友禅染

友禅の染織史 以前は『友禅染』は宮崎友禅斎によって創られたとされていたが、今日では、宮崎友禅は扇絵師であり、デザイナーであったといわれている。友禅が描いた扇は当時の伊達男たちに人気だった。そして、このデザインを小袖に取り入れた賢いデザイナーがいたとされていて、友禅ブランド小袖ができたとされておる。

友禅の技法特徴
『糸目』と呼ばれる糊防染による糸描きと模様を彩る多彩な染め色、特にこの染め色が従来の浸染によるものではなく、塗り染めである点である。 染料を布地に直接塗ることは、合成染料を用いる現代でこそ何の造作もないことだが、天然染料によって直接染料を刷毛で塗り染めして、美しく色を定着させることは画期的なできごとである。友禅ではこれを『色挿し』といっている。



縞模様ヘの変革

室町時代の中頃、今日の和服の原形である『小袖』が一枚の表着として誕生してから様々な工夫により、絞りや刺繍の技術発達するが、『天和の禁制』により手暇のかかる絞りや刺繍ができなくなり、その網の目をくぐって工夫され登場してきたのが『染』による模様表現であった。 さらに、十八世紀頃南蛮船によって運ばれてきたインド更紗によって日本における多彩 な染模様が大きく影響を及ぼしているといわれている。
当時のインド更紗と友禅を比べるとなんの共通 性も見いだせない。木綿と絹、蝋と糊。もっとも違いがあったものは模様で、小袖の模様を絞りと刺繍等でしていた人たちにとって、インド更紗の鮮やかな染模様は大きな驚きだったに違いない。特に絵を描くように染め出す。防染模様染の技法や塗り染の技法は、従来の日本の染模様の本流に欠けている要素だった。この時から多色の染め色、自由な色挿しによる絵画的な染模様の表現の試みははじまり、いろいろな形ではじめられたのではないかといわれる。
数少ない当時のインド更紗の影響だと思われるのをしることができる資料は、当時のファッションブックだけで、それには鋸状の模様が裾や袖口に描かれている。鋸状の模様はインドから東南アジア、特にインドネシアに向けて輸出したインド更紗にある。
友禅は、インド更紗からインドのカラム(鉄ペン)による細い蝋描きの線と友禅における『糸目』と呼ばれる細い糊置きの線。色挿しの発想。伏せ蝋と伏せ糊。原材料は違うが、そこに共通 の模様を染め出す過程をみいだせたら、インド更紗は友禅に影響をおよぼしたにちがいない。

 

 

絞り

友禅染め

天然染料の種類