磯子区(横浜)の歴史!!

開港前の横浜

横浜の開港

文明開化と横浜

国際港都への発展

現在の磯子

◇開港前の横浜

・旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代
当時は明確な県や市、区などの区分はありませんが、横浜に人が住み始めたのは今から約2万5000年ほどです。横浜では岡村の三殿台遺跡が見つかっており、貝塚や住居跡等が発見されています。三殿台遺跡は縄文時代〜古墳時代までの3つの時代の遺跡であり農業が始まったころの横浜の姿を確認することができました。


・鎌倉、室町時代の横浜
9世紀の後半から藤原氏による摂関政治が始まると、権力者への荘園の寄付が盛んになり、12世紀はじめには伊勢神宮(三重県)に寄付されました。横浜でも豪族の榛谷氏(はんがやし)が寄付し、支配した榛谷御厨(旭、保土ヶ谷区)がよく知られています。その後、荘園の管理を担当した荘司たちの中から土地に住み着く者が現れ、それが武士として成長し、武士の時代へと移っていきました。


・新田開発
幕府の政治が安定すると、産業経済の面で独自の開発がすすめられました。横浜市域内でも入海の埋め立てや荒野の開発などが行われました。こうしてできた新田にはその開拓者の名前が付けられ、横浜発展のもとをつくりました。

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◇横浜の開港

・黒船の渡来
1853年(嘉永6年)6月3日、浦賀沖に、ペリーが率いる4隻の軍艦が現れました。ペリーは幕府に鎖国をやめさせ、港を開かせようとしました。しかし、幕府はそれに応じませんでした。すると、1854年(安政元年)1月16日、再び7隻の船体を率いてペリーが来航し、金沢の小柴沖に停泊しました。


・横浜港の誕生
ペリーによって鎖国を解かれた日本は、アメリカ総領事ハリスの外交手腕によって新たに世界経済の中に引き込まれていきました。

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◇文明開化と横浜

・新政府と横浜
100戸足らずの半農半漁を業(なりわい)とする村であった横浜に、開港によって西洋の文化が急速に入ってきたため、人々の生活儀式や風俗がめざましく変わっていき、文明開化の波を日本で一番早く受けたのは横浜でした。

・横浜もののはじめ
開港場横浜は日本の玄関として、西洋の文化や風俗が流入する窓口となりました。欧米人の来訪や居留する数も多くそれらは次第に日本人の生活に取り入れられていきました。

・新しい施設
文明も開化もともに、世の中が開けて行くという意味があるが、文明開化の訪れは当時の人々の生活の仕方を大きく変えていきました。

・人力車から鉄道へ
文明開化の訪れにより、交通機関が大きく発達しました。

・学制頒布(がくせいはんぷ)
1872年(明治5年)に出された学制により、江戸時代から全国に普及した寺子屋、私塾その鉾の教育機関は、すべての政府の管轄下におかれ、大学・中学・小学の制度に組み替えられました。当時の生活費から考えると国民には相当大きな負担でした。

・横浜三紛争と民権運動
明治になって地方の政治がととっていく一方、役人による専制的な政治が行われるようになると、貿易によって独自の地位を築いていた貿易商人や市民と役所との対立が目立つようになりました。

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◇国際港都への発展

・市制施行
政府は1877年(明治10年)の西南戦争後、地方政治をととのえることに力をいれ、1878年(明治11年)、地方三新法(郡区町村編成法、府県会規則、地方税規則)を発布しました。1880年(明治13年)年には区町村会法を制定して、区、町、村を地方自治体として位置づけました。

・進展する貿易
明治になると出船、入船が増大し、貿易額も神戸とともに急速に伸びてきました。

・発展する商工業
明治になると新政府は富国強兵、殖産興業の旗じるしのもと、国の発展を図るために、新しい企業を起こして生産をあげることに努めました。そのため主要貿易港として進展の著しい横浜にもいろいろな施策が行われました。貿易が発展し資本の蓄積がある程度進む明治も後半になると、貿易港の特性を生かして輸出工業が盛んとなりました。このように明治から大正にかけて横浜の商工業はめざましい発展をとげました。

・近代産業の発達と関東大震災
1914年(大正3年)に起こった第一次世界大戦は、軽工業から重工業へ活発な変化をみせつつあった日本の産業に強い影響を与えました。この大戦による好景気は、重工業部門はもちろん軽工業部門の成長にも大いに役立ち、県内にも次々と新設工場が生まれていきました。しかし、1923年(大正12年)9月1日、突如として大地震が起こり、一瞬にして関東一円を混乱の中におとしいれてしまいました。

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◇現代の磯子

西暦(年)年号(年)日付内容
1927昭和210月1日区制発行で磯子区誕生。
同時に、鶴見区、神奈川区、中野区、保土ヶ谷区が発足。市内5区となる。
滝頭町、磯子町、岡村町、森町、中原町、杉田町、矢部野町、田中町、栗木町、上中里町、峰町、氷取沢町、西根岸町、丸山町の14か町で発足した。
1927昭和212月1日磯子区字禅馬1番地に区役所庁舎が落成
1927昭和212月27日磯子区警察署庁舎が磯子町に落成
1928昭和34月1日滝頭尋常高等小学校(現在の滝頭小学校)が開校
1928昭和36月16日市電磯子線(吉野町 3丁目〜中村橋間)開通
1971昭和461月1日洋光台第二小学校開校
1971昭和464月1日洋光台第一小学校が開校(日下小学校洋光台分校から独立)、洋光台第一中学校が開校
1971昭和467月5日森一丁目〜六丁目、森が丘一丁目〜二丁目、中原一丁目〜四丁目を新設
1972昭和474月1日浜小学校東分校が磯子三丁目団地内に開校、傘のいらない小学校として話題呼ぶ
1973昭和484月1日上中里小学校が開校
1973昭和484月9日根岸線全通、洋光台〜大船間が営業を開始
1973昭和488月25日市電保存館が開館
1973昭和489月1日洋光台第三小学校が開校、洋光台第二小学校第四分校開校
1974昭和494月1日洋光台第四小学校が開校(洋光台第二小学校第四分校から独立)
1975昭和503月都市計画道路環状2号線森地区完成
1976昭和514月1日洋光台第二中学校が開校
1976昭和516月24日県道横浜逗子線(笹下釜利谷道路)開通
1976昭和517月26日岡村町を廃止。岡村一丁目〜八丁目を新設
1976昭和516月24日県道横浜逗子線(笹下釜利谷道路)開通
1976昭和517月26日岡村町を廃止。岡村一丁目〜八丁目を新設
1976昭和5111月1日森東小学校が開校
1977昭和524月1日県立磯子高等学校が開校
1977昭和5210月1日磯子区政50周年記念祝典挙行。第1回磯子まつり開催
1978昭和537月17日杉田一丁目〜五丁目を新設。中原町を廃止
1979昭和547月23日杉田六丁目〜九丁目を新設
1980昭和559月1日山王台小学校が開校
1981昭和564月1日氷取沢小学校が開校
1983昭和584月1日県立氷取沢高等学校が開校
1983昭和588月8日磯子町、栗木町、田中町を廃止。磯子四丁目〜八丁目、磯子台、栗木一丁目〜三丁目、田中一丁目〜二丁目を新設
1983昭和5810月29日区のシンボルマーク制定される
1984昭和594月1日森中学校が開校
1984昭和595月4日横浜こども科学館開館(平20.4.1 から「はまぎんこども宇宙科学館」の愛称へ)
1986昭和613月都市計画道路環状2号線(笹下地区)完成
1986昭和6111月3日栄区、泉区が発足。市内16区となる
1987昭和6210月1日区制施行60周年を記念して区の木「梅」、区の花「コスモス」を制定
1988昭和6311月21日杉田坪呑を新設。杉田町を廃止
1989平成17月5日金沢シーサイドライン開通
1993平成55月25日杉田地区センターが開館
1994平成64月19日根岸地区センターが開館
1994平成611月6日青葉区、都筑区が発足。市内18区となる
1997平成910月25日区政70周年記念式典を挙行。区の木・区の花のデザインマーク、区のイメージソング「みんなのISOGO 」を制定
1999平成114月14日環状3号線(南側区間)が開通
1999平成117月14日国道357号(新杉田町〜新磯子町)が開通
1999平成118月1日脳血管医療センターが万治病院跡地に開院、併せて老人保健施設が開所
1999平成1110月18日磯子土木事務所が磯子三丁目に移転
1999平成1111月15日磯子区総合庁舎(区役所、公会堂、図書館)が改築され、業務を開始
2000平成128月1日磯子地域ケアセンターが開所(平15.4.1 から磯子地域ケアプラザ)
2001平成132月15日磯子区福祉保健活動拠点が開所(平21.12.13「こすもす広場」に愛称決定)
2001平成1310月22日高速湾岸線の杉田〜三渓園間が開通
2002平成141月1日磯子福祉保健センターが開所
2003平成152月1日根岸なつかし公園が開園
2005平成173月28日環状2号線屏風ヶ浦バイパスが開通
2007平成199月28日根岸橋の架け替えが完成
2009平成2111月27日磯子区地域子育て支援拠点「いそピヨ」体験利用開始
2010平成221月19日磯子区地域子育て支援拠点「いそピヨ」グランドオープン
2011平成234月1日区のマスコットキャラクター「いそっぴ」を制定
2013平成257月横浜市電保存館 開館40周年リニューアルオープン
2014平成263月31日国道357号線(中区千鳥町〜磯子区新磯子町)が開通
2015平成277月5日シーサイドライン開業25周年

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