人魚
アンデルセンの童話にも見られる、上半身は美しい女性の姿、下半身は魚の姿をした妖怪。美しい声で人々を惑わし溺死させてしまうセイレーンのような性質があるとも伝えられている。
日本では八百比丘尼の話で有名であろう。
ある漁師が漁に出かけたところ、一匹の人魚が網にかかった。かわいそうに思って逃がしてやると、お礼に土産を持たせてくれた。漁師はそれを食べなかったのだが、娘がそれを食べてしまった。実はそれは人魚の肉で、その肉を食べたためにその娘は不老不死になってしまったという話である。一見この娘は幸運に見えるが、その後の彼女の人生は決して幸せとは言いきれない。最初は良かったが、そのうち親しかった人は次々に老いて亡くなり、寂しくなって結婚してもいつも夫に先立たれてしまう。ついに彼女はこの世の無常を感じ、出家して尼となり、人里を避けて静かに暮らし、やがてその永い人生を終えることになるのである。
人間は常に不老不死の夢を抱いてきたが、実際は自分一人生きていても孤独になるだけで、幸せにはなれないのである。
限られた生であるからこそ愛しく大切なものであると思えるのではないだろうか。そして、私達は、限られた生の中で何ができるのか、何を成すべきなのかを見つけていく必要があるのではないか、と私は思うのである。