檸檬のキーワードごとの検索が出来ます。
アングル
的確な素描に基づく端正な形式美を追求した、フランス一九世紀の新古典派を代表する画家。
生活が蝕まれていなかった頃の美の象徴。「幻想的な城」の素材のひとつ。
→幻想的な城
安静
「私」が願う事のひとつ、「私」が必要としているもの。
病気の体や心を休ませたいとする願望が「私」にはある。
以前の「私」
以前とは生活が蝕まれる前であり、「不吉な塊」に押さえつけられる以前の事。
そのころの「私」は現実にあってそれを超えるものに心をのせる楽しみがあり、
「尋常な周囲を見回す時のあの変にそぐわない気持ち」が好きであった。
→えたいの知れない不吉な塊
裏通り
生活臭がし、崩壊していく家並みとともに「私」を慰めるもの。
「南京豆」や「花火」、「おはじき」なども同様。
みすぼらしくて美しいもの。
→向日葵、カンナ
美しい音楽、美しい詩
以前「私」の心を喜ばせていたもの。
しかし、 「えたいの知れない不吉な塊」に 押さえつけられている「私」には
これらを鑑賞する心の余裕はほとんどない。
このことは「丸善」の小物などにも共通して言える事である。
→えたいの知れない不吉な塊
えたいの知れない不吉な塊
作品中で主人公「私」が終始押さえつけられていたもの。
真の姿や正体、本質がわからない、答えを指し示す事のできない状態。
発表された当初、「塊」が「魂」として記され、正当な評価を受けられなかった。
おはじき
「私」の心を慰める「みすぼらしくて美しいもの」のひとつ。
これらは「私」の視覚に訴えるというよりは味覚に訴えるもの。
これ自体は無味であるが「味覚」とは口に入れた時の感触のことをさす。
この「味覚」は幼い頃の甘い記憶をよみがえらせ、現実的ではない世界へ「私」を引き戻してくれるのである。
→南京豆、花火、みすぼらしくて美しいもの
重苦しい場所
「私」にとっての丸善。
これの実体は「書籍、学生、勘定台」であり、
学校に行かず、怠け借金に背を焼く「私」の心に重くのしかかっている。
→丸善
カンナ
「私」の心を慰めるみすぼらしく美しい「裏通り」に対照的に咲く生命力のあふれるもの。
このような陰と陽のコントラストは後の果物屋の風景に通じるところがある。
→向日葵、裏通り
がらんとした旅館の一室
これや「清潔な蒲団」、「糊のよくきいた浴衣」などが象徴するものは旅情であり、
「不吉な塊」に押さえつけられている「私」は、たびたび現実から逃げ出したくなっているため、このような表現が見られる。
京都
「私」の現実生活の基盤置く場所。
「不吉な塊」に押さえつけられている「私」はここから脱出したいというような願望を持っている。
→ えたいの知れない不吉な塊
奇怪な幻想的な城
積み上げられた本の表現であり、「幻想的」なのは色彩のイメージからである。
「空虚な空気の中にぽつねんと一人取り残された。」
「私」の感じる空漠感。学校へ、友人の皆は行ってしまっているが、
自分は行っておらず、心の中では行かなければいけないとは思うのだが
足が学校へ足が向かないといった感じである。
→「何かが私を追い立てる」
果実屋
「私」が檸檬を購入する場所。
決して立派な店ではなく、「果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられ」る店であり、
「みすぼらしくて美しいもの」である。
漆塗りの黒い台の上にさまざまな色や形の果物が積み上げられている様子は
陰と陽のコントラストをかもしだす。
この店は京都府寺町通二条の角に「八百卯」として今も営業している。
→みすぼらしくて美しいもの、「周囲が真っ暗」
嫌悪、焦燥
「私」の感情。「えたいの知れない不吉な塊」によって引き起こされる。
→不吉な塊
「結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。
また背を焼くような借金などが行けないのではない」
ここではいけないのではないと否定されているが、
結果的にはこれが原因である。
否定する事によって「不吉な塊」にたいするイメージがより不気味なのとなリ
大きな力をもった実体として「私」のなかに浮かび上がらせるような効果を持っている。
→不吉な塊
錯覚
「不吉な塊」に押さえつけられている「私」の唯一の逃げ道。
背を焼くような借金を背負っている「私」にとってこれ以外気を紛らわす手はない。
そのため「私」は錯覚をおこそうと努めるのである。
借金
主人公「私」は「背を焼く」ほどの借金を背負っていた。えたいの知れない不吉な塊の正体のひとつ。
同類項→、「結果した―――」 、借金取りの亡霊、えたいの知れない不吉な塊
借金取りの亡霊
「私」にとっての「丸善」の位置を象徴するもの。
同類項→重苦しい場所、丸善
「周囲が真っ暗」
果物屋の周囲は本文中にある様に真っ暗であり、この果物屋が真っ暗でなければ、
「私」はそこまでこの果物屋に惹かれていなかったといっている。
神経衰弱
神経症の一種。「えたいの知れない不吉な塊」の正体のひとつ。
同類項→肺尖カタル、借金、「結果した―――」、えたいの知れない不吉な塊
清潔な蒲団
これや「がらんとした旅館の一室」「糊のよくきいた浴衣」「匂いのいい蚊帳」などが象徴するのは旅情であり、
「不吉な塊」に押さえつけられている「私」は、たびたび現実から逃げ出したくなっているため、このような表現が見られる
「何かが私を居たたまらずさせる」
「何か」とは勿論「不吉な塊」のこと。原因は深酒や病気、借金で
焦燥や嫌悪を含むが「私」にとってはあくまでも「何か」である。
→ えたいの知れない不吉な塊
「何かが私を追い立てる」
「何か」とは「えたいの知れない不吉な塊」の事。その「不吉な塊」に追い立てられ、
「私」は町から町へ放浪を続ける。
→「空虚な空気の中にぽつねんと一人取り残されてしまった。」、えたいの知れない不吉な塊
南京豆
「私」の心を慰める「みすぼらしくて美しいもの」のひとつ。
これらは「私」の視覚に訴えるというよりは味覚に訴えるもの。
これ自体は無味であるが「味覚」とは口に入れた時の感触のことをさす。
この「味覚」は幼い頃の甘い記憶をよみがえらせ、現実的ではない世界へ「私」を引き戻してくれるのである。
→おはじき、花火、みすぼらしくて美しいもの
匂いのいい蚊帳
これや「がらんとした旅館の一室」「糊のよくきいた浴衣」「清潔な蒲団」などが象徴するのは旅情であり、
「不吉な塊」に押さえつけられている「私」は、たびたび現実から逃げ出したくなっているため、このような表現が見られる。
糊のよくきいた浴衣
これや「がらんとした旅館の一室」「清潔な蒲団」「匂いのいい蚊帳」などが象徴するのは旅情であり、
「不吉な塊」に押さえつけられている「私」は、たびたび現実から逃げ出したくなっているため、このような表現が見られる。
肺尖カタル
肺尖の結核。肺結核の初期症状。
主人公「私」が患っていた病気であり、「えたいの知れない不吉な塊」の正体のひとつ。
同類項→神経衰弱、借金、「結果した―――」、えたいの知れない不吉な塊
花火
「私」の心を慰める「みすぼらしくて美しいもの」のひとつ。
「私」は本来の楽しみ方をする花火、つまり発光の色彩や形を楽しむのではなく、
「みすぼらしくて美しいもの」としての外装や形態、色彩に慰められる。
→みすぼらしくて美しいもの、南京豆、おはじき
廂
窓、縁側や出入口などの上に設けて日や雨を防ぐためのもの。
これがあるために、果物屋はよりいっそう暗く見える。
向日葵
「私」の心を慰めるみすぼらしく美しい「裏通り」に対照的に咲く生命力のあふれるもの。
このような陰と陽のコントラストは後の果物屋の風景に通じるところがある。
→カンナ、裏通り
美的装束をして街を闊歩した詩人
イギリスの詩人、オスカー・ワイルドスだという説と、ボードレールであるという説などがあり、特定は出来ていない。
「不審なことが、逆説的な本当であった」
一顆の檸檬を購入したことで、あれほどしつこく付きまとっていた憂鬱がまぎれるというのは、
普通はありえないが、「私」にとっては紛れもない事実であるということ。
「心」はなにかに左右される不思議さを持っているということでもあり、
梶井文学のひとつのモチーフである。
変にくすぐったい気持ち
自分の行為が面白みのあるおどけや洒落、ユーモアからきていることを自覚しており、
誰も知らないその行為を、ひそかに実行しようとしている「私」の心がおどるような気持ちが現れている。
丸善
洋書および、輸入雑貨の専門店。知性の象徴。
「私」にとっては重苦しい場所。
→重苦しい場所
マント
「私」はマントを着ているということから季節は冬であると推測できる。
みすぼらしくて美しいもの
「えたいの知れない不吉な塊」に押さえつけられている「私」が慰められるもの。
「不吉な塊」に対抗するもので、二銭や三銭の安価だが贅沢なものがそうである。
花火やおはじき、南京豆などがそうである。
二銭、三銭が今の「私」にとって手が出せる限度。檸檬を手に入れることの伏線。
→花火、おはじき、南京豆、裏通り
「無気力な私の触覚にむしろ媚びてくるもの」
「みすぼらしくて美しいもの」の位置付け。
「美しい音楽」や「美しい詩」のように自身の美を威圧的に誇示するのではなく、
美のほうから訴えかけてくるようなもの。
→みすぼらしくて美しいもの
よそよそしい表通り
洗練された装った美のある通り。「美しい詩」や「美しい音楽」などと同様、 「私」の心を居たたまれなくさせる。
→えたいの知れない不吉な塊
逆→裏通り
檸檬
「私」が果物やにて購入したもの。
「私」は檸檬の色や形が好きであった。その後「私」の全ての触覚にも訴えかける。
本来の食用として買うのではなく、 贅沢として買ったため、これも間違いなく「みすぼらしくて美しいもの」のひとつ。
「不吉な塊」に対抗する存在。檸檬の役割の変化については、ここを見てください。
→えたいの知れない不吉な塊、みすぼらしくて美しいもの、檸檬爆弾
檸檬爆弾
「私」の想像上の産物であり、気詰まりな「丸善」を爆破してくれるような破壊力を持つものとして「私」に位置付けられている。
私
「檸檬」の主人公。
背を焼くような借金を背負っており、肺尖カタルや神経衰弱にかかっている。
→背を焼く借金、肺尖カタル、神経衰弱
売柑者之言
漢文。この文の内容は干乾びた柑を高額な値段で買わされた人がそれを割ってみると、
煙のようなものが出、口や鼻をついたとあり、原文の内容的には、
腐敗臭が「鼻を撲」ったのだが、ここではあくまでも、するどく嗅覚に訴える表現として、
「鼻を撲つ」という言葉のみを用いている。
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