ここでは、英国に関する歴史的事件を並べてあります。
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『歴史的事実を並べたものとは言っても、コピーライトについては、
上記参考文献から得た情報であることは明記することが必要です。
筆者自身で獲得したものも含まれますので、本データを転載する場合には
出典を明らかにしておくことが必要とであると考えます。
従って、転載に際してはこの説明文書をこのまま一緒に付随させて下さい。
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西暦/月/日,日本の暦/月/日
出来事の説明

となっています。
1500年〜1699年まで

1501/11/14,文亀1/10/04
ヘンリ7世の長男の皇太子アーサー王子とキャサリン・オヴ・アラゴンが結婚する。
1502/04/02,文亀2/02/25
アーサー王子(Prince Arthur)没。15歳(誕生:1486/09/19)。イギリスのヘンリ7世の長男。
1502/08/07,文亀2/07/05
スコットランド王ジェームズ4世が、ヘンリー7世の娘のマーガレットと結婚する。
1506/04/30,永正3/04/08
イギリスに滞在中のカスティリャ王フェリペ1世が、イギリスと「イギリス=ネーデルラント通商協定」を成立させる。
1509/04/21,永正6/04/03
ヘンリー7世(Henry VII)没。52歳(誕生:1457/01/28)。チューダー家のイングランド王。
1509/04/22,永正6/04/04
イギリス、ヘンリー8世が即位する。
1509/06/04,永正6/05/17
イギリスのヘンリー8世が兄嫁であったキャサリン・オヴ・アラゴンと結婚する。
1510/08/17,永正7/07/13
イギリス前王時代の財政担当補佐官のエンプソン(Empson,Sir Richard)とダドリー(Dudley,Edmund)が、大逆罪で処刑される。
1511/11/13,永正8/10/23
イギリス王ヘンリー8世が対仏神聖同盟に参加する。
1512/04/10,永正9/03/24
イギリス王となるジェームズ5世(James V)誕生。
1513/08/16,永正10/07/16
イギリスのヘンリー8世と神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世の両軍が北フランスのギーンガトでフランス軍を破る。
1513/09/09,永正10/08/10
ジェームズ4世(James IV)がイングランド北部に侵入し、イングランド軍と戦い死亡する。
40歳(誕生:1473/03/17)。スコットランド王。
1514/09/15,永正11/08/27
トマス・ウルジーがヨーク大司教に就任する。
1515/12/24,永正12/11/19
イギリスで、ウルジーが大法官に就任する。
1516/02/18,永正13/01/16
英女王「流血のメアリー」のメアリー1世(Mary I)誕生。
1517/05/01,永正14/04/11
ロンドンでの外国人居留者への迫害事件が起こる(災いのメーデー)。
1518/10/02,永正15/08/28
ウルジーの提案により、イギリス、フランス、スペイン、ドイツ、教皇が和約する(ロンドンの和約)。
1518/10/08,永正15/09/04
対オスマン同盟のロンドン条約が結ばれる。
1520/07/10,永正17/06/26
イギリスのヘンリー8世とカール5世がカレー協約を結び、両国の同盟が成る。
1521/08/04,永正18/07/02
カレーで、フランス、イギリス、神聖ローマ帝国が和平交渉を行う。交渉は決裂することになる。
1522/06/19,大永2/05/25
カール5世がイギリスを訪問し、ヘンリー8世と対仏同盟条約を結ぶ。
1529/10/17,享禄2/09/15
大法官トマス・ウルジーが失脚する。
1529/11/03,享禄2/10/03
宗教改革会議が開かれる。
1530/11/29,享禄3/11/10
トマス・ウルジー(Wolsey,Thomas)大法官が反逆の容疑で逮捕され、護送中に獄死する。
55歳(誕生:1475)。イギリスの聖職者で政治家。ヘンリー8世の離婚問題で失脚した。
1532/05/16,享禄5/04/12
イギリスで、トマス・モアが大法官を辞任する。
1532/06/23,享禄5/05/20
イギリスとフランスが対独同盟条約を締結する。
1532/07/06,享禄5/06/04
教皇クレメンス7世がヘンリー8世の離婚を認めないと宣言したため、
ヘンリー8世が教皇庁への納税を拒否する「初収入上納禁止令」を発効させる。
1533/01/15,天文1/12/20
イギリス、ヘンリー8世がアン・ブーリンと結婚する。
1533/05/23,天文2/04/29
ヘンリー8世が、自ら任命した大司教トマス・クランマーに、王妃キャサリンとの離婚を成立させる。
1533/06/01,天文2/05/09
イギリス、アン・ブーリンのイギリス王妃としての戴冠式が行われる。
1533/07/11,天文2/06/19
アン・ブーリンを王妃としたヘンリー8世が、教皇に破門宣告される。
1533/09/07,天文2/08/19
イギリス、エリザベス1世(Elizabeth I)がヘンリー8世とアン・ブーリンの間に誕生。
1534/04/17,天文3/03/04
トーマス・モアが大逆罪の罪人としてロンドン塔に送られ、ベル・タワーの地下牢に閉じ込められる。
1534/11/**,天文3/10/**
この月、イギリス国王ヘンリー8世が宗教改革議会を召集し、国王至上法を制定する。
これによりイギリス教会制度はローマ・カトリック教会から独立する。
1535/01/21,天文3/12/18
クロムウェルが、イギリス国王から修道院観察を命じられる。
1535/06/17,天文4/05/17
フィッシャー司教の刑が執行される。
1535/07/06,天文4/06/06
トーマス・モア(More,Sir Thomas)が王位継承法への署名を拒んだため大逆罪で裁かれ、
ロンドン搭に15カ月間幽閉されたのち、この日斬首の刑に処せられる。
57歳(誕生:1478/02/07)。イギリスの大法官。
1536/01/07,天文4/12/14
キャサリン(Catherine of Aragon)没。
50歳(誕生:1485/12/15)。イングランド王ヘンリー8世の最初の妃。
1536/04/24,天文5/04/04
アン・ブーリンの不貞の真相を調査する特別委員会が組織される。
1536/05/02,天文5/04/12
エリザベス1世の母アン・ブーリンが逮捕されてロンドン搭に送られ、
5人の男と姦通したという理由で死刑を宣告される。
1536/05/15,天文5/04/25
アン・ブーリンの尋問がロンドン塔の警備隊長公舎で行われる。
父のトマス・ブーリン、兄のロックフォード卿らが同席する。
1536/05/17,天文5/04/27
ロックフォード卿が、王妃の密通に手を貸したとの理由で処刑される。アン・ブーリンの兄。
1536/05/19,天文5/04/29
アン・ブーリン(Anne Boleyn)がロンドン搭広場の処刑台で斬首される。
(誕生:1507)。ヘンリー8世の妃でエリザベス1世の母。
1536/05/29,天文5/05/10
アン・ブーリンを処刑したばかりのヘンリー8世が、ジェーン・シーモアと正式に結婚する。
1536/06/29,天文5/06/11
クロムウェルが玉爾尚書に就任する。
1537/02/10,天文6/01/01
イギリスで、「恩寵の巡礼」の指導者サー・フランシス・バイゴッドが逮捕される。
1537/10/12,天文6/09/09
イギリス王妃ジェーン・シーモアが世継ぎの王子を出産する。
1537/10/15,天文6/09/12
ハンプトンコートの王室チャペルで、世継ぎの王子の命名式が行われる。エドワード王子と名付けられる。
1537/10/24,天文6/09/21
ジェーン・シーモア(Jane Seymour)が産褥のトラブルで没。(誕生:1509)。イギリス王妃。
1539/05/**,天文8/04/**
この月、ヘンリー8世が、議会で旧教的教義を擁護する「6ヵ条法」を成立させる。
1540/01/06,天文8/11/27
ヘンリー8世が、ドイツのクレーヴェ公の娘アンと結婚する。
1540/03/23,天文9/02/15
ロンドン北東部のウォルサム修道院がヘンリー8世に解散させられ、
中世以来イギリス教会の重要な役割を担ってきた修道院が全て姿を消す。
1540/06/18,天文9/05/14
クロムウェルが反逆罪で逮捕される。
1540/07/09,天文9/06/06
ヘンリー8世とアン・オブ・クレーブズの結婚の無効が宣言される。
1540/07/28,天文9/06/25
トマス・クロムウェル(Cromwell,Thomas)が処刑される。55?歳(誕生:1485)。
ヘンリー8世の妃としてグレーヴェ公の娘のアンを勧めたことが原因。
1540/07/28,天文9/06/25
ヘンリー8世が、アン・ブーリンの従姉妹にあたるキャサリン・ハワードと結婚する。
1541/01/23,天文9/12/27
ヘンリー8世がアイルランド国王を称する。
1541/10/18,天文10/09/29
マーガレット(Margaret Tudor)没。51歳(誕生:1489/11/29)。
イングランド王ヘンリー7世の長女で、スコットランド王ジェームズ4世と結婚した。
1542/01/22,天文11/01/07
ヘンリー8世が、はじめてアイルランド王を名乗る。
1542/02/17,天文11/02/03
キャサリン・ハワード(Catherine Howard)が、公権喪失法(結婚前の愛人との関係)によって処刑される。
(誕生:1520)。ヘンリー8世の第5の妃。
1542/11/24,天文11/10/18
ヘンリー8世が、ソルウェイ・モスの戦いでスコットランド軍を破ってスコットランドのイギリスへの帰属を一方的に宣言する。
1542/12/07,天文11/11/01
スコットランドの女王となるメアリー・ステュワート(Mary Stuart)誕生。
1542/12/14,天文11/11/08
ジェームズ5世(James V)没。30歳(誕生:1512/04/10)。スコットランド王。
生後1週間のメアリー・ステュワートが母后メアリーを摂政として即位する。
1543/02/11,天文12/01/08
カール5世とヘンリー8世が、対仏同盟を結ぶ。
1543/06/22,天文12/05/20
ヘンリー8世が、神聖ローマ皇帝軍と共同してフランドルへ出撃する。
1543/07/12,天文12/06/11
ヘンリー8世が、キャサリン・パーと結婚する。
1544/07/14,天文13/06/25
ヘンリー8世が、神聖ローマ皇帝軍とのピカルディ侵攻のため大陸に遠征する。
1544/08/17,天文13/07/29
イギリス・神聖ローマ皇帝連合軍がサン・ディズィエを占領する。
1544/09/14,天文13/08/27
イングランド軍が、ブローニュ(ブルゴーニュ)を占領する。
1545/02/25,天文14/01/14
イングランド軍がスコットランドに侵入するが失敗する。
1545/08/15,天文14/07/08
フランスとイギリスの間でショーラム沖の海戦が行われる。
1546/06/07,天文15/05/09
イングランドとフランス・スコットランドの戦争がアルドゥルの和約により終結する。
1547/01/28,天文16/01/07
ヘンリー8世(Henry VIII)が梅毒の悪化により没。55歳(誕生:1491/06/28)。
6人の女性と結婚したイングランド王。9歳のエドワード6世が王位を継ぐことになる。
1547/01/31,天文16/01/10
イングランドで、エドワード6世がロンドン塔に入り、伯父エドワード・シーモア(サマセット公)が摂政となる。
1547/02/19,天文16/01/29
エドワード6世がウェストミンスター・アベーで戴冠式を挙げる。
1547/09/10,天文16/07.26
摂政サマセット公の率いるイングランド軍がスコットランド軍を破る。
1547/11/**,天文16/10/**
この月、ヘンリー8世時代の「信仰の6ヵ条」法が廃止される。
1548/09/07,天文17/08/06
キャサリン・パー(Catherine Parr)没。36歳(誕生:1512)。イングランド王ヘンリー8世の第6の妃。
1548/**/**,天文17/**/**
この年、スコットランド女王メアリー・ステュワート(6)がフランスの皇太子フランソワ(4)と婚約し、
フランスのアンリ2世の宮廷に移住する。
1549/01/17,天文17/12/19
トーマス・シーモア卿が逮捕される。罪状は反逆罪で王位を狙う陰謀。
1549/01/21,天文17/12/23
イギリスで礼拝統一法が制定され、共通祈祷書を唯一の礼拝洋式と定める。
1549/03/20,天文18/02/21
トーマス・シーモア卿(Seymour of Sudeley,Thomas Seymour,Baron)が
ジェーン・グレーの陰謀に加担したとして処刑される。(誕生:1508頃)。サマセット公エドワード・シーモアの弟。
1549/08/08,天文18/07/15
フランスがイギリスに宣戦布告する。
1549/08/12,天文18/07/19
フランス軍がブローニュを攻囲する。
1550/03/24,天文19/03/07
ブローニュ講和条約が結ばれ、イングランドとフランス・スコットランドの間の戦争終結と
ブローニュのフランスへの返還が決まる。
1550/03/29,天文19/03/12
イングランドとフランスの講和が成る。
1550/09/05,天文19/07/24
イングランドで、サー・ウィリアム・セシルが国務大臣に就任する。
1552/01/22,天文20/12/27
サマセット公(Somerset,Edward Seymour,Duke of)が反逆罪で処刑される。
(誕生:1506)。イギリスの摂政。
1553/05/21,天文22/04/09
ヘンリー7世の曾孫娘のジェーン・グレーが、ノーサンバーランド公の息子のギルフォード・ダッドリーと結婚する。
1553/07/06,天文22/05/26
エドワード6世(Edward VI)が肺結核で没。15歳(誕生:1537/10/12)。
イングランド国王。ノーサンバランド公が医物に毒を盛るよう指示したとの説もある。
1553/07/10,天文22/05/30
イギリス、ヘンリー8世の孫のジェーン・グレー(16)が女王に擁立される。
1553/07/19,天文22/06/09
イギリス、メアリー1世がジェーン・グレーを廃し即位する。カトリック復帰政策が始まる。
1553/08/22,天文22/07/14
ジョン・ダドリ(ノーサンバーランド公)(Dudley,John,Duke of Northamberland)が処刑される。(誕生:1502)。イギリスの貴族。
1553/12/06,天文22/11/01
エリザベス王女が500名の騎馬隊に守られてハットフィールド離宮に向かう。
1554/01/25,天文22/12/22
サー・トマス・ワイアットが、メアリー1世がスペインのフェリペと結婚することに反対してケント州で反乱を起こす。
1554/02/12,天文23/01/11
ジェーン・グレー(Grey,Lady Jane)が処刑される。17歳(誕生:1537)。前年7月、在位9日で廃位された前女王。
1554/03/16,天文23/02/13
女王メアリーの結婚を妨げようとして前日反乱を起こした騎士ワイアットに
関係があると疑われたエリザベス1世が、ロンドン搭に送られる。
1554/04/11,天文23/03/10
サー・トーマス・ワイアット(Wyatt,Sir Thomas)が処刑される。(誕生:1521頃)。
メアリー1世の結婚に反対して反乱を起こした貴族。
1554/04/12,天文23/03/11
ギーズのメアリー皇太后が、スコットランド女王メアリーの摂政となる。
1554/05/19,天文23/04/18
エリザベス1世が、ロンドン塔での2ヵ月の獄中生活から生還する。
1554/07/25,天文23/06/26
イギリス女王メアリーが、スペイン王子フェリペと結婚する。
1554/11/**,天文23/10/**
この月、イギリス議会で国王至上法などの反ローマ立法が取り消される。新教徒迫害が過酷となる。
1555/04/30,天文24/04/10
イギリス女王メアリー1世が妊娠しているとの声明を発表する。しかし、想像妊娠であった。
1556/05/21,弘治2/04/13
トーマス・クランマー(Crammer,Thomas)が火刑に処せられる。66歳(誕生:1489/07/02)。
前カンタベリー大司教でイギリスの宗教改革者。
1557/06/07,弘治3/05/11
イングランドとスペインがフランスに宣戦布告する。
1557/08/10,弘治3/07/16
サンカンタンの戦いで、イギリス・スペイン連合軍がフランス軍を破る。
1558/01/05,弘治3/12/16
イギリスが大陸の持っていた最後の領土カレーを失う。
1558/04/24,永禄1/04/06
スコットランド女王メアリー・ステュワートが、フランス皇太子と結婚する。
1558/11/16,永禄1/10/07
メアリー1世が、エリザベス王女の王位継承を承認する。
1558/11/17,永禄1/10/08
メアリー1世(Mary I)(多くの新教派を処刑したので「流血のメアリー」と呼ばれた)が病没。42歳(誕生:1516/02/18)。イギリス女王。
1558/11/20,永禄1/10/11
サー・ウィリアム・セシルが国務大臣に就任する。
1558/11/21,永禄1/10/12
新女王となったエリザベスがロンドンに入る。
1558/12/27,永禄1/11/18
エリザベス新女王が、「英国国教会の行事はすべて英語を使う」と宣言する。
1559/01/15,永禄1/12/07
エリザベス1世(25)がイギリス女王として戴冠式を行う。エリザベスはメアリー時代のカトリックよりも新教を選択する方策をとる。
1559/04/02,永禄2/02/25
イギリスとフランスが、カトー・カンブレージ条約で和平し、イタリア戦争が終結する。
1559/04/26,永禄2/03/19
イギリスで、国王至上法と礼拝統一法が制定され、国教会のプロテスタント化が進む。
1560/07/06,永禄3/06/13
エディンバラ条約が結ばれ、スコットランド、フランス軍が撤退する。新教徒の摂政評議会の設置をイングランドに約束する。
1560/09/08,永禄3/08/18
エリザベス女王と噂のあったダドリー卿の妻のエイミー・ロブサートが、オクスフォードに近い自宅の階段の下で首の骨を折って死んでいるのが見つかる。
1560/12/05,永禄3/11/18
フランソワ2世(Francois II)没。16歳(誕生:1544/01/19)。シャルル9世が即位し、母后カトリーヌ・ド・メディシスが摂政となる。メアリー・ステュワートの夫。
1561/08/19,永禄4/07/09
フランソワ2世が死去したため、スコットランド女王メアリー・ステュワートがフランスから帰国する。
1562/04/15,永禄5/03/12
フランス新教派のコンデ公が、イギリスのエリザベス女王に援助を要請し、カレーの譲渡を約束する。
1562/06/22,永禄5/05/21
エリザベス女王が、フランスのユグノーの指導者コンデ公に軍事援助を約束する。フランス新教徒はル・アーヴルの譲渡を約束する(ハンプトン・コートの密約)。
1562/09/22,永禄5/08/24
フランスのユグノー軍がイギリスのエリザベス1世と条約を結んで、イギリスの支援と引き換えにカレーとル・アーヴルの譲渡を約束する(ハンプトン・コートの密約)。しかし翌年ル・アーヴルはフランスに奪還される。
1562/10/04,永禄5/09/07
イギリス軍がル・アーヴルを占領する。
1562/10/**,永禄5/09/**
この月、エリザベス1世が天然痘にかかる。
1563/04/10,永禄6/03/18
イギリスで、職人規制法が制定される。
1563/07/27,永禄6/07/08
フランス軍がル・アーブルを奪回する。イギリス軍は撤退する。
1564/04/11,永禄7/03/01
イギリスがカレーの権利を放棄する(トロワの和約)。
1564/04/23,永禄7/03/13
イギリスの戯曲作家、シェークスピア(Shakespeare,William)がストラスフォードに誕生。
1565/07/29,永禄8/07/03
スコットランド女王メアリー・ステュワートがダーンリー卿と結婚する。
1566/03/09,永禄9/02/18
リッチョ(Riccio,David)が、メアリーの夫ダーンリーに残酷な方法で暗殺される。(誕生:1533)。スコットランド、メアリー・ステュワートに寵愛された音楽家。
1566/06/19,永禄9/06/02
メアリー・ステュワートが男児(後のジェームズ6世)を出産する。
1567/02/10,永禄10/01/02
ダーンリー(Darnley,Henry Stewart)(メアリー・スチュワートの夫)が、対立しているボスウェルの一味の仕掛けた火薬で爆死する。21歳(誕生:1545/12/07)。メアリーは5月、誘拐されたという形でボスウェルと結婚する。
1567/05/15,永禄10/04/07
メアリー・ステュワートがボスウェル伯と結婚する。
1567/06/06,永禄10/04/29
メアリー・ステュワートとボスウェル伯との結婚に反対するスコットランドの国民がクーデターを起こす。メアリーはローフレーベン城に監禁される。
1567/07/25,永禄10/06/19
メアリー・ステュワートがスコットランド王位放棄の書類に署名し、長男ジェームズがスコットランド国王として即位する。
1568/05/13,永禄11/04/17
退位したメアリー・ステュワート(25)が新教派の摂政政治との争いに破れ、戦場を脱出してスコットランドの果てへ向かう。
1568/05/16,永禄11/04/20
メアリー・ステュワートが、スコットランドの幽閉地を脱出してイングランドに逃れる。しかしエリザベス1世はメアリーを再び幽閉する。
1568/10/04,永禄11/09/14
夫ダーンリを殺したとみなされたメアリー・ステュワートの治安裁判所の審問がヨークで開かれる。
1570/02/25,永禄13/01/21
教皇ピウス5世が、イギリスのエリザベス1世に対して「エリザベス破門教書」を発行する。
1577/12/13,天正5/11/04
イギリス、ドレイクが世界周航に出発する。
1578/03/12,天正6/02/04
スコットランド王ジェームズ6世が親政を開始する。
1583/08/05,天正11/06/18
イギリス人ギルバートが、ニューファウンドランドをイギリス領と宣言する。イギリス最初の植民地となる。
1584/01/19,天正11/12/07
[ユリウス暦1月9日]ロンドンのスペイン大使が追放され、イギリスとスペインの国交が断絶する。
1585/05/29,天正13/05/01
[ユリウス暦5月19日]スペインのフェリペ2世が、スペインの港に停泊するイギリス船の拿捕を命令する。イギリスへの宣戦布告となる。
1585/07/27,天正13/07/01
イギリス人ローリ卿が、北米ヴァージニアのロアノーク島に最初の植民団を送る。
1585/12/**,天正13/11/**
この月、イギリスがユトレヒト同盟の要請によりレスター伯の軍隊をオランダに派遣する。
1586/07/27,天正14/06/11
[ユリウス暦7月17日]エリザベス1世の暗殺を狙うバビントンの陰謀が発覚する。
1586/08/14,天正14/06/29
[ユリウス暦8月4日]エリザベス1世の暗殺とメアリー・ステュワート即位の陰謀を計画したバビントンが逮捕される。メアリは絶体絶命に追込まれる。
1586/09/30,天正14/08/18
[ユリウス暦9月20日]バビントン(Babington,Anthony)が処刑される。24歳(誕生:1561/11)。エリザベス1世の暗殺を企てた陰謀家。
1587/02/18,天正15/01/11
[ユリウス暦2月8日]メアリー・ステュワート(Mary Stuart)が断頭台で処刑される。44歳(誕生:1542/12/07)。フランスの王妃、スコットランドの女王だった悲劇の女王。カトリック教徒でメアリーの小姓であったバビントンがエリザベスを暗殺しメアリーを救出する陰謀を企てたため。悲劇の女王。
1587/04/**,天正15//**
この月、ジョン・フォックス(Fox,John)没。(誕生:1516)。イギリスの神学者。「教会の活動」を出版した。
1588/04/05,天正16/03/10
イギリスの哲学者ホッブス(Hobbs,Thomas)誕生。
1588/05/28,天正16/05/04
スペインの無敵艦隊がイギリス遠征のためリスボンを出発するが、逆風のため船足が進まず、水・食料の不足を招く。
1588/07/11,天正16/05.18
スペインの無敵艦隊がようやくコルニャを出発して英仏海峡に向かう。
1588/07/29,天正16/06/06
イギリスのエリザベス1世と敵対していたスペイン王フェリペ2世がイギリス遠征を企て、5月にリスボンを出発したスペイン無敵艦隊がこの日イギリス沖に達する。
1588/07/31,天正16/06/08
[ユリウス暦7月21日]スペインの無敵艦隊がイギリス海軍と戦闘を開始する。8月8日のグランヴリーヌの海戦で無敵艦隊は12隻を失って戦力を失い敗北する。
1588/08/07,天正16/06/15
[ユリウス暦7月28日]イギリス海軍が火災を起こした船を6隻、風上から無敵艦隊めがけて突入させる。
1588/08/08,天正16/06/16
[ユリウス暦7月29日]スペインの無敵艦隊がグランヴリーヌの海戦で12隻を失い暴風にあって支離滅裂になりイギリス海軍に大敗する。
1589/04/**,天正17/03/**
この月、イギリス提督フランシス・ドレークがポルトガル遠征を行うが失敗する。
1589/**/**,天正17/**/**
この年、ウィリアム・リーが、足踏みメリヤス編み機を発明する。
1594/11/17,文禄3/10/06
[ユリウス暦11月7日]イギリスとフランスの両国同盟軍が、ブレストをスペイン軍から奪回する。
1596/05/26,文禄5/04/29
[ユリウス暦5月16日]イギリスとフランスが、対スペイン攻守同盟を締結する。
1597/08/11,慶長2/06/28
[ユリウス暦8月1日]ハンザ諸都市の請願で、イギリス商人が帝国から追放される。
1598/05/02,慶長3/03/27
フランスとスペインの間でヴェルヴァン条約が結ばれ、仏英戦争が終わる。
1599/04/25,慶長4/03.01
イギリスの護国卿クロムウェル(Cromwell,Oliver)誕生。
1600/12/31,慶長5/11/26
イギリス東インド会社を設立する。
1601/02/18,慶長6/01/16
[ユリウス暦2月8日]イギリスでエセックスの反乱が起こる。
1601/03/06,慶長6/02/02
[ユリウス暦2月24日]エセックス(Essex,Robert Devereux)伯が処刑される。34歳(誕生:1566/11/19)。エリザベス1世の寵臣の貴族で、エセックスの反乱を起こした。
1603/04/03,慶長8/02/22
[ユリウス暦3月24日]エリザベス1世(Elizabeth I)が国民敬愛のうちに没。69歳(誕生:1533/09/07)。生涯を独身で通したイギリス女王。イギリスの王にはスコットランド王ジェームズ・ステュワート6世がジェームズ1世として即位することになる。
1603/04/09,慶長8/02/28
アイルランドで反乱に加わったアルスター地方の族長ヒュー・オニールが降伏する。イギリスのアイルランド征服が完成する。
1603/05/17,慶長8/04/07
[ユリウス暦5月7日]スコットランド王ジェームズ6世がイギリスの王位を継ぐためロンドンに入り、グリニッジ宮殿に入る。
1603/12/01,慶長8/10/29
ギルバート(Gilbert,William)没。63歳(誕生:1540/05/24)。物理学者。磁気学の父。
1605/11/14,慶長10/10/04
[ユリウス暦11月4日]イギリスで、ガイ・フォークスなどによる火薬陰謀事件が発覚する。
1606/04/12,慶長11/03/05
イギリスのジェイムス1世が勅状を出して、イングランドのセント・ジョージ・クロスとスコットランドのセント・アンドリュー・クロスを組合わせた共通旗のユニオン・フラグと呼ばれるようになる旗を艦船が使用するように要請する。
1606/12/20,慶長11/11/21
120名の植民者が、3隻の小船のスーザン・コンスタント号、ゴッドスピード号、ディスカヴァリー号に乗ってロンドンを出発する。
1607/05/14,慶長12/04/19
イギリスの植民者がジェームズタウンに上陸を開始する。
1616/05/03,元和2/03/18
[ユリウス暦4月23日]シェークスピア(Shakespeare,William)没。52歳(誕生:1564/04/23)。イギリスの戯曲作家。
1617/03/31,元和3/02/24
[ユリウス暦3月21日]ポカホンタス(Pocahontas)(レベッカ)がイギリスで没。(誕生:1595頃)。アメリカインディアンの王女だったが、ジョン・ロルフと結婚した。
1620/09/06,元和6/08/10
イギリス、メイフラワー号が出航する。
1620/11/11,元和6/10/17
メイフラワー号が北米ケープ・ゴッドに到着する。
1620/11/19,元和6/10/25
メイフラワー号が、マサチューセッツのコッド岬に到着する。
1621/12/**,元和7/11/**
この月、7年ぶりに開かれた議会が、ジェームズ1世の外交と財政政策を厳しく批判する。
1623/03/09,元和9/02/09
アンボン事件。インドネシアのアンボン島で、オランダ商館長がイギリス商館員ら20人を処刑する。
1623/07/14,元和9/06/17
[ユリウス暦7月4日]イギリス教会音楽の作曲家ウィリアム・バード(Byrd,William)没。80歳(誕生:1543)。
1625/04/06,寛永2/02/29
[ユリウス暦3月27日]ジェームズ6世(James VI)(イングランド王ジェームズ1世)没。58歳(誕生:1566/06/19)。メアリー・ステュワートの子、スコットランド王。
1625/06/23,寛永2/05/19
[ユリウス暦6月13日]イギリスのチャールズ1世が、フランス王女アンリエット・マリーと結婚する。
1626/03/05,寛永3/02/07
[ユリウス暦2月23日]ジェームズ1世の寵臣バッキンガム公(34)が、前年のスペインのガディス攻撃失敗により議会の弾劾を受ける。
1626/04/09,寛永3/03/13
フランシス・ベーコン(Bacon,Francis)没。65歳(誕生:1561/01/22)。イギリスの哲学者。
1626/06/25,寛永3/05/02
チャールズ1世が議会を解散し、3月5日に議会の弾劾を受けたバックンガム公を救う。
1628/03/27,寛永5/02/22
[ユリウス暦3月17日]イングランド国王チャールズ1世が議会を召集する。エドワード・クック起草の「権利請願」が提出される。
1628/06/17,寛永5/05/16
[ユリウス暦6月7日]イングランド国王チャールズ1世(28)が、議会の提出した権利請願を裁可し、引き換えに財産難解消のための特別税を承認させる。
1628/09/02,寛永5/08/05
[ユリウス暦8月23日]バッキンガム公(Buckongham,George Villiers,1st Duke of)が、再度のラ・ロシェル遠征のため出航直前に暗殺される。35歳(誕生:1592/09/07)。イングランドの貴族でジェームズ1世の寵臣。
1629/03/12,寛永6/02/18
[ユリウス暦3月2日]イングランドのチャールズ1世が議会を解散し、無議会時代が始まる。
1630/05/29,寛永7/04/18
イングランド王チャールズ2世(Charles II)誕生。
1630/11/05,寛永7/10/01
[ユリウス暦10月26日]マドリード条約が結ばれ、イギリスとスペインが和約する。
1632/06/20,寛永9/05/03
チャールズ1世が、ボルチモア卿カルバードにメリーランドを与える。
1636/10/28,寛永13/09/30
ハーバード大学が設立される。
1637/06/30,寛永14/05/08
ピューリタン作家のプリンが、王室誹謗の罪で耳をそがれる。
1638/09/24,寛永15/08/17
ジョン・ハーヴァード(Harvard,John)没。30歳(誕生:1607/11/29)。ハーヴァード大学創立基金の寄贈者。
1639/03/09,寛永16/02/05
[ユリウス暦2月27日]イングランドとスコットランドの第1次主教戦争が始まる。
1640/04/23,寛永17/03/03
[ユリウス暦4月13日]イギリス国王チャールズ1世が、11年ぶりに議会を召集する(短期議会)。
1640/05/15,寛永17/03/25
[ユリウス暦5月5日]国王チャールズ1世が議会を解散する。
1640/11/13,寛永17/09/30
[ユリウス暦11月3日]エリザベス1世以後、新教(イギリス国教)を選択するスコットランドの王ジェームス1世、チャールズ1世の治政が続いていたが、専政の圧政に議会が反発し、この日から13年間の長期議会が始る。
1640/11/**,寛永17/11/**
[ユリウス暦11月]この月、リルバーンが議会により釈放される。
1640/12/21,寛永17/11/09
[ユリウス暦12月11日]ピューリタン派のロンドン市民らが、国教会廃止を請願する。
1641/01/**,寛永17/11/**
[ユリウス暦1月]この月、国教会廃止法案が上提されるが、決議されずに終る。
1641/02/25,寛永18/01/16
[ユリウス暦2月15日]イギリスで、3年議会法が成立する。
1641/05/22,寛永18/04/13
[ユリウス暦5月12日]ストラッフォード伯(Strafford,Thomas Wentworth,Earl of)が専制の責任により処刑される。48歳(誕生:1593/04/23)。チャールズ1世国王の側近。
1641/12/02,寛永18/10/30
[ユリウス暦11月22日]庶民院に、国王の悪政を列挙し議会改革のプログラムを明示した「大抗議文」が提出される。
1641/12/**,寛永18/11/**
[ユリウス暦12月]この月、民兵条例が発布される。議会が軍事権を握ることとなる。
1642/01/14,寛永18/12/14
[ユリウス暦1月4日]イギリス国王チャールズ1世が議会に乗り込んでピムやハムデンなど議会派指導者6人を逮捕しようとして失敗する。
1642/01/20,寛永18/12/20
[ユリウス暦1月10日]国王チャールズ1世が北部のヨークに向い、軍隊を集める。
1642/07/**,寛永19/06/**
[ユリウス暦7月]この月から翌月にかけて、州委員会の組織と議会軍が編成される。エシックス伯が総司令官となる。
1642/08/22,寛永19/07/27
[ユリウス暦8月12日]イギリス国王がノッティンガムで議会に宣戦する。第1次内乱が始まる。清教徒革命が始まる。
1643/01/04,寛永19/11/14
[ユリウス暦1642年12月25日]数学者、物理学者となるニュートン(Newton,Sir Issac)誕生。
1643/07/**,寛永20/06/**
[ユリウス暦7月]この月、ウェストミンスター宗教会議が開催される。
1643/10/21,寛永20/09/09
[ユリウス暦10月11日]国王側と議会側のウィンスビーの戦いが行われる。
1644/07/12,寛永21/06/09
[ユリウス暦7月2日]イギリス、マーストン・ムーアの戦い。クロムウェルの「鉄騎兵隊」の働きにより議会軍が勝利する。これ以降、議会軍が優勢となる。
1644/07/22,寛永21/06/19
[ユリウス暦7月12日]マーストン・ムーアの戦いで勝利したクロムウェルの議会軍がイングランド北部をおさえる。
1644/12/19,寛永21/11/20
[ユリウス暦12月9日]イギリスで辞退条例が成立する。議員は軍務から退き、長老派が軍隊指揮権を失う。
1645/01/20,正保1/12/23
[ユリウス暦1月10日]ウィリアム・ロード(Laud,William)が処刑される。71歳(誕生:1573/10/07)。ピューリタンを弾圧したため長期議会で弾劾されたカンタベリ大司教。
1645/06/24,正保2/05.01
[ユリウス暦6月14日]クロムウェル率いる議会軍が、ノーサンプトン州ネーズビーの戦いで王党軍を壊滅させる。
1646/02/**,正保3/01/**
[ユリウス暦2月]この月、後見裁判所および軍役保有が廃止される。
1646/05/15,正保3/04/01
[ユリウス暦5月5日]イングランド国王チャールズ1世が、スコットランド軍に投降する。第1次内乱が終る。
1646/10/16,正保3/09/08
古代文化史家エリアス・アシュモールがランカシャーのウォリントンでフリーメイソンに加入する。
1647/05/30,正保4/04/26
[ユリウス暦5月20日]イギリスで、平等派が憲法改革の請願を庶民院に提出する。庶民院は請願書の焼却を命令する。
1647/06/13,正保4/05/11
[ユリウス暦6月3日]イギリス、軍隊内に軍評議会が設置される。これはアジテーターズ、将校、連隊長などにより構成される。
1647/06/14,正保4/05/12
[ユリウス暦6月4日]スコットランド軍が、国王チャールズ1世を議会軍に引き渡す。
1647/06/14,正保4/05/12
[ユリウス暦6月4日]翌日にかけて、ニューマーケット・ヒースで軍隊の大集会が開催される。
1647/06/20,正保4/05/18
[ユリウス暦6月10日]スリプロウ・ヒースで再び軍隊の大集会が開催される。
1647/08/27,正保4/07/27
[ユリウス暦8月17日]軍隊がロンドンへ進軍する。長老派と国王との妥協が阻止される。クロムウェルは軍を議会に入れる。
1647/10/25,正保4/09/28
[ユリウス暦10月15日]フェアファックス宛に「軍の主張」が提出される。
1647/11/07,正保4/10/11
[ユリウス暦10月28日]ロンドン郊外バトニーで、平等派の改革案「人民協約」について会議が開かれ、平等派は人民主権の共和国を主張し、ピューリタン革命の徹底を訴えて独立派幹部を批判する。
1647/11/19,正保4/10/23
[ユリウス暦11月9日]庶民院がクロムウェルの指令により、「軍の主張」と「人民協約」を拒否する。
1647/11/25,正保4/10/29
[ユリウス暦11月15日]軍隊閲兵式で、人民協約支持の一部兵士が忠誠を拒否する。首謀者14名が逮捕される。
1648/05/11,慶安1/03/19
[ユリウス暦5月1日]イギリスの議会派内の内乱に乗じて、王党派が各地で蜂起し、スコットランド軍がイングランドに侵入して第2次内乱が起こる。
1648/12/16,慶安1/11/02
[ユリウス暦12月6日]イギリス、革命を目的とした独立派のプライド大佐が兵を率いて議会を取り囲み、長老派を追い出し独立派の支配を確立させる(プライドのパージ)。
1649/01/02,慶安1/11/19
[ユリウス暦1648年12月23日]イギリスで国王裁判の布告が出る。
1649/01/14,慶安1/12/02
[ユリウス暦1月4日]イギリス議会が国家の最高権力であると宣言する。
1649/02/06,慶安1/12/25
[ユリウス暦1月27日]イギリス、チャールズ・ステュワート1世に死刑判決が下る。
1649/02/09,慶安1/12/28
[ユリウス暦1月30日]チャールズ1世(Charles I)が、27日の判決によりホワイトホールの外側に設けられた処刑台上で斬首の刑に処せられる。48歳(誕生:1600/11/29)。ピューリタン革命が最高潮に達する。
1649/03/**,慶安2/02/**
[ユリウス暦3月]この月、イギリスで貴族院(上院)が廃止される。
1649/04/29,慶安2/03/18
イギリス、クロムウェルに処刑された反乱部隊の首謀者の1人ロッキャーの葬式が行われる。
1649/05/29,慶安2/04/18
[ユリウス暦5月19日]イギリス、議会が共和政宣言(コモンウェルズ宣言)を発する。
1649/08/25,慶安2/07/18
[ユリウス暦8月15日]クロムウェルがアイルランド蜂起鎮圧のため遠征し、この日上陸する。
1649/10/**,慶安2/09/**
[ユリウス暦10月]この月、リルバーンが国外に追放される。
1650/07/04,慶安3/06/06
[ユリウス暦6月24日]亡命していたチャールズ2世(20)がイギリスに上陸する。クロムウェルが行動を開始する。
1650/**/**,慶安3/**/**
この年、オックスフォードにイギリス最初のコーヒー・ハウスが開店する。
1651/09/13,慶安4/07/29
[ユリウス暦9月3日]ウースターの戦い。チャールズ2世はフランスに亡命する。
1651/10/**,慶安4/09/**
[ユリウス暦10月]この月、共和国会議が航海条令を可決する。輸入品を積む船を自国船に制限する。
1651/**/**,慶安4/**/**
この年、ウィリアム・ハーヴェーが「動物の発生に関する研究」を出版する。
1652/05/29,慶安5/04/22
[ユリウス暦5月19日]ドーヴァー海峡を通過していたオランダ軍艦が、イギリス軍艦に儀礼を要求されながらこれを無視する。英蘭戦争のきっかけとなる。
1653/04/30,承応2/04/03
[ユリウス暦4月20日]クロムウェルがランプ議会を武力解散し、指名議会が開会される。
1653/07/14,承応2/06/20
[ユリウス暦7月4日]クロムウェルが「聖者の議会」を召集する。
1653/12/22,承応2/11/03
[ユリウス暦12月12日]イギリス、軍指令官クロムウェルらのクーデターで議会は解散する。
1653/12/26,承応2/11/07
[ユリウス暦12月16日]イギリス、ランパートが憲法「統治章典」を読上げる。これによりクロムウェルが護国卿の地位につく。
1654/04/15,承応3/02/28
[ユリウス暦4月5日]ロンドンで、イギリスとオランダの間でウェストミンスター条約が締結され、2年間にわたった第1次英蘭戦争が終結する。
1654/09/13,承応3/08/03
[ユリウス暦9月3日]議会が召集され、クロムウェルと軍隊の独裁に対抗する。
1655/02/01,承応3/12/25
[ユリウス暦1月22日]クロムウェルが議会を解散する。
1655/05/**,明暦1/04/**
この月、提督ウィリアム・ペンが率いるイギリス軍がジャマイカ島に遠征し、オランダ軍を破って島を占領する。
1656/09/27,明暦2/08/10
[ユリウス暦9月17日]議会が召集される。
1656/10/29,明暦2/09/12
天文学者エドムンド・ハレー(Halley,Edmond)誕生。
1657/03/23,明暦3/02/09
前年スペインに宣戦布告されたイギリスが、フランスとパリ条約を結んでスペインに対抗する。
1657/04/04,明暦3/02/21
[ユリウス暦3月25日]議会がクロムウェルの王位推戴を決定する。クロムウェルはこれを拒否する。
1658/09/13,万治1/08/16
[ユリウス暦9月3日]クロムウェル(Cromwell,Oliver)没。59歳(誕生:1599/04/25)。イギリスの護国卿。子のリチャードが護国卿になるが、翌年辞任する。
1660/02/13,万治3/01/03
[ユリウス暦2月3日]スコットランド軍司令官モンクがロンドンに入城する。
1660/04/14,万治3/03/05
[ユリウス暦4月4日]ブレダの宣言。帰国途上のチャールズ2世が革命派の大赦などを約束し、国王と議会の権利復古を宣言する。
1660/05/18,万治3/04/10
[ユリウス暦5月8日]王政復古。仮議会がチャールズ2世の即位を宣言する。
1660/06/04,万治3/04/27
[ユリウス暦5月25日]イギリス、チャールズ2世が亡命中のオランダから帰国し、ドーヴァー海峡に着く。クロムウェル没後の王政復古のはじまり。
1660/06/08,万治3/05/01
[ユリウス暦5月29日]大陸に亡命していたチャールズ2世がイギリス国王に即位し、王政復古が成される。
1661/01/30,万治3/12/30
クロムウェルの棺がウェストミンスターから掘出され、遺体が晒ものになる。
1661/05/03,万治4/04/05
[ユリウス暦4月23日]イギリス王チャールズ2世が、ロンドン塔から始める即位式の行列を復活する。
1662/05/29,寛文2/04/12
[ユリウス暦5月19日]礼拝統一令が議会で承認される。1000人の清教徒が聖職から追放されることになる。
1662/07/25,寛文2/06/10
[ユリウス暦7月15日]イギリスで、王立協会(ローヤル・ソサイェティ)が設立される。
1662/12/27,寛文2/11/17
[ユリウス暦12月17日]サミュエル・ピープスがロンドン塔の4度目の宝探しを行う。しかし宝は見つからずに終る。
1662/**/**,寛文2/**/**
この年、ロバート・ボイルが、気体の体積は圧力に反比例するというボイルの法則を発見する。
1663/04/03,寛文3/02/25
[ユリウス暦3月24日]イギリス国王チャールズ2世が、王政復古に功のあった8人に、アメリカのヴァージニアからフロリダに至るるカロライナ地方を与える。
1663/08/**,寛文3/07/**
この月、イギリス議会で、航海条令が補修され、貿易促進法が決議される。
1664/09/05,寛文4/07/16
3隻のイギリス艦隊が、マンハッタン島のニューアムステルダム港を包囲する。
1664/09/08,寛文4/07/19
イギリスが、オランダからニューアムステルダム港を奪取し、「ニューヨーク」と改名する。
1665/02/06,寛文4/12/22
イギリス女王となるアン(Anne Stuart)誕生。
1665/03/04,寛文5/01/18
[ユリウス暦2月22日]第2次英蘭戦争が起こる。イギリスがアメリカ大陸でニューアムステルダムを奪ったことが原因。
1665/07/13,寛文5/06/01
[ユリウス暦7月3日]イギリス艦隊が、南イギリスのローストフト沖の海戦でオランダ艦隊を破る。
1666/06/01,寛文6/04/29
北フランスのダンケルク沖の4日間の海戦で、オランダ海軍提督ミシェル・デ・ロイテルの艦隊とイギリス艦隊が対決し、オランダが優勢となる。
1666/09/12,寛文6/08/14
[ユリウス暦9月2日]ロンドンで大火。89の教会、1万3200の民家が灰になる。世界5大大火の一つ。
1666/09/15,寛文6/08/17
[ユリウス暦9月5日]ロンドンの大火が鎮火に向かう。
1666/**/**,寛文6/**/**
この年、ニュートンが万有引力の法則を発見する。
1667/06/22,寛文7/05/01
[ユリウス暦6月12日]オランダ海軍が、テムズ川を上ってロンドンに迫る。
1667/07/31,寛文7/06/11
[ユリウス暦7月21日]ブレダで和平条約が結ばれ、第2次英蘭戦争が終わる。
1667/08/20,寛文7/07/01
[ユリウス暦8月10日]ロンドンで、詩人ジョン・ニルトンが長編叙事詩『失楽園』を刊行する。
1667/11/30,寛文7/10/15
イギリスの小説家スウィフト(Swift,Jonathan)誕生。
1668/01/23,寛文7/12/10
イギリスとオランダが、フランスに対抗してハーグ同盟を結ぶ。
1669/08/31,寛文9/08/05
ヘンリエッタ・マライア(Henrietta Maria)没。59歳(誕生:1609/11/25)。イングランド王チャールズ1世の妃でフランス王アンリ4世の末娘。
1670/06/01,寛文10/04/14
[ユリウス暦5月22日]イギリス国王チャールズ2世が、従弟のフランス国王ルイ14世とドーヴァーの密約を交わす。
1671/02/25,寛文11/01/16
[ユリウス暦2月15日]イギリスの数学者ジェームス・グレゴリーが、円周率に関する級数を発見し手紙で報告する。π=4(1-1/3+1/5-1/7+・・・)。
1671/**/**,寛文11/**/**
この年、ジョン・ミルトンが叙事詩『復楽園』と悲劇詩『闘士サムソン』を合本で刊行する。
1672/03/27,寛文12/02/28
[ユリウス暦3月17日]イギリスがオランダに宣戦布告し、第3次英蘭戦争が始まる。
1672/03/**,寛文12/02/**
この月、チャールズ2世が信仰自由宣言を公布する。
1673/04/08,寛文13/02/21
[ユリウス暦3月29日]イギリス国王チャールズ2世がカトリックに傾斜するのを警戒したイギリス議会が、国教徒以外の者が文武の官職に就くことを禁じる審査法(審査律)を成立させる。
1673/08/21,寛文13/07/10
テセル島沖の海戦。オランダ艦隊が、英仏連合艦隊を破る。
1674/02/19,延宝2/01/14
[ユリウス暦2月9日]イギリスとオランダが再びウェストミンスター条約を結び、第3次英蘭戦争が終結する。
1674/11/08,延宝2/10/11
ミルトン(Milton,John)没。65歳(誕生:1608/12/09)。詩人。
1674/12/19,延宝2/11/22
[ユリウス暦12月9日]クラレンドン(Clarendon,Edward Hyde,Earl of)が逃亡先のルーアンで没。66歳(誕生:1608/02/28)。イギリスの政治家で大法官。歴史家。
1675/06/**,延宝3/05/**
この月、建築家クリストファー・レンが、セント・ポール寺院の再建工事に着手する。
1675/12/19,延宝3/11/03
イギリス王チャールズ2世が「コーヒー店取り潰し」の布告を出す。しかしコーヒー店の反発で11日で取り消す。
1675/**/**,延宝3/**/**
この年、ロンドン近郊のグリニッジに、王立天文台(グリニッジ天文台)が創設される。
1675/**/**,延宝3/**/**
この年、グレゴリー(Gregory,James)没。(誕生:1638)。スコットランドの数学者で発明家。反射望遠鏡を発明した。
1678/08/23,延宝6/07/07
[ユリウス暦8月13日]イエズス会士がイギリス国王チャールズ2世の暗殺の陰謀を企てているという噂が飛ぶ。カトリックに対する反感が強まる。
1679/06/05,延宝7/04/27
[ユリウス暦5月26日]イギリス議会で人身保護法が制定される。
1679/10/10,延宝7/09/06
メーヨ(Mayow,John)没。36歳(誕生:1643/05/24)。化学者。
1679/12/04,延宝7/11/02
ホッブス(Hobbs,Thomas)没。91歳(誕生:1588/04/05)。イギリスの哲学者。
1680/11/25,延宝8/10/05
[ユリウス暦11月15日]イギリス下院で可決されていたカトリック教徒の王弟ユーク公を王位継承権が上院で否決される。
1681/07/**,延宝9/06/**
この月、王位継承排除法案を推進してきたシャフツベリー伯が反逆罪の容疑で投獄される。
1682/08/**,天和2/07/**
この月、天文学者エドモンド・ハレーが彗星を発見する。ハレーは1705年にこの彗星の軌道計算に成功し、この彗星は「ハレー彗星」と名付けられることになる。
1683/06/**,天和3/05.**
この月、非国教徒による国王チャールズ2世とヨーク公の暗殺計画が発覚する。
1683/07/31,天和3/06/08
[ユリウス暦7月21日]ウィリアム・ラッセル(Russell,William,Count of Bedford)が反乱罪で断首される。43歳(誕生:1639/08/08)。チャールズ2世とヨーク公を暗殺しようと企んで捕らえられた。
1685/02/16,貞享2/01/13
[ユリウス暦2月6日]チャールズ2世(Charles II)没。54歳(誕生:1630/05/29)。イングランド王。弟のジェームズ2世が即位する。
1685/04/23,貞享2/03/20
イギリス、ジェームズ2世が王政復古で亡命先から帰国して国王に即位し、戴冠式を行う。
1688/05/07,貞享5/04/08
[ユリウス暦4月27日]イギリス国王ジェームズ2世が、カトリックの復活を図る「信仰の自由宣言」を再公布する。
1688/06/20,貞享5/05/23
[ユリウス暦6月10日]イギリス、ジェームズ2世のカトリックの王妃に王子が誕生する。
1688/07/10,貞享5/06/13
[ユリウス暦6月30日]トーリー、ホイッグ両党の指導者がオランダ統領ウィレム(ウィリアム)に招請状を送る。名誉革命の発端。
1688/09/24,貞享5/09/01
フランス軍の攻撃で、アウグスブルク同盟戦争の戦端が開かれる。
1688/10/10,貞享5/09/17
[ユリウス暦9月30日]ウィリアムが招請受諾の宣言を発表する。
1688/11/15,元禄1/10/23
[ユリウス暦11月5日]名誉革命。オランダの総督ウィリアムがイギリスのホイッグ党、トーリー党の政治家の招請に応じてトーベーに上陸してロンドンに向かう。
1688/12/29,元禄1/12/07
[ユリウス暦12月19日]イギリス、ホイッグ党、トーリー党らに離反された王ジェームズ2世がオランダの総督ウィリアムに追われてイギリスを離れる(名誉革命)。
1689/02/01,元禄2/01/12
[ユリウス暦1月22日]ジェームズ2世王を失ったイギリスにオランダの総督ウィリアムが入り仮議会を開く。
1689/02/23,元禄2/01.04
[ユリウス暦2月13日]イギリス議会がウィリアムとメアリーにイギリスの共同統治者としての王冠を捧げ、同時に「権利宣言」を提出してこれを両者に承認させる。
1689/03/22,元禄2/02/02
[ユリウス暦3月12日]フランスに亡命していた前イギリス国王ジェームズ2世が、王位回復を目指してアイルランドに上陸する。
1689/03/24,元禄2/02/04
[ユリウス暦3月14日]スコットランド議会が、ウィリアム3世と妻のメアリ2世をスコットランド王と女王として認める。
1689/07/25,元禄2/06/09
フランスがイギリスに戦線布告する。イギリスはプファルツ戦争に参加する。
1689/12/26,元禄2/11/15
[ユリウス暦12月16日]イギリス、議会が「臣民の権利および自由を宣言し、王位継承を定める法律」いわゆる「権利章典」を発布する。
1690/07/10,元禄3/06/05
[ユリウス暦6月30日]ドーヴァー海峡のビーチ岬の戦いで、フランス艦隊がイギリス・オランダ連合艦隊を破る。
1690/07/11,元禄3/06/06
[ユリウス暦7月1日]イギリス国王ウィリアム3世の軍が、ボイン湖畔の戦いで、前国王ジェームズ2世のアイルランド・フランス連合軍を破る。
1690/**/**,元禄3/**/**
この年、イギリスの思想家ジョン・ロックがロンドンで「統治二論」を刊行する。
1691/07/22,元禄4/06/27
[ユリウス暦7月12日]ウィリアム3世のイギリス軍が、オーグリムの戦いでアイルランド・フランス連合軍を破る。
1691/12/18,元禄4/10/29
バクスター(Baxter,Richard)没。76歳(誕生:1615/11/12)。聖職者。「聖徒の永遠の憩い」。
1691/12/30,元禄4/11/11
[ユリウス暦12月20日]ボイル(Boyle,Robert)没。64歳(誕生:1627/01/25)。
ボイルの法則を発見した化学者で物理学者。
1692/02/23,元禄5/01/07
[ユリウス暦2月13日]グレンコーの虐殺。
イギリス国王ウィリアム3世への忠誠を拒否するスコットランド人が弾圧される。
1692/05/29,元禄5/04/14
[ユリウス暦5月19日]イギリス・オランダ連合艦隊が、ドーヴァー海峡のラ・オーグの海戦でフランス軍を破る。
1694/05/05,元禄7/04/12
[ユリウス暦4月25日]長びくフランスとの戦いに対して戦費の調達を円滑にするため、
イングランド銀行が設立される。国債の引き受けが主な業務。
1695/01/07,元禄7/11/22
[ユリウス暦1694年12月28日]メアリ2世(Mary II)没。32歳(誕生:1662/05/10)。
イギリスはウィリアム3世の単独統治となる。イギリス女王。
1697/09/20,元禄10/08/06
フランスとアウグスブルク同盟がライスワイク条約で和を結ぶ。
1699/06/11,元禄12/05/14
フランス、イギリス、オランダが第1次スペイン分割条約の修正に合意し、第2次スペイン分割条約が成立となる。