ペガサス
――メデユーサから生れた有翼馬――


真っ白い駿馬が双翼を羽ばたいて青天を翔る。――そのペーガソス(ペガサス)は「天馬」と呼ばれているが、ふつうそれは独り、馬だけが空高く飛ぶものであろうか。
それではガソリンスタンドの商標のイメージになってしまう。それではこの天馬ペーガソスに乗る英雄は誰か。
一つ例をあげて言うならば、それはギリシャ神話の英雄(へ―ロ―ス)のひとり、ベレロポンテースである。
ベレロポンテース(ベレロポーン)もギリシャ神話の英雄が必ずそうであるように、アルゴス王プロイトスの妻アンテイアから不倫の恋をされ、それを拒んだために逆にプロイトスに讒訴されプロイトスの「この男を殺せ」と書いた手紙を自分で持って、リュキア王イオバテースの許へ行かされるという「運命の子」である。そしてイオバテースがベレロポンテースを殺そうという下心のもとに命じたキマイラ退治で天下に名を知られるのだ。
キマイラは合成動物という意味で「キメラ」という言葉が使われているらしい。その物語で有名になった。もちろん例によって、エキドナとテュポーンの子であり、体はライオンで、ヤギとライオンの頭が二つ並んで生え、尻尾はヘビであった。そのヤギの口は火焔放射器で、飛翔能カこそないが、征伐しようと思えば地上にいる限り、炎を噴射されて、逃げようがないから、こっちが飛べるものに乗っていなければならない。
そこで、有翼の天馬ペーガソスの登場(パロドス)となる。ベレロポンテースは前から父である海神ポセイドーンからペーガソスを貰ってあったともいい、コリントスのペイレーネーの泉(ぺーゲー)に水を飲むために下りて来るのを、アテーナー女神に教わって、捕えて乗り馴らし、キマイラ退治に使った、とも伝えられている。

そうなると、ペーガソスはその水を飲みに降下して来るという泉(ぺーゲー)にちなんで命名されたというし、いつも天を翔りあるいて自由に生活している”野生馬”だったことになる。ではいったいペーガソスはどこから生れたか。
ということで、ベレロポンテースよりも、もっとポピュラーな怪物退治譚、、ペルセウスの物語に関係を生ずる。

――ペルセウスは、のちに天府オリンプスの神々に挑戦したと伝えられるベレロポンテースほどの烈しい個性はなく、「運命にもてあそばれる」だけの英雄(ヘ―ロ―ス)である。ペルセウスは怪物生産のもう一つの名門、ポルキュースとケートーから生れたゴルゴーンという三人の妖婆の中の一人、メデューサを退治する。メデューサとは例の見たものすべてを石に化すという蛇髪の妖婆である。ゴルゴーンの三婆は「生れながらに老女であった」とアポロドーロスの『ビブリオテーケー』には書いてある。が、別伝では、若くて美しい乙女だったときがあったという。ポセイドーンはその美少女だったときのメデューサと交わった。このためメデューサは妊娠したまま、ポセイドーンの神妃(きさき)、アンピトリテーに憎悪され、醜く、髪も蛇に変えられたのであるという。
ぺルセウスは、メデューサを見たら石になるのだから、その姿を映してうしろ斬りに、見ないで斬るためにニンフたちから鏡のようによくものを映す楯と、斬った首を入れる袋(キビシス)と、自分の姿をかくすハデスの帽子とを手に入れた。しかもヘルメースから金剛の鎌を与えられ、それでも足りずにアテーナーに手を引いてもらって、メデューサを全く見ないで、その鎌で首をはね落し、袋(キビシス)の中へ入れたのである。彼の物語がメルヘン的と称されるのはこのためである。
のちにペルセウスはこの袋(キビシス)の中の首を利用して母の復讐をとげ、かつ麗人アンドロメダーを救って妻とするのはいうまでもない。ところで、ゴルゴーンはステノーとエウリュアレーとメデューサとで、メデューサだけが不死身ではなかったので首を失ったわけであるが――ペルセウスが首を持って行ってしまってから、メデューサの首を失った切り口から、ペーガソスが飛びだして、翼を打ちひらいて、空へ舞いあがったというのだ。
それはポセイドーンの子でなくてはならない――ポセイドーンは海の神であるが、牛の神でもあり、馬の神でもある。牛に乗ったポセイドーン像も発見されているし、デメーテル女神が牝馬となってポセイドーンと交わり、神馬アレイオーン(アリオン)を生んだという話もある。呉茂一氏はコリントスに古くからメデューサという女神があったことをいい、「恐らく彼女もギリシャ先住民族の主女神の一人で、デメーテルも結局同一神格であろう。ポセイドーンはその天神であり、メデューサがその胎から、馬形の神霊を生んだものであろうか」と論じている(『ギリシア神話』新潮社)。

天空を飛ぶ馬は馬の美化・理想化であろう。
しかし、ギリシャ以外にも天駆ける馬は存在する。『今昔物語』にも五〇〇人の商人が羅刹国を観音菩薩のつかわした白馬で脱出するという話があって、同一テーマの話は本生経(ジャータカ)の一つ『ヴァラーハッサ=ジャータカ』にあり、岩本裕によると夜叉の都シリーサ・ヴァットゥに五〇〇人の商人が流れつく。
女夜叉(ヤクシニー)たちは男たちをたらしこみ、享楽に耽ったのち、飽きるとその男たちを取って食らうことを仕事にしている。その五〇〇人も同じ目にあったが、商人の頭は女夜叉たちのしわざと見ぬき、「神通力を有して天空を飛ぶことのできる雲馬」を呼び、仲間の半数を救い出すという筋書きである。
これなどはまさにアジア的ペガサスといっていいだろう。
『一千一夜物語』にも、もちろん飛行馬は出てくる。一つは極めて古いペルシャ系の物語と考証されている「魔法馬の物語」で、これは生きた馬というよりも、魔法使いのペルシャ人が発明した、機械のカで飛ぶ馬だということになっている。
 これらの「雲馬」と「魔法馬」には翼はないらしい。ところが同じ『千一夜』の第一五〜一七夜、「三番目の托鉢僧の話」では、どうやらジン族の娘たちであるらしい、四〇人の乙女のすむ宮殿に行った主人公が、さんざん快楽生活を送ったあげく、乙女たちにこういわれる。「あたしたちは出かけますが、その留守中、四〇の部屋のうち三九まではドアをあけてもいいが、四〇番目のドアは決してあけてはいけませんよ」。いわずと知れた「あかずの間」テーマで、主人公というものは、こういわれなければまだしものこと、いわれたがさいご、必ずそのドアをあけてしまうに決まっている!
 そして、その四〇番目の部屋に、黒光りする天馬がいたのである。それに乗って一鞭あてると、馬は「両の翼をひろげて大空高く舞いあがりました」とあるから、これは明らかにペーガソスであった。怪女メデューサから生れ、ベレロポンテースを乗せて活躍したペーガソスの子孫は、思いもかけず『千一夜』の中にいたのである。アラビア馬を作り出した愛馬民族アラビア人も、ギリシャの天馬に明らかに自分たちの理想を見いだしたのであろう。

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