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@ 古典音楽
古典音楽とは、現在の沖縄県が「琉球王国」だった頃に生まれた音楽であり、三線の伝来によって確立された。(三線の伝来のさらに前から独自の音楽はあったらしいが、詳しいことは分かっていない。)
まず、この古典音楽を説明するには琉球王国がどういう王国であったかを知る必要があるだろう。琉球王国は15〜19世紀に沖縄にあった王国で、その名の通り、王によって支配される「王制国家」であった。15世紀頃には、琉球王国は明や東南アジア、そして日本を結ぶ中継貿易で多大な利益を得ていた。
しかし、1609年、島津家久の侵攻に屈服し、今までの明からの支配に加え、日本からも支配されるという二重支配を受けることになった。これにより、琉球王国は独自の身分制・税制などを持ちながら明と日本(薩摩藩)の支配を受けるという特殊な国家となった。その後、19世紀後半に、日本の明治政府の廃藩置県後に、琉球王国を無理やり「沖縄県」とした。こうして、琉球王国は日本の一部となったのだ。
さて、琉球王国の簡単な解説が終わったところで古典音楽の話に戻る。琉球王国が「王国」であることから想像できるように、古典音楽は宮廷で演奏される音楽であった。基本的には「三線を弾きながら歌う」というスタイルで、三線の他には、「太鼓」や「胡弓」が演奏に加わる事も多かったという。他の、日本の宮廷音楽もそうであったように、曲調としては優雅なものが多い。この頃の楽曲は「工工四(クンクンシイ)」と呼ばれる独自の記譜法で記録され、現在にも伝わっている。
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〜By The Way〜
琉球王国の宮廷音楽では、三味線を中心に、胡弓や太鼓が使われました。それでは、日本の宮廷音楽である「雅楽」ではどのような種類の楽器が使われたのでしょう。
「笙」
竹と金属で作られているリード楽器です。雅楽の代表楽器といえるでしょう。
←笙
「鞨鼓」
両面に牛の皮が張られていて、それを左右から「ばち」で打ちます。鞨鼓は音楽のテンポとリズムを決定するため、全体のリーダー格の奏者が担当しました。
←鞨鼓
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A 民族音楽
古典音楽とは違い、民族音楽は一般の人々の生活から生まれ、伝わってきた音楽のことである。ちなみに、明治時代以降、レコードなどによって発達した大衆音楽とは区別する。民族音楽の特色は、信仰儀礼の場や日常生活で歌われる歌であったということだ。
例えば、雨乞いや人生儀礼、豊作祈願の時などに歌われたり、毎日の農作業や家事などの合間に歌われたりした。他にも、大衆音楽にも見られるような恋愛の歌などもたくさん存在する。これらは、元々は楽器を使わないで歌われた簡素なものだったが、明治時代以降旋律が統一されたり、三線にあわせて歌うようになったりとスタイルが変化して現在に至る。
一般の人に伝わる「民族音楽」が沖縄民謡として伝えられている。

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B 大衆音楽
大衆音楽は、いわゆる「ポピュラーミュージック」に沖縄音楽的な要素を取り入れるという試みで生まれた新しい沖縄音楽である。「新民謡」「オキナワン・ポップス」などとも呼ばれている。現代の人が「沖縄音楽」と聞くとまずこの大衆音楽を思い描くだろう。
沖縄大衆音楽は、「移民小唄」「十九の春」など沖縄島民の歴史を感じることが出来る詩が含まれている曲が流行したことがその始まりだった。これらの楽曲はいち早くギターやヴァイオリンなどの西洋楽器を取り入れたことで注目を集めた。また、現在(2003年)日本ではこの「オキナワン・ポップス」が流行しつつあり、夏川りみの「涙そうそう」やTHE BOOMの「島唄」などのビッグ・ヒットが目立つようになってきた。これから、沖縄の大衆音楽がどうなってゆくのかとても楽しみである。
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