ろくろ首
―外国から首だけが飛んで来た?―

寛政二年(一七九〇年)ごろ、一音日という俳諧師が新吉原で、首のひょろ−っと長い女に出逢 った。その女は遊女の一人であったという(『閑田耕筆』)。
松浦静山の『甲子夜話』にはある下女がろくろ首だったという話をのせ、『百物語評判』のろくろ首は人の女房であった。文化七年(一八一〇年)に、江戸は上野の山でろくろ首の見世物が初めて行われた。これは五十歳以上の男性で、ふつうより首が長い体格の人だったそうである。
しかしそれ以後にあらわれた見世物のろくろ首は、作り物の首と、女性が二人で演ずる仕掛けものであり、要するにイカサマであった。このころから、吉原でも、夜ふけて、屋根の棟も三寸下るという丑三つ時、どこかの寺の鐘が、陰にこもってボォーンンン・・・ということになって来ると、遊女が目をさまし、寝たまんまで、首だけのばして、行灯の油を舐めはじめるので、遊客はゾオーッとすくみあがるといった調子の怪談が、流行しだした時代でもあった。
かかる怪談は、遊客が何しろ酔眼もうろうとしており、その上寝ぼけているから、もしもその遊女が、ふつうの女性より首が少し長かったり、痩せ細って青白い病身の女性だったりしたら、たちまち化物だと誤認し、ヒャアッと腰を抜かすにいたったのであろう。ともかくこの種の話は「主に離魂病の伝説を誇張したものにすぎないようである」というのが藤沢衛彦氏の解釈である。
しかしながら、ロクロックビなんていうものがあるのか、あるとしたらそれはなんなんだ?と いう立場からは、その上に離魂病などというさらにゾッとするようなモティーフを重ねられては、わかりやすくなるどころか、いっそう怪談じみて来るではないか。
いったいロクロックビという独立した妖怪がいるのか。それとも何らかの病的現象なのか、というあたりから入って見よう。
ろくろ首の男性の例として、柴田宵曲がその梗概を記している『蕉斎筆記』によると、少くとも自分がろくろ首であることを知っている当人の告白によると、それは一種の病的現象のようにみえる。
この男というのは昔の増上寺の下男で、その夜、その男の首らしいものが、和尚の胸のあたりまで漂って来た。剛気な和尚はその首をつかんで投げやった。次の日になっても当の下男は病気と称して部屋から出てこない。あとになって和尚に「もうお寺にはいられませぬ、お暇を頂きます」と言う。
和尚「何故じゃな」 下男「昨夜お部屋へ首が参りませなんだか?」 和尚「フム来たようじゃが、投げつけたらそれきり来なんだ」 「やっぱり。・・・私には抜け首の病いがございまして、何ぞ腹を立てますと、夜首が抜け出すのです」
前日、手水鉢に水が入ってないといって、和尚にひどく叱られた。それを怒り怨むという念が生ずると、もう自分でもどうにもならない、首がひとりでに抜けて、和尚のところへさまよっていったというのだ。これは持ったが病いでどうにもならない。もうこのお寺にはいられない。……そう告白して下男は辞職し、故郷へ帰ったそうだ。
彼の故郷下総には、この病いが多いそうである、と『蕉斎筆記』は書いている。
抜け首の病などというものが本当にあるのだろうか。もしこれが悪夢を見る病癖にすぎないのならば、単なるノイローゼみたいなものだが、それなら和尚の目にその男とわかる首が見える筈はない。
その一方では抜け首の病いであることを自覚していず、夜、飛んで歩く首を見られ、おまえはロクロックビだろうといわれて、私はどこでもそういわれて暇を出されます、どうか年季一杯おいて下さいまし、と泣いて訴えた女中もある(『甲子夜話』)。ひどいのはロクロックビでも何でもないのに、噂を立てられて縁談をこわされ、被害をうけた娘の例だ。江戸時代には、そういう無責任なそらごとを言いふらす奴どもが多く、世間の噂々が大へんカをもっていた時代だから、そういう不幸な者も何人もあったのだ。
小泉八雲のラフカディオ・ハーンは、こうしたいくつもあるろくろ首ばなしの中で、『怪物輿論』という書物によって、あの『怪談』の中のろくろ首怪異譚を書いたと柴田翁はいっている(『妖異博物館』)。
あの有名な作品で見ると、四人の男女が草木も眠る丑三つ時に、みんな首だけ体をはなれて外で遊んでおり、回龍和尚はかねてからろくろ首は首が出かけているとき、体の方を動かしておくと、首が元の切りくちにもどれなくなるということを心得ていて、四人のうち主人の体を外へころがし出した上、これを知っておのれどうしてくれようと躍りかかって来る四個の首と乱戦し、退治するのであるから、これは全く独立妖怪扱いである。
ろくろ首は首がスーツと伸びるものと、首だけ外れて自由に飛びまわるものと二つあるらしい。そしてこの回龍和尚のろくろ首は、どう見ても夢遊病だの離魂病だの、そういう体格の人とは思えない。ろくろ首という妖怪だ。
ところで例の「百鬼夜行図」を描いた鳥山石燕であるが、彼の描いたろくろ首は首が細長くスーッと伸びるタイプである。しかしその詞書には飛頭蛮と書いてある。

当時の日本人は、チヤンボン国などと呼んでいた占城・今の南ヴエトナムの条に、その名がある。日く、
この国に屍頭蛮あり、元はある家の女で、瞳がないので人は怪しんでいた。夜、眠ってから頭だけ飛んでいって、汚物を食い、子供の肛門に吸いつく。その子は妖気におかされて死ぬ。
この頭が体を離れているときに、体を別の場所に移すと、屍頭蛮の首は元へもどれなくなって死ぬ。もし一家にこの怪があることを官所に知らせないでいると、罪はその一家全体に及ぶ(小川博訳註『瀛涯勝覧』吉川弘文館)とある。

このべトナム産ロクロックビは、目に瞳孔がない(従って白目ばかりで気味がわるいということになる)ことや、女性に限る(男のロクロックビはないらしい)ことや、汚物を食うことなどが、日本のロクロックビにはない特徴である。子供のお尻に吸いつくなんてまるで河童である。またこれに吸いつかれると、その妖気におかされて必ず死ぬというのも日本ではきかない話である。
しかし首のお留守中に、形骸を他へ移しておくと、首は復帰できなくなって死ぬというのは共通している。総じて、日本のロクロックビは、まっこうから出っくわしたところで、キャッといって気を失うくらいのことで、かの増上寺の和尚以外は、食ってかかられた者はない。それに対して、この海外の女ロクロックビたちは、人を死にいたらしめる有害な怪魔である。森島中良氏はこの外国産のロクロックビは、病人が排泄していると襲いかかって来て、結局妖気で死にいたるともいっている。

日本では冗談に、背のびしてのぞきこんだような場合、「首をロクロックビのようにのばして」などと表現するが、海外には、首がのびても、つながっているタイプのろくろ首はいないようである。

 

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