ミノアの歴史
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ミノアの歴史



初期青銅器時代
旧宮殿時代
新宮殿時代


初期青銅器時代

クレタ島の住民は、そもそも、東方や南方からの渡来者であった。
その人々がこの頃、果樹栽培海上貿易を行い始め文明が起こった。
最初に、貿易のための港町(→パライカストロ)が栄えた。そこに入ってきたオリエントから様々な文明を学び、ミノア文明は発達した。
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旧宮殿時代

前2000年頃から前1700年頃までをこう呼ぶ。
この頃になると、島の中部の平野地域に人が住み始めた。それに伴って生産も増加し、クノッソスファイストスマリアなどの数々の大宮殿が造られた。
それらの宮殿は前1700年頃の地震によって崩壊するが、すぐに建て直された。
壁画が発達し、多彩のカマレス陶器が生産された時代である。
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新宮殿時代

前1700年頃から、前1400年頃。上記の地震後の新宮殿再建により、ミノア文明は新宮殿時代に入る。
この時代に、クノッソス王が全島を統一する。これによりミノア文明は最盛期を迎え、貿易活動も広がる。

しかし前15世紀前半頃、ギリシア地方の民族がクノッソスを征服。この民族は線状文字Bと呼ばれる文字を残した。

その後もミノア文明は海上貿易によって栄えたが、前15世紀に隣のサントリーニ島を襲った大噴火と、それに伴う大地震と火災の影響もあり、前14世紀以降は衰えていく。

そしてついに前11世紀初め、ドーリス人の侵入によって滅びた
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