道徳

ProjectE日本語非フレーム版→学校教育コース→新時代学習コース→道徳
このページの目次
今の日本人と道徳
道徳とは
これまでの道徳
資料
発問
討論
ロールプレイ
なぜ道徳が必要なのか
教育勅語
これからの道徳
参考ホームページその他
英語版へ
子供用へ

今の日本人と道徳 ページの先頭へ

公徳心が基本  戦後の道徳教育は、自由を重んじてきました。自由であるには、自分で判断する必要があります。その判断基準「道徳」を教えずに、ここまで来たことが、今の日本人の公徳心など、他人を思いやる心の欠如の原因となるのではないでしょうか?

道徳とは ページの先頭へ

 道徳とは、自分を見つめ、他人のことを考えることで、様々な行為の基礎の部分を形成する授業です。「自分」を主体に何をすべきかを判断できる判断力、自己責任の意識を養う事を最終目的とします。

これまでの道徳 ページの先頭へ

 今までの道徳は、価値観を子供に教えるものでした。中には価値観の押し付けといっても良い場合もありました。そのため、子供は受身になり、発展が見られにくくなってしまったのです。

資料 ページの先頭へ

 最終的には、自分で現実の場面毎に「これをしてはよいことなのか?」「これはするべきことなのか?」などの判断をできるようにならなければならないのですが、道徳の授業では、それを深めるための先生の発問が重要です。
 発達段階を考慮した上で、例えば小学生では「あなたが障害者だったら?」のような非現実的な質問では、判断力の形成に役立たないことがあるので、「この行為に賛成?」などにしたり、中学生には、感情移入をさせるなどの工夫や、意見が出ない場合の補助発問などが重要です。これは、先生自身の問題になります。

討論 ページの先頭へ

  討論を行うことは、日本人は一般として苦手としています。しかし、自分の意見を異なった考えを持つ人がいるということを知り、その人と意見を交わすことで、自分の考えを深めることができます。その際に、同じ意見の人の中で考える時間や、考えが変わったら席を変えるようにするなどをして、議論を活発化することが大切です。

ロールプレイ ページの先頭へ

 ロールプレイとは、ある場面を想定して、自分ならば何を言うのかを考え、実際に演じると言う事です。ロールプレイの中での対話によって、子供達が何を考えているのかを知り、先生が、発問をする助けにしたり、子供達同士での理解を高めることができます。その際に、消極的な人が多いとロールプレイの成立が難しくなります。その意味付けを生徒にはっきりと示すことと、学級運営がロールプレイ成功の要因でしょう。

なぜ道徳が必要なのか ページの先頭へ

思いやりを持とう!  例えば、最近、特に若者の間に増えている考え方に、「他人に迷惑をかけなければ何をしてもよい」というものがあります。その考えで生活をする人を通称「自己中」と言います。彼らは、公衆の面前であくびをする、電車の中で化粧をする...などをして、それを注意しても、「誰に迷惑をかけているの?」と聞くのです。確かに、誰かに直接的な危害を加えているわけではないでしょう。しかし、このような人は、本当の意味での道徳を学んでいないと言えます。
 つまり、公共の場で個を優先することは、マナー違反だという当然のことが学べていないわけです。人間は、生きる際に、何らかの形で他人に迷惑をかけたり、協力をしてもらっています。それを否定するならば、文明を否定しなければいけません。文明を否定しても、自分がここに存在するためには、両親が必要なことから分かるように、人間が人間である限り他人の世話にならなければいけないのです。そう、「人に迷惑をかけない」のではなく、「人のためになる」ことをしないと、永久に赤字なのです。

教育勅語 ページの先頭へ

 戦前の日本の道徳(修身)の前提となった物は教育勅語でした。内容は、2つの側面に分かれます。要約をすると、一つ目は子は親孝行をし、兄弟、姉妹はたがいに協力して助け合い、夫婦は仲良くして、友達をお互いに信じあい、言葉をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、勉強をまじめにして、職業に専念し、教養を身につけ、人格を磨き、さらに、公益のために役立ち、また法律や、秩序を守るという今にも通じる道徳的側面です。二つ目は一度戦争になったら天皇のために命をささげ、天皇に忠義をつくそうという軍国主義的な側面です。この二つを分離して、一つ目はすばらしいから教育勅語を復活しようという意見があります。しかし、一つ目の考えの基本は目上を尊敬しようという孝で、二つ目の考え方はそのまま忠です。天皇を家長とする社会を前提とした上で、それぞれが孝を尽くすことが、結果的には忠を尽くす、つまり天皇に命をささげる事となるというように、2つの側面は切っても切れない関係を持っているのです。ですから、教育勅語の復活よりも、一つ目の意味を道徳の中で考えてみるということのほうが重要ではないのでしょうか。

これからの道徳ー提案に代えて ページの先頭へ

 道徳において、先生の意見や他人の意見を聞くという吸収の側面と、自分で考えて、それを発表、行動するという放出の側面は、お互いに補完し合います。その中で、現実の場面で行動できるかが問題です。例えば、バスで座っていると、お年寄りが乗りこんだとします。その場面で、実際に席を譲れるかという事が重要になるわけです。教室で納得することを目的とするのではないのです。そのためには、先生の体験を話すなど、心の琴線に触れる授業が必要になります。
 例えば、伝記を資料にするとすれば、今の生徒の多くは、退屈に思うでしょう。そこで、今のテレビで行われている先人の一生を扱った番組の形式を準用するのはどうでしょうか。つまり、その人の一生を先生が「語り」、その局面局面で、先生が発問し、生徒の間や生徒と先生とで討論をします。最後に、生徒が感想を書きます。これは、語る場面を、VTRに置きかえたとすれば例の番組とほぼ同じ構成になり、退屈することなしに共感できるのではないでしょうか?
 そして、実際にその現実行動に特化した授業も大切になります。アメリカで煙草を吸うのを進められたときに、それを断わるテクニックなどを教えるライフスキルというものがありますが、そのような授業を日本でも取り入れることを検討してはどうでしょうか。
 人間生活の基本を教えることは、確かに他の授業やホームルームなどでできるのではないかと考えるかもしれません。そうです、道徳は、道徳の時間だけで教えるものではありません。ただ、道徳の時間があるということは、その時間に少しでも心を触れ合う経験をしてほしいという親心だと思い、活用するべきでしょう。道徳というものが失われかけている現在こそ、その意味を、1時間真剣に考えると言う意味で、授業としての道徳が必要でしょう。


参考ホームページ、その他

日本道徳基礎教育学会様 「日本道徳基礎教育学会」
<http://wwwsoc.nacsis.ac.jp/jpafe/>

2001 (2001年3月)

暁教育図書様 「道徳ホットライン・21世紀の座標」
暁教育図書
<http://www.akatsuki.co.jp/dt1/dtindex.htm>

2001 (2001年3月)

リンク集に登録済大江浩光様 「道徳自作コーナー」
道徳自作資料の部屋
<http://www.synapse.ne.jp/~ooe/jisakusiryou2.htm>

2001 (2001年3月)

リンク集に登録済橋 鍵彌様 「道徳の授業」
江戸川学園取手中・高等学校
<http://www.e-t.ed.jp/edotori72/>

2001 (2001年3月)

リンク集に登録済marudo2001様 「道徳教育改革運動 」
<http://www.geocities.co.jp/NeverLand/7745/index.html>

2001 (2001年3月)

リンク集に登録済山田修様 「中学校の道徳教育はおもしろい!」
山田修のホームページ
<http://www.echigo.ne.jp/~oyam-int/moral.html>

2001 (2001年3月)


ProjectE Index日本語非フレーム版いじめへ日本語教育へ検索掲示板

メール 日本語フレーム版 子供用 英語版 上へ戻る 使い方等