廷革命が起こる。
1483/06/13,文明15/05/08
グロスター公の第2宮廷革命が起こる。ヘイスティング卿が捕らえられる。
1483/06/25,文明15/05/20
エドワード5世がグロスター公により廃位される。
1483/06/26,文明15/05/21
イギリス、エドワード4世の末弟のグロスター公がリチャード3世として即位する。
1483/07/06,文明15/06/02
エドワード5世(Edward V)が暗殺される。12歳(誕生:1470/11/02)。
ヨーク家のイングランド王でエドワード4世の長子。この日、リチャード3世の戴冠式が行われる。
1485/08/22,文明17/07/12
リチャード3世とリッチモンド伯ヘンリー・テューダーがボスワーズ・フィールドで戦う。
リチャード3世(Richard III)は敗死し、これによりヨーク家男系は断絶する。32歳(誕生:1452/10/02)。
ヘンリー・テューダーがヘンリー7世として即位しテューダー朝が成立することになる。
1485/12/15,文明17/11/09
イングランド王ヘンリー8世の最初の妻となるキャサリン(Catherine,Aragon)誕生。
1486/01/18,文明17/12/13
ヘンリー7世が、ユーク家のエドワード4世の娘のエリザベスと結婚する。
1487/05/24,文明19/05/02
イギリスのランパート・シムネルがアイルランドで「エドワード5世」を称して反乱を起こす。
1487/06/16,文明19/05/25
ヘンリー7世が、シムネルを破って捕虜とする。
1488/06/11,長享2/05/02
ジェームズ3世(James III)が、反乱貴族との戦いで敗死する。
36歳(誕生:1451/07/10)。スコットランド王。ジェームズ4世が即位する。
1491/06/28,延徳3/05/22
イングランド王ヘンリー8世(Henry VIII)誕生。
1492/11/03,明応1/10/13
フランス王シャルル8世が、ヘンリー7世と和約し、
イングランド王位僭称者パーキン・ウォーベック支援の中止を約す(エタープルの和約)。
1494/10/03,明応3/09/04
アイルランド総督としてポイニングスが派遣される。
1494/10/12,明応3/09/13
アイルランド総督ポイニングスが、ドゥロイーダに議会を召集し、立法権がイングランドに従属することを定める。
1497/09/30,明応6/09/05
イングランドとスコットランドの休戦協定が成立する。
1499/11/23,明応8/10/21
ウォーベック(Warbeck,Perkin)が処刑される。(誕生:1474頃)。イギリスの王位詐称者。
ヨーク公リチャード4世と詐称し、ヘンリー7世に王位を請求して反乱を起こしたが失敗した。