平安時代の役所は原則として大内裏(だいだいり)の中にありました。この他にも大内裏の東側に役所がありました。官人の多くは朝早くに出勤し、日没までに帰宅していました。上達部(かんだちめ)といった上級貴族は牛車で通っていましたが、それ以下は馬か徒歩でした。

官人の出勤日を上日、
宿直を十夜(とおや)といい、休日も決められていました。官人には月にだいたい二十日以上の上日と数日の十夜が課せられていました。実務官僚(官人)は毎日規則正しいスケジュールを送っていましたが、参議以上の上達部は政務の他に夜の政(まつりごと)と呼ばれた儀式に加え饗宴もあり、不規則な生活でした。

こうして上達部から下級の官人に至るまで勤務状況が重視され、給与や勤務評定の基準とされたのです。当時は物忌み(ものいみ)、方違え(かたたがえ)に代表される禁忌の日もあったので、二十日以上の出勤な辛い面もあったと思われますが、逆にずる休みをする不届き者もいたようです。