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10*民族問題 ■ 民族問題の例を見てみましょう。 先ほども書きましたように、一つの国家の中に複数の民族が存在しているような国家の中では、民族の対立が起こってしまうことが良くあります。 ソ連という大きな連邦政府がありましたね。第二次世界大戦終了後、アメリカなどの資本主義経済の国々と、社会主義のソ連などの国々が静かに対立した冷戦時代。それが終着を見せたのは、ソ連のなかで民族的な対立や、一民族に一つの国家をという考え方、「民族自決」の動きが高まったことと、東側のヨーロッパ諸国のでは民主化が急速に広まったことで、ソ連が実質崩壊したことがあったからでした。 超大国であったソ連の力が、その中に抱えた数々の民族の対立や独立運動などで崩壊させられるに至ってしまった、民族問題の影響力の大きさを知ることが出来る一つの出来事でしょう。 ソ連が崩壊した後も、民族の対立は続きました。旧ユーゴスラビアの問題もその一つで、様々な民族が一国家の中に暮らしあっていたユーゴスラビアが、ソ連が崩壊し冷戦が終結してしまうと、ボスニア・ヘルツェゴビナでは正教徒(キリスト教の中での細かな分類です)であるセルビアの人々、イスラム教徒だったモスレムの人々、カトリック教徒(これもキリスト教のうちの一つです)のクロアチアの人々が激しく対立しました。 ソ連によって押さえられていた民族的な対立が復活し、この3つの民族の間で内戦が勃発しました。当時はユーゴスラビアの複雑な民族構成を表す言葉として、一つの国家、二つの文字、三つの宗教、四つの言語、五つの民族…といったような紹介もされていたほどです。 現在では国際連合の機関の介入もあり、それぞれの民族がそれぞれに国家を作って、ユーゴスラビアもソ連と同じように実質は崩壊してしまいました。古い時代から対立を続けてきた民族同士の間では、とくに宗教的な対立が目立ちますが、こうした民族問題を解決していくのはとても大変なことなのです。 |