少年法改正 ページの先頭へ |
平成12年、11月28日に成立した「少年法等の一部を改正する法律」によって、少年法が改正されました。キーワードは厳罰主義と被害者への配慮、制度の適正化です。
少年法の趣旨 ページの先頭へ |
少年法は、少年の健全な育成の為に、大人とは違う配慮をしようとできました。いわゆる保護主義というもので、実際に法を犯した少年を、更正させるためには、原因を明らかにし、原因を直すことで子供を立ち直らせようというものです。
少年とは ページの先頭へ |
少年法第2条によると、20歳に満たない人を言います。少年犯罪、非行の多くは、その回りの環境が原因で起こります。「非行は家庭の窓」、「少年は社会の鏡」という言葉に象徴されるように、ストレスフルな社会のひずみが少年の犯罪という形で現れるのです。つまり、犯罪少年、非行少年の多くは「病気」なのです。
本当に増えている?少年犯罪 ページの先頭へ |
少年犯罪は、犯罪白書によると、平成11年は、前年比8.8%減の20万1、826人となっています。例えば戦後第3のピークといわれる昭和58年には、検挙者31万人、平成9年には27万人であり、増加傾向にあるとは言えません。
少年犯罪への2つの視点 ページの先頭へ |
少年犯罪へは、少年法成立時からある「加害少年への配慮」という視点で少年法は対処してきました。しかし、少年の凶悪な犯罪と、「少年のプライバシーを守るため」という理由からの報道拒否、そして、被害者の家族さえもが、誰が被害者を傷つけ、どのような審判があり、結果どうなったのかを知ることができないという現状に「被害者への配慮」という新たな視点が加わりました。これは、基本的には加害少年への配慮とは逆行します。
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では、ここまでの2つの視点を踏まえ、3つのキーワードを見てみましょう。
1.厳罰主義
まず少年法20条2項では、刑事処分ができる年齢が16歳だったものが14歳に引き下げられました。これは、いままでは、14歳の少年が人を殺しても、少年院へ送致されたのが、この改正で、大人と同じ、刑事処分を受けることができるようになったということです。それだけではありません。16歳以上の少年が故意に被害者を殺したときは、保護処分が適当だと見られる事例以外は全て検察官へ逆送、つまり、大人のように地方裁判所などの法廷で裁かれることになります。その他にも、刑期の上限が伸びるなど、厳罰を与えることで、少年法を逆手に取り、「20歳までは、大丈夫」という犯罪を抑制し、自分の行ったことの重大性を自覚させようというねらいがあります。
しかし、少年法は、甘い法律なのでしょうか?例えば、喧嘩で全治2週間の怪我を負わせたなどという犯罪の場合、20歳以上で初犯であれば、ほとんど、刑務所に入ることはないでしょう。例えば、執行猶予がついたり、罰金刑だったりするわけです。しかし、少年が、暴走族グループに入りかけ起こしたなどとなれば、もしかすると、少年院に送致されるかもしれません。「おこしたこと」を重視する現行刑法に対して、少年法は「少年の内面」を重視するので、その根を絶つためには、刑法よりも重いかもしれない処分を下すこともあります。
自分の罪の重大性は、刑期の長さでは計れません。14歳は、中学生です。義務教育途中の子供の責任は子供自身の責任だけではなく、学校、親、社会の責任が大きく関わっています。少年の病理を解明し、自分の力で立ち直らせる旧少年法の理念のほうがこの点では、意味があるように思われます。
2.事実認定の適正化
適正化と言いきれるかは分かりませんが、まず、検察官が関与できるようになります。そして、3人の裁判官が合議できるようになります。検察官が出るときは、必ず附添人が必要となります。
つまり、事実を認定する際に、今までは家裁と高裁で認定が異なったりしたわけです。それでは困るので、検察官にきちんと事実を認定してもらうことができるようにしたわけですが、検察官がいて、裁判官がいて、附添人がいる。これって、まさに刑事法廷です。いくら附添人がいるからといっても、少年と検察官では、今までの経験も、表現力も違います。少年は誘導尋問に引っかかりやすいでしょう。このように、検察官が関与しても、事実認定が真実に近づくとは限らず、逆に真実から遠ざけることもあるでしょう。このように、保護主義と逆行する検察官の関与を保護主義のままで導入した所に矛盾が生じたわけです。
3.被害者への配慮
被害者から事件に関する意見を聴取するようになり、家庭裁判所から、被害者等へ、少年審判の結果が通知されるようになりました。そして、被害者等が、審判中、そして審判確定以降も、あるの範囲で非行の事実に係る記録を見たりコピーできるようになりました。今まで忘れられてきた被害者への配慮が加わったことは大切なことです。
非行少年 ページの先頭へ |
非行少年は必ず社会へ戻ってきます。非行少年は、死刑になりません。いつか必ず元の社会に戻ってきます。その時、地域は、被害者はどう対応するのでしょうか?
確かに、少年犯罪の被害者に、向かって、犯罪者を無条件で許せということは少なくとも私達にはできません。激しい憤り、いや、言葉では言い尽くせない気持ちは、被害者感情として当然のことです。しかし、厳罰を課しても、中身が伴わなければ何もなりません。
彼が帰ってきたときに気持ちよく迎えられるようにしなければならないのです。実名報道や、顔写真の公開などで、少年は、帰ってきたときに非常に帰りづらくなるかもしれません。帰ってきたときに違和感が大きければストレスにもなります。
そうです、犯した罪よりその病理を解明し、問題を解決することで、少年を社会に戻すしか方法はないのです。
犯罪を犯す少年は、成長過程で「冬」を味わっています。人間にを信頼した、された思い出が概して少ないと言われています。犯罪などの極端な事に走らせない教育の上で少年が、様々な形で成長する事を寛容できるような社会が必要なのではないでしょうか?
提案 ページの先頭へ |
まず、少年は、可塑性があるということを第一に考え、次に被害者のことを考えるしかないと思います。例えば、麻薬を無理やり打たれた人が犯罪を犯しても、その人を罪に問えますか?つまり、被害者の気持ちはわかるものの、被告少年は、家庭や社会を原因とするひずみによって犯罪を犯した面が大きいので、それを直すことを第一に考えなければならないのです。
ただし、だからといって、被害者をなおざりにするのではなく、例えば書面による質問権などを少年法に明文化するべきです。そして、最も重要なことは、親の責任を拡大することです。今の少年法では、訓戒、指導その他の適当な措置を親に取れるのですが、それだけではなく、まず、賠償責任を、50%以上親が負担し、次に、犯罪の程度に応じて、牢獄ではなく、子供への接し方などを学ぶ教室などで講習を受けたり、ボランティア活動など、自分で責任の取り方を明示させる必要があると思います。子供は責任を取るのではなく、病気であるとして治療します。この視点での少年法改正が必要だと思います。
参考ホームページ、その他 |
稲葉振一郎
「なぜ人を殺してはいけないの? 」
稲葉振一郎のホームページ
<http://www.e.okayama-u.ac.jp/~sinaba/kawade.htm>
1998 (2000年12月)
中国放送
「少年犯罪の心理」
中国放送
<http://www.rcc.net/comitia/theme13/result13a.htm>
2001(2001年3月)
SAMUSHI
「なぜ殺人がいけないか」
テツガクのページ
<http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/4075/000622.html>
2001(2001年3月)
宮本裕
「人を殺すことはなぜいけないのか」
宮本裕 の頁
<http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/ikenaikorosi.htm>
2000 (2000年12月)
阿部 涼子
「なぜ人を殺してはいけないか」
雑感
<http://www.pluto.dti.ne.jp/~ryoko-a/10602.html>
2001(2000年12月)
S_HIDEO様
「なぜ人を殺してはいけないのか」
volatile2
<http://ueno.cool.ne.jp/hideo/text/zakkan/zakkan.htm#000219>
2000 (2000年12月)
法律家ゴマ
「少年法を学ぶ」
法律家ゴマのホームページ
<http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1612/syounen/syounen.htm>
2001 (2001年3月)
RUKA
「少年法の改正は必要か?」
斬鉄剣の部屋
<http://plaza6.mbn.or.jp/~kazuhisa/koramu11.html>
2000 (2000年12月)
佐々木浩二
「少年法の理念と少年審判」
罪と罰
<http://www.jcps.ab.psiweb.com/essay02.htm>
2001(2001年3月)
Nobu
「少年法のページ」
Nobu's Home Page
<http://nbhr.hoops.livedoor.com/syounenhou-top.htm>
2001(2001年3月)
JB
「よくわかる少年法改正」
司法試験受験生の部屋
<http://barexam.tripod.co.jp/shounen.htm>
2000 (2000年12月)
毛利甚八作、魚戸おさむ画『家栽の人』
小学館,1988