基本的な考え方 ページの先頭へ |
教育改革国民会議の最終報告によると、「古典、哲学、歴史などの学習を重視する」そうである。しかし、古典や歴史は、手が出にくい教科であることも事実である。そこで、新しい提案をする。
教育改革国民議会の案とは ページの先頭へ |
「学校は道徳を教えることをためらわない」の中に学校教育で古典、歴史などの学習を重視するとあります。その内の「古典、哲学、学習を重視する」という部分では、曾野綾子さんが第一分科会に提出したレポートに現代国語をなくす代わりに徹底した書き取りと古典教育をという趣旨の事が書かれています。
課題 ページの先頭へ |
古典や歴史は、一般に手が届きにくいことは事実です。特に、最初に歴史を学習する小学6年生や、最初に古典を学習する中学一年生にとってはハードルが高い教科です。
教師・保護者の意見 ページの先頭へ |
全ての存在は永久に続く歴史の連続性の賜物であり、過去の積み重ねが今を生むのであるから、歴史は大切です。古典というのは、今も昔も変わらない考え方や、感情を知る意義があります。古典は、何十年、何百年というふるいにかけられて、それでも生き残る名作、読んで損はありません。古典や歴史は教養です。古典や歴史を知ることは、人間性を豊かなものにする。歴史を知ることは今を知ることです。等の意見があります。そして、それらは事実です。
生徒の意見 ページの先頭へ |
授業が眠いです。現代語の文法を覚えても、何も役に立たなかったのに、昔の文法を覚えても役に立たないのではないでしょうか?結局入試が終わったら知識が役に立たないのです。藤村さんの事件のように、歴史を信じられなくなってしまった。古典は敷居が高い感じがします。などの生徒側の意見も見逃せません。
学校ではどのように実施されているか? ページの先頭へ |
中学校では、社会化全体の授業時数の11分の4を歴史の学習に配分しています。絵や写真を使って親しみやすくしたりもしています。新聞を切り抜いたりしています。歴史新聞を作ったり、歴史施設の見学をします。中学校の古典では、文章を丸暗記して、古典になれさせます。百人一首をして古典への造詣を深めるなど様々な取り組みがされていますが、いまだに歴史や古典への壁が残っています。
提案 ページの先頭へ |
歴史も古典も現代からさかのぼって教えるのはどうでしょうか?
つまり、歴史は石器時代の日本人の生活ではなく、森首相就任、それがあまりにも現代に近ければ小渕首相の就任、できれば2001年度予算案の様な、「新聞をにぎあわせている」事、「自分と関連する」事から始めます。
何も政治史の必要はありません。
導入には、遊戯王のカードやレーザーポインタ、親の仕事を調べるなど、実生活に関わる、興味深い事から始めます。そして、「現代の生活」へ、「石器時代の生活」から、どう移行していったのかを現代から石器時代へとベクトルを向けて考えるのです。
古典も同じです。まず、現代の、身近な小説家、作家の作品から始めます。あくまでも例ですがバトルロワイヤル、それが過激ならば、マンガの原作でも、赤川次郎作品でもかまいません。そこから、井上ひさし作品である、吉里吉里人のような旧カナの作品、太宰治氏、明治の文豪、江戸の脚本、御伽草子...とどんどんと過去の作品へとさかのぼるわけです。
新聞を10年ごとの誕生日の1面を見るのも面白いかもしれません。1970年くらいまでなら多分わかるでしょうが、1940年くらいになると、かなり難しくなると思います。つまり、「自分が読みたい本」から始め、「万葉仮名」からどのように移行していったのかを現代から万葉集へとベクトルを向けて考えるのです。
この方法の利点は「なぜ」を最大限に用いることと、自分に関心のあることを重視することです。例えば、現代史ならば
なぜ、森首相が登場したの?それは小渕首相が倒れたからです。
なぜ小渕首相が倒れたの?それは政権をめぐって激務をこなしたからです。
なぜ、これまで政権が不安定になったの?55年体制が崩壊したからです。....
などと、なぜを重視して教えることができます。そして、自分に関心のあることからはじめることも大きなメリットです。自分の今読んでいる本からはじめることで、古典への垣根を取り払うことができます。このような現代からさかのぼるという方法をとることで、古典、歴史をより良く教えることができるものと考えます。
歴史はめぐります。昔の人と今生きる人で共有している感性があります。問題は、今生きている私達が、その先人の知恵から、どのようにして、私達にあてはめて、自分の知恵を創造するか、そう、どう未来を創るかです。
参考ホームページ、その他 |