カンパネルラ 【宗教】 午后の授業 家 ケンタウル祭の夜 銀河ステーション
北十字とプリオシン海岸 鳥を捕る人 ジョバンニの切符
この物語の副主人公。優しい心を持つ、大人びた少年。ザネリを助けようとして川に飛び込むが、溺れてしまう。ジョバンニとは幼い頃からの親友である。近頃は他の友達との手前、ジョバンニとあまり話す機会が無い。母親を亡くしている。旅が始まる時からお母さんのことを気にかけ、幸について考えている。彼は初めから旅の意味に気づいている。彼の名前は、17世紀のイタリアで反宗教改革の受難を生き抜いたカンパネッラに由来している。
カンパネルラの名はイタリアの17世紀の社会思想家トマソ・カンパネラにちなんだものと考えるのが最も自然であろう。カンパネラの『太陽の都』は、トマス・モアの『ユートピア』と並び、理想社会を論じた傑作といわれ、農業中心の共産制や労働への尊敬、教育の機会均等などを主張している。しかし少年の名カンパネルラの出所は今の所これだけには限定できない。キリスト教の雰囲気の色濃さを考えればcampanella(カンパネラ、教会のそばに立つか鐘塔、または鐘のこと。リストの同名のピアノ練習曲は有名)なども候補に挙げられるからである。またcamanula(カンパニュラ、風鈴草や釣鐘草等のキキョウ科の科名。釣鐘草は詩[オホーツク挽歌]にも登場)も考えられるかもしれない。
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じゅうじか[十字架] 【宗教】 北十字とプリオシン海岸 鳥を捕る人
白鳥の停車場やサウザンクロスの2つの停車場の近くには白い十字架が立っている。物語の停車場は北の十字架である白鳥の停車場から始まり、南の十字架にあたるサウザンクロスで終わっている。双方の星座は天の川の中にかかっており、星座の近くには暗黒星雲がある。ちなみに、町の中にも十字路が多数出てくる。また、鳥取りが差し出す鷺は北の十字架のように光っていた。
(北十字 ・ 鷺 ・ 白鳥の停車場 ・ 南十字)
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ジョバンニ 【宗教】午后の授業 活版所 家 ケンタウル祭の夜 天気輪の柱
銀河ステーション 北十字とプリオシン海岸 鳥を捕る人 ジョバンニの切符
この物語の主人公。病弱な母を気遣い、生活を背負っている。新聞配達や活版所での仕事に精を出す。カムパネルラとは親友であり、幼い頃はよく遊んでいた。近頃は仕事がつらく、カムパネルラともあまり話せないでいる。他の生徒に思ったことを言えない事が多い。父、母、姉、自身の四人家族。父はカムパネルラの父との古くからの知り合い。北の方へ漁に出ていると言われている。生徒からは父のことで冷やかされている。
旅の後半から自分自身の心情やさいわいについて考え込むことが多くなる。
彼の名前は、聖書の黙示録で知られるヨハネのイタリア名に由来している。ヨーロッパ諸国ではもっともポピュラーな洗礼名である。
十字架や賛美歌、神をめぐる議論、ハレルヤの唱和、ラッパの声、神々しい白いきものの人など、銀河鉄道をめぐる天上界は美しいキリスト教的イメージに彩られており、それが「ヨハネ黙示録」の新天地の幻想的な描写(童話[銀河鉄道の夜]に鳴り響く、ドヴォルザークの「新世界交響曲」の影響元でもあるが)と深く結びついていることを考えると、迫害によりパトモス島に流され、その地で黙示的幻想を見てこの書を記したとされる使徒ヨハネが、賢治のジョバンニ命名の念頭にあったと考えることができよう。また、聖ジョバンニ(マルタ)騎士団や、フィレンツェやアミアンの守護神が洗礼者ヨハネであり、6月24日は聖ヨハネの祝日(誕生日)として各地で盛大な祭ヶ催され、ケンタウル祭(銀河の祭)も夏至の祭と交錯することを考え合わせると、ジョバンニ命名には洗礼者ヨハネが念頭にあったとも考えられる。賢治はキリスト教にも強い関心があり、斎藤宗次郎の強い影響を受けたことが知られている。(参考:宮澤賢治語彙辞典351,352p)
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バイブル[バイブル] 【宗教】 北十字とプリオシン海岸
キリスト教系の経典。聖書のこと。祈るときに黒いバイブルを胸にあてる旅人達がいた。
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ハルレヤ 【宗教】 銀河ステーション ジョバンニの切符
十字架に向かって旅人たちが口にする言葉。神をたたえる言葉。ハレルヤではなく、ハルレヤである点に注意。賢治は一度ハレルヤと書いたが、それを消してハルレヤと書き直している。
ハレルヤ:ヘブライ語で「主をたたえよ」の意。ヘンデルのオラトリオ「メサイヤ」の中の「ハレルヤ・コーラス」が有名。(参考:宮澤賢治語彙辞典575p)
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りんご[苹果]
【賢治の思い出】【宗教の世界】【食べ物】 天気輪の柱 ジョバン二の切符
ジョバンニは汽車の旅人達がむいて食べているように思う。車内では、黄金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を、青年達がやってきた後、燈台看守がくばっていた。むかれたきれいな苹果の皮は、くるくるコルク抜きのような形になって床へ落ちるまでの間にすうっと、灰いろに光って蒸発してしまう。また、頬がほんのりと赤くなった様子をあらわすのにも用いられる。
賢治の作品の中では、天体と苹果を結び付けて考え、銀河系の形状(太い凸レンズ)を苹果のイメージと重ね合わせることも多くある。
日本の明治期の西洋リンゴはエキゾチックな、神秘的な新種であった。これには西洋のリンゴにまつわる神話や伝説の数々、わけても旧約聖書「創世記」のアダムとイヴの知恵の木の実として伝えられた、知識教養の面からの影響も手伝っていたと思われる。リンゴを知恵や愛、不死や豊麗のシンボルと考えてきたヨーロッパ古来の伝承に通じ、それは「世界」を意味したキリスト教の絵画や彫刻(マリアやマリアに抱かれたキリストがリンゴを手にしたのがよくある)のイメージにも通じる。賢治の作品には、新鮮な苹果の味覚の表現も多く、それにもまして匂いの表現が多い。(参考:宮澤賢治語彙辞典742p)
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