フロイトの生涯2

フロイトはユダヤ人でした。

フロイトが生まれた当時、オーストリアではまだ「ユダヤ人迫害」が禁止されたばかりで、 まだまだ何をするにも許可がいったり、「よそ者」扱いされる事がたびたびありました。 そしてユダヤ人であった事が、フロイトの人生に大きく関わってきます。

ユダヤ人であったため、嫌な思いをする事もたびたびありました。
例えば、フロイトは電車に乗っていて、 窓を開けようとしたら「見下げたユダヤ野郎!」とはきすてるように言われました。
このことは相当ショックだったらしく、フロイトはその後『汽車恐怖症』になってしまいました。 また、フロイトが父から聞いた話しで、ある日父親が歩道を歩いていると、 キリスト教徒にぶつかられ、帽子を橋の下のぬかるみに投げられました。
「それでどうしたの?」とフロイトが聞くと、何も抵抗せずに帽子を拾って帰った、と言われました。 フロイトは父の行動に対してショックを受けたそうです。 これら以外にもさまざまな差別やショックを受け、フロイトは「いつか見返してやる」という気持ちになったそうです。

そしてフロイトにとって憧れのヒーローはハンニバルになりました。
ハンニバルの父親はハンニバルに、ローマ人への復讐を誓わせました。
父の復讐に燃えるハンニバルが、フロイトにとっては、ユダヤ人がカトリック社会にはむかうようなものと重なって見えたそうです。

フロイトが成長するにつれて、ユダヤ人迫害はますます強くなりました。
そのため、彼は長期にわたって、ウィ−ン大学医学部の講師として働いていましたが、ずっと教授にはなれませんでした。最終的に、フロイトの患者が絵画を文部大臣に献上したので、
フロイトはやっと教授になれたのでした。