教科書作り実践
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高校1年のときの授業のノートを元に、教科書作りの手法で、教科書の実践例を作成しました。作品は志賀直哉作「城の崎にて」です。
Q夫 Qと表記、国語が苦手でいつもA子に質問ばかりしている、小説家志望、直ちゃんの友達。
A子 Aと表記、直ちゃんの友達で、Q夫の質問に答えられるほどの実力の持ち主。
直ちゃん 本名志賀直哉、文豪、「城の崎にて」を書く。
Q おはよう、A子ちゃん。
A おはよう、Q夫くん。
Q 今日は城の崎にてを語るんだけど、志賀直哉って誰なの?
A 直ちゃんの事だよ。
Q 直ちゃんは、そんなの書いてたの?
A そうよ。直ちゃんは白樺派に属していて、「和解」とか「暗夜行路」などを書いたのよ。何しろ小説の神様なんだから。
Q へー。じゃあ、この城の崎にてって、どんな位置づけなの?
A 大正の文豪に好まれた名文中の名文なのよ。じゃあ、この小説の構成を見てみようかな。
Q 6段構成だね。
A そうなのよ。
城の崎に来た理由
城の崎での生活、心境
ハチにいてのエピソード
ネズミにいてのエピソード
イモリにいてのエピソード
城の崎を去ってからのこと
こういう風な主題の構成なんだよ。じゃあ、文を読もうね。
Q あれっ、主語がないよ。
A それはね。作者が主人公だからだよ。
メロスは...というのは作者とは全く違う人だと言うことを表しているんだ。
私は...というのは作者とは独立した人の回想を表しているんだよ。
Q 主語がないことで、どんな影響があるの?
A 生々しい現実感が出るし、文が簡潔になるんだわ。
Q そういえば直ちゃんは、大正二年八月十五日に実際に電車にはねられちゃったんだよね。
A そうそう、つまり、これは私小説風心境小説なんだわ。
Q でも、何でまた城の崎なんかに行ったの?
A 直ちゃんさあ、電車にはねられて、その後養生に行くのよ。
Q そうか、忘れてた。直ちゃん、友達と酒を飲んで線路を歩いていてはねられたんだよね。
Q 直ちゃんそこに行ったとき、体はどうだったの?
A あの事故の後遺症で頭がはっきりしないし、物忘れが激しくなったんだって。
Q でも、体の傷は癒えて良かったね。気分はどうだったのや?
A 近年になくいい気分だったのよ。
Q 環境のせいもあるのかな。その場所はどんなところだったの?
A 自然に囲まれた散歩コースがあるのよ。都会の喧噪から離れていたし、秋の気候のせいもあったかもね。ただ孤独だったから、その中で自分自身に感心は向いてきたのね。
Q 小説を書くには最適だね。ところで、「の裾を回る辺りの小さなふち」って誰が回ってるの?
A 直ちゃんに小さいふちになっている所なんてある?川が回っているのよ。
Q じゃあ何でかなり沈んだことを考えるの?
A 周囲の冷え冷えとして寂しい雰囲気に飲まれたのね。具体的には死や怪我のことについて考えているでしょ。
Q でも何で静かないい気持ちになるんだい?
A やっぱり、死に対して親しみを持ち始めたからだね。
Q じゃあ、「それは寂しいが」のそれって何?
A 死んでいるという事よ。
Q それなら「危うかった出来事」って?
A 電車にはねられた事よ。
Q 事故で死を直ちゃん、身近なものと感じたのは分かるけど、何でクライブみたいに思わなかったの?
A まあ、静かだから、死ぬのも悪くないなと思ったのね。
Q この章段って何?
A この小説の主題ね。キーワードは親しみと寂しさと静かかな。
Q 忙しそうなハチを、直ちゃんどう見たの?
A いかにも生きている物という感じを受けたのよ。
Q じゃあ、死んだハチは。
A いかにも死んだ物という感じがして、静かで寂しくなったのよ。
Q 静かと寂しいってどう違うの?
A 静かというのは、客観的に落ち着いていて、死、そのものに対する感情の事ね。寂しいというのは、主観的に動いているものと比べたときに、寂しく感じるのよ。
Q 直ちゃん、そのハチの死をどう思っているの?
A 生とは動くもので、死とは動かないものだよね。その死の静かさに、親しみを感じたのね。
Q 「范の犯罪」って?
A 直ちゃんの短編で、ナイフ投げを仕事とする中国人「范」が、手元を狂わせて妻を殺してしまった。それが自分の意思だったのか事故だったのかを思い悩む范の気持ちを主にした小説よ。
Q 何でまた「殺されたる范の妻』なんて書く気になったの?
A 殺人者の范夜よりも、殺されて墓の下に眠る范の妻の方に共感したからね。何しろ直ちゃん自身も墓の下で眠っていたかもしれないんだもの。
Q 直ちゃん、今度はどうしたの?
A ある午前、首に魚ぐしの刺さったネズミが逃げまどうのを見たのよ。
Q 動作の表情って何?
A どうにかして助かろうとするネズミの動きの事ね。
Q アヒルが何で出てくるの?
A ネズミの、死から逃れようとする一生懸命さの対局としての頓狂なアヒルを出すことで、ネズミの死を引き立たせるのよ。
Q 寂しい嫌な気持ちって、どんな気持ち?
A 自分が願っている静かさ、その前の苦しみ、つまり死に到達する前のああいう苦しみへの恐れよ。恐ろしかっただろうけど、死からの逃避というのは、本能なの。だから、直ちゃんは普通よね。
Q じゃあ、「ああいう動騒」って?
A 必死にもがく生き物の死に至る前の死への拒絶の姿なのよ。
Q 「あれ」って?
A 本当は静かなはずの死が、その前に必死にもがく生き物の死に至る前の死への拒絶があるって事だよ。
Q 「それに近い自分」って?
A ネズミのように生き延びようとする自分の事よ。実際、死の恐怖に襲われてないのに「致命傷か?」と聞くし、そうでないと聞くと、急に元気付いたでしょ。つまり、無意識の内での恐怖があったのさ。だからこそ、病院での手配のような生きるための努力をしたのね。
Q 「で〜した」の意味がさっぱり分からないんだけど。
A じゃあ、全訳するわ。致命傷と言われたらどうなるだろうかと思ってみると、やはりネズミのような動騒となるだろう。それが「あるがまま」なのです。死は怖くないと思ってみても、実際、ネズミのような動騒を起こしてしまうだろう。しかし、死は怖くないと思ってみても、ネズミのような動騒を起こしても、それは「あるがまま」の自分なのです。だからそれでいいんです。という意味よ。指示語が多くて複雑ね。
Q 今回はどんな話?
A 直ちゃん、ネズミの動騒を見てしばらくたった夕方に、町に出ていったの。
Q それから静寂の中、風もないのにひらひらと動く葉を見つけたんだよね。どう思ったの?
A まず、不思議だと思ったのさ。その中に多少怖い気もしたのね。そこに好奇心が出てきたのよ。
Q 風が吹いて、葉が止まったんだよね。どうして?
A 左上の図を見て。葉っぱが一部分だけで枝についているときは、微風でも、揺れるでしょ。でも、逆方向に強風が吹くくと、枝に葉がくっついて、葉が止まるでしょ。これのことを言っているのよ。
Q それをどう思ったの?
A 大した理由はないと分かって、不思議でも、怖くもなくなったのね。
Q その後どうなったの?
A だんだん薄暗くなる中、見つけたイモリを脅かして水の中に入れようと、困りくらいの石を投げたのね。決してねらってたわけではないのよ。
Q そしたら?
A イモリが動かなくなって死んでいたんだよ。
Q それをどう思ったの?
A まず、とんだことをしたと思ったのね。次にその気がないのに殺した自分に妙な嫌気を感じたのよ。そしてイモリと自分だけになったような気がして、イモリの身に自分がなってその気持ちを感じたのね。そうしてかわいそうと思うと同時に、寂しさを感じたのよ。
Q 生き物の寂しさを、何で感じたの?
A イモリの死が、全く不意な、いかにも偶然の死だったからよ。自分との対比ね。
Q その「生き物の寂しさ」って?
A 自分もイモリのように死んでいたかもしれないように、偶然で生死が分かれてしまう。ロードクライブのように訳があるからではなく偶然に死んでしまう。と言うところに生き物共通の寂しさがあるのね。そう、それが全ての生き物の持つ運命よ。
Q ハチの役割って何だっけ?
A 死骸、つまり死の結果よ。
Q ネズミは?
A 死の直前の動騒ね。
Q イモリは?
A 死の瞬間に直接自分が手を加えてしまったのね
Q 自分は?
A 死にそうなのに死ななかった偶然だわ。つまり、死の周辺から死、そのものに関わっていったのね。偶然に自分は死ななかったのに喜びはわき上がらなかったのよね。
Q 何で?
A 生と死は両極ではなく、そう違いはないと知ったし、生き物の寂しさを一緒に感じたわけだから、生への喜びが相殺されていたのね。どうせ余り変わりないんだから生への喜びが無意味に感じたの。生死の教会なんて、極めて不確実で曖昧なのね。
Q 「そういう気分」って?
A 生きることと死ぬことは両極でないと言う事よ。
Q 「視覚は〜働く」って?
A 真っ暗で足下が見えなくなっておぼつかない状態になったという事よ。神経だけがとぎすまされて、色々な思いが深まっていったのよ。
Q この二行って何?
A 第一章と対応しているのよ。
「二、三年で出なければ大丈夫」=「脊椎カリエスになるだけは助かった」
とか、「三週間以上、できれば五週間」=「三週間いてここを去った」
とかよ。
Q なんで三週間なの?
A やっぱり退屈なのね。でも、死と生は紙一重と分かっていても助かったのはうれしく、カリエスになりたくないと思っているから3週間も居たのね。ここの行は「あるがまま」が生への執着だという根拠よ。
Q まとめると、この小説って何?
A 直ちゃんが、後養生のため一人、城の崎を訪れ、そこでハチの死骸を見て死に対する親しみや静かさを感じ、ネズミの動騒を見て、静寂の前の恐怖を感じながらも、あるがままに生きようと思い、最後にイモリを殺そうと思わずに殺して、偶然に支配される生き物の寂しさを感じたのよね。そこで生と死は両極ではないと思った訳よ。ただ、周りから眺めるだけなら静かな死も、死の前の動そうを恐れながらもあるがままに生きようと感じ、イモリの死で死の本質を見たんだよね。
Q 文体的な特徴は?
A 印象深くするために、緻密に書いている所ね。
Q 今日はありがとう。やっぱり直ちゃんはすごいや。
A そうね。Q夫も、直ちゃんみたいになれるといいね。
Q ようし、小説の王様になるぞ!
Q&A それでは、まったね〜。完
志賀直哉氏『城の崎にて』
第一,大正6年
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