櫨屍
- 「凶属舞比、妖怪中の秀逸」
『西遊記』第二七回、「屍魔、三たび三蔵に戯れ、聖僧、恨みて美准王を逐う」の一条は、三蔵
法師と美輝王孫悟空の西天へ向かう一行が次々に遭う九々八一発の中でも、よほど人の興味をひ
くらしい。この部分を考証した研究もあるし、中国で出版された絵物語にも、この部分だけを詳
しくふくらませて一冊にしたのがある。漫画雑誌「オルフェLに発表された大坂尚子さんの「新
編・西遊記 白骨精綺譜」というのもある。
この条で、「山高ければ必ず怪あり、嶺唆なれば却って精を生ず!」とあって、三蔵をたぶ
らかしてその肉を食おうと企てた妖怪が、屍魔であって、小娘子・亀太太・老頭児と三回も化け
変って三蔵を迷わす。仙眼をそなえた神漠、孫悟空はそのつど看破して彼を叩きつけるのだが、
そのつビ三蔵は悟空が人を殺したといって激昂し、ついには悟空を追放する。しかし三度めには
屍魔は正体をあらわして死んでいるのである。死ぬと、とたんに白い骸骨にもどり、その脊椎骨
の上に (さすがは文字の国だけあって) 「白骨夫人」と記してあった。
このため大坂尚子さんはこの女妖の活躍する漫画に″白骨精″と名づけたのであろうし、中国
のその条だけを一冊にした絵物語の和訳にも″白骨の妖怪々と語られていた。
しかし、倍空はハッキリと「これは、霊を得て怪しいわざをする債屍が、こんな処で人を迷わ
し、本分を放るものです」 (太田辰夫・鳥居久靖訳『西遊記』平凡社) と説明して、殺人を犯したの
ではないと弁解しているのである。にもかかわらず八戒が師僧三蔵に、「師兄は師父の目をくら
まそうとしてあんなことをいうんでさあ」などと謹言するので、三蔵は動かされて、悟空を破門
してしまう……。
屍魔とよばれ、個人名は白骨夫人というこの女妖は、そのへんこ冊をナワバリにして、人を害
する債屍というものであった (「這妖怪是在這三田専門書人的債屍」)。
債Fとも、彊屍とも表記されるが、僅または彊の字はどちらも、たおれる、こわばるというイ
ミである。その他に両字とも「死んでも腐らない」というイミもあった。
つまり償屍というのは元来は″天然ミイラ″ のことであり、まれに起る屍騰と化して、原形を
保っている死骸もそれに入る。中国では漢の時代から「人の死体が僧している」記録がいくつも
残っている。『異苑』 『畷耕録』 『水経注』などに!
それが、死んだときとあまり変らない形のままでどこかに存在するだけでも気味がわるいの
で、時代と共にゾロゾロ怪異化され、歩きまわるとか、走って逃げるとか、生きている人と
争うとか、舞うとか言い伝えられるようになった。
やがて、このような妖異現象の中ではもっとも恐ろしく肉薄的な「追いかけて来る死体」とい
うモティーフが始まり、『夷堅志』 『閲微草堂筆記』 『爬聞録』などに次々に筆録されるようにな
る。これを走屍といい、動くだけなら屍勝と称するのだそうだ。
中には大の″憧屍研究家″で『子不語』 『統子不語』 に二〇例以上を集めて考証を加えた清の
衷随園のような人物も出た。
これらの材料は、みな澤田瑞穂『修訂 鬼趣談義』 (平河出版社)という名著から得たものであ
るが、澤田先生の次々に挙げておられる債屍の例のおびただしさには唖然としてしまった。
その多くの例の中、私がすでに知っていたものは『柳斎志異』の中の「F変」という、鬼気人
に迫る一篇だけだった。
むろんこれも「追いかけて来る死体」テーマのもので、数人の旅人が山東省の済南道にある陽
信の旅宿に泊る。その日、旅宿の主人の件の妻が死んだ。その死体がとなりの部屋に安置してあ
った。夜ふけて、さらさら、さらさらという音がきこえ、死人が起きあがって、四人の眠ってい
る旅人に次々にホーツ、ホーツと息を吐きかける=…・(これも僅屍がしばしばやるといわれている
行動で、息をかけられた人は皆絶命してしまうのであるが、日本にも伝わる有名な小泉八雲の『雪女郎』
のしぐさにも似ている)。
四人めは幸い目をさましていたので、まっさおになって逃げだす。しかし冷たい女屍はそれを
追って出て、郊外の寺まで逃げた旅人のすぐうしろに迫った。旅人はもう気も魂も身に添わず、
寺僧は目をさまさず、門をあけてくれないので、そこにあった白場の木を小楯にとって右へ左へ
逃げまわるうちに、ついに女の死骸はカが居きたのか、両手の指と爪を白榎の幹に突き立てたま
ま動かなくなった。
私はこの怪輿譜を読んだときふるえあがった。『雪女郎』 の話よりずっとこわかった。
債屍は、死者が死後硬直がはじまるときに、動き出すことがあり、その「妖怪化」したものと
解釈されているのを私もきいていた。し徹し多少動き出すくらいならまだしも それが人を殺
したり、追いかけて来てしつこくつきまとうとなると、そういう科学的説明だけでは充分でない
気がする。それらはすべて誇張だ。ホラ話だといってすませることが出来るだろうか=…・?
さらに私をびっくり仰天させたのは、この蒲松齢(『柳斎志異』の作者) の「F変」と、コナ
ン・ドイルの 『大学の怪異』 とのいちじるしい類似であった。
一八八四年の春、オックスフォード大学のべリンガムという異常な研究に耽っている学生が、
エジプトのミイラを一時的に蘇生させ、自分の意のままに動かして殺人を犯させる。それをもう
一人の学生スミスが、親友のヘーステイーの協力を得て、妨げようとする。スミスに自分の犯行
を見破られたと知ったべリンガムは、夜、ピータースン氏という教授を訪ねようとするスミス
を、「生きたミイラ」 に追跡させる。…その青年のうしろから追い迫るミイラというシーンが、
「P変」 にそっくりなのだ/
『柳斎志異』 は、一八八〇年にケンブリッジのジャイルズ教投によって英訳されているから、ド
イルがそれを読んで、おのれの作品に、そのモティーフを取りいれたのであろうか。=…・そうい
えば、ある日本の英文字者が、シェークスピアの『ハムレット』で、国王の亡霊があらわれる場
面は、『西遊記』の第三七回、三蔵の前に、夜、烏貌国の王の亡霊があらわれる場面から借用し
たものではないか、との説を立てたこともあった。
そちらの万は年代が合わないようだから、シェークスピアが西遊記を読んでいたということは
証明できないようだ。しかし、僅屍の方はシヤーロック・ホームズの作者ドイルに、思わぬ作品
のヒントを与えていたらしい。
そうして、僅屍は、かの屍鬼ヴエーターラとの関係も澤田先生以外は気づいている人もなく
===やがて近年に政んで、大いに香港ホラー映画に取り入れられ、おでこに1勅令 随身保
命」と書いた符を貼りつけた変な奴が、まっすぐ突っ立って、両手を前に出し、ピョン/ ピョ
ンノ とはね歩くという珍景を現出したのであった。
しかし『鬼趣談義』という労作に、三〇ページにもわたって億屍の例を列挙し、細密にそれ
を論じた澤田氏は、これに「形貌行動ともに凶属無比で、迫力のあること妖怪の弄逸というこ
とができる」という讃詞? を与えたのである。