鎌鼬
旗風と共に起る妖異現象
鎌鼬 − カマイタチという変怪については、柳田国男も言及していない。よく言及するのは時 代小説作家である。江戸市中などで急所をざっくり斬られて死んでいる人があって、犯人が全く
痕跡を残さず、まるで空中から来て、空中へ飛び去ったとしか思えないようなとき、こいつはカマ イタチの仕業だ。という。
銃形平次は、下手人を明らかにしたくないとき、「自害か、カマイタチだろう」ということに してしまう。それなら殺人犯人はいなかったことになる。久生十蘭の『阿古十郎捕物帳』 のうち
「青ぎ」という一篇では、五人もの連続殺人が起り、キズはすべて同一で、左の耳下から咽喉へ むかって鎌の形に切りあげられ、そのため頸動脈も切断されて、ほとんどの被害者が声も立てず
に即死したろうという。これは人間わざではない、さてこそ鎌鼬?!ということになって、奉 行所の筆頭与力、森川庄兵衛という因業親爺の見本みたような男が、『倭訓莱』と首っぴきをし
ている。すると娘の花世が、 「鎌いたちとは、どんな形をしているのでしょう。いたちが鎌を持っていますのか……ちと受け とれぬ話だわねえ」 本から顛を上げた庄兵衛が金看板の苦ッつらで、
「いたちが何で鎌など持つ。ばかめが……一口に申さば、飛びちがいに、爪で掻き切るのだわい」 まず江戸のかなり教養のある武士でも、そのように解釈していたらしい。イタチまがいの一種
の妖獣がいて人をおそい、鎌のようにするどい爪で、サッと人の急所を切るのだと。
作者の久生十蘭はその場面で『倭訓莱』を引用している。−1奥州・越後・信濃の地方に、つ むじ風の如くおとづれて人を傷す。よって鎌風と名づく。そのこと厳寒の時にあって陰毒の気な
り。西土にいう鬼弾の類なりといえり、うんぬん。 そんなことが本当にあるものなのか、といえば、元よりごくまれにしかないものだから、一生 に一度も噂もきかない人もある道理。その人にとってはないも同然だが、今でもあるのだとい
う。日本・中国に限ったことでもないという。
さらにくわしい記述があるのは、『本草啓蒙』 で、越後高田海辺にて、行人曲阿の処を過ぐるに、忽ち砂高く吹上りて、下より気出ずるが
如く覚ゆれば、その人これに射られて卒倒し、省られざること傷寒の如し。病人の身に必ず償 月形の傷あり、故にかまきりむしといい、或はあかむしといい、或はすないたちという。越後七
奇中の鎌馳皆同様なり。このこと越後に限らず他国にもあり。と説いている。
また一書には京都・今出川へんにも、ときたまこの怪事に見舞われる人があり、そこでは 一目連とか羊角風と称え、やはりカマイタチという妖獣が、風に乗ってやって来て、人にそういう傷
害を与えると言い伝える。
そのカマイタチの図というのも私は見たことがあって、旋風の中にイタチとも子グマともつ かぬ獣がいて、下方を狙いすましており、その四肢に半月形の刃物をもっている……とも見える
のだが、絵師にしてみると、それが「爪」 のつもりなのだろう。だが九寸五分のヒ首ほどもある から、あれではカマイタチ氏は、いつもはどうして歩いているのだけ‥
もう一枚は 『本草啓蒙』 の中にも引例されている越後七奇 − つまり越後の七不思議を描い た、いうなれば昔の観光名物図である。
越後の七不思議とは、「雪の白兎」「奴石」「八つ房の梅」「弘智法印」「三度栗」「逆生の竹L それに、カマイタチである。
他の珍しい石とか、逆さに生長する竹とか、年に三回みのるクリなんかだったら、見にゆく値 打ちもあろうが、咽喉ッ首や足を旋風もろともスパッと切られてはたまらない。さてその図はと見れば、やはり渦を巻いて吹く風らしいものの上に乗っかって、太刀をかまえて、下界を狙って
いるカラス天狗ではないか
これにはがっかりした。越後では、カマイタチをイタチどころか、カラス天狗だと思っていた らしい。 『倭訓莱』 にいう鬼弾とか、京都の今出川でいう半角風というのは、中国にも似た例があること
を証するのであろう。かの地では風鬼とか称して、風が人を傷つけることがあるのを認め、また 羊角とは旋風のことであるから。羊のツノのように巻いて吹く風というのであろう。
珍しい例では、手塚治虫の長篇連作漫画『ブラック・ジャック』に、アメリカのミサイル研究 所の近くで、カマイタチにおそわれるというのがあった。アメリカにもこの怪風現象があるとい
うことにした点で、ユニークな漫画だった。元より、手塚治虫の漫画の着想は、すべてズバぬけ
てユニークなのだが……
その作品の中では、カマイタチは、ミサイルの実験が行われるたびに、その近くのとんでもな い個所に狂風が起り、そのためふいに通りあわせた人のヒフや肉が裂けて、大ケガをするのだと
いうことになっていた。
これは作者が、日本のカマイタチに対する近年の解明を利用したものと思われる。カマイタチ とは小規模な旋風が吹き起ったとき、空中の一部に真空が生じ、そこへ行きあたった人のヒフが
裂ける現象であると解釈されているからである。
昔はそんな理屈がわからなかったから、その現象を妖鬼妖獣のしわざとした。それがイタチの ような動物とされたのは、かの「雷獣」なるものが、イタチか、テンのような動物とされていた
からだろう0つまり人々はイタチに身におぼえのない罪を着せて、カマイタチという妖獣を幻
出したのであろう。
何ごとでも1怪物の名前さえも 漢字でものものしく書き、また中国に以前からあった名 称にかこつけて書くクセのあった江戸時代の人は、カマイタチまでも「窮奇」などと書いた。
鳥山石燕の 『画図百鬼夜行』 の中にもそう表記してある。
しかし窮奇という奴はカマイタチとは似ても似つかない、中国の西北の果てにいるという異獣 の名前である。トラに似て翼があり、飛んでいっては人を食らうというから、「トラに翼をつけ
たような」奴が本当に (?) いたことになる。こやつは道学先生が倭人・卑怯者のシンボルとし てこしらえたような奴で、忠信なる人をみるとその鼻を嗅み切る。喧嘩をしていると正しい方に
飛びかかって食う。姦邪なる人には他の鳥獣を捕ってプレゼントするという、なんともはや人工 的でイヤな動物である。
不意をおそってサッと切るというのも卑怯な奴だから、カマイタチをこの索奇にムリしてくつ つけたのかも知れないが、不意討ちが卑怯だというのは武士的な言い方である。同じ武士的な言
い方で、「不意をつかれるのは油断があるからだ」 ともいえる。してみると・窮奇にカマイタチを こじつけたのは、やはり妙案だとはいえないようだ。