イラク戦争


きっかけ

毎日のように聞く「イラク戦争」という言葉。では、どうしてイラク戦争が起きたのでしょうか。背景はとても複雑です。
きっかけはもちろん1つではありません。いろいろなことが積み重なってあのような結果になったのです。
それは宗教の問題(イスラム教対キリスト教)だったり、イラクが「大量破壊兵器」を持っているとかいないとか。国連はイラク問題について平和的に解決しようとしていましたが、 米英が「イラクは信用できない」とのことで安保理で決議をとらないまま開戦してしまいました。

略年表

2001.9.11 同時多発テロ発生。世界貿易センタービルなどが被害をうける。
2001.10.7 米英軍アフガニスタン空爆(くうばく)開始。
2002.10.15 フセインイラク大統領の信任を問う国民投票実施。続投決定。
2002.10.23 対イラク攻撃に関する決議案を米英共同で安保理に提出。
2002.12.7 イラクが大量破壊兵器開発に関する申告書を国連査察本部に提出。
2003.1.18 世界30カ国を越える地域でイラク攻撃反対の集会が開かれる。
2003.3.3 米英軍、イラク南部「飛行禁止区域」バスラ空爆。民間人6人死亡。
2003.3.17 フセイン大統領と息子に48時間以内の亡命を要求。拒否すれば開戦を宣言。
小泉首相、米英単独の攻撃支持を表明。
2003.3.18 フセイン大統領亡命を拒否。オーストラリア首相、対イラク参戦を閣議決定する。
2003.3.19 米英軍、未明にイラク爆撃を開始。
2003.4.9 米政府、バグダット抑圧、フセイン政権崩壊を発表する。
2003.5.1 ブッシュ大統領戦闘終結宣言をする。
2003.5.15 有事関連法案、衆議院本会議で可決される。
2003.5.22 安保理が米英西提案の対イラク経済制裁解除決議1483採択。14カ国賛成。
2003.5.24 日米首脳会談が開かれる。小泉首相自衛隊派遣に意欲を示す。
2003.6.6 参議院本会議で有事関連3法案を可決成立。
2003.7.22 米軍、フセイン元大統領の長男ウダイ氏と次男クサイ氏の殺害確認を発表。
2003.7.26 イラク復興支援特別措置法、参院本会議で採決し賛成多数で可決成立。
2003.10.15 日本政府、イラク復興に04年度約1650億円無償資金協力を発表。
2003.11.29 ティクリート(ティクリット)付近を車で移動中の奥参事官と井ノ上3等書記官が襲われ死亡。
2003.12.9 小泉内閣、自衛隊派遣の基本計画を閣議決定。
2003.12.14 米軍、フセイン元大統領をティクリート(ティクリット)で生存したまま拘束に成功。
2003.12.19 小泉首相、空自先遣隊に派遣命令。
2004.1.16 陸上自衛隊先遣隊約30人が成田空港を出発。
2004.1.31 自衛隊派遣承認案与党の賛成多数で衆議院通過。

イラク戦争については自衛隊派遣問題などの署名活動などが、高校生の間でも行われています。イラク問題に興味がある方はそのような活動に参加してみてもいいと思います。
これからもこの問題はとぎれることなく、報道されると思います。このページもそれと共に更新を続けたいと思います。
参考文献→爆弾はいらない 子どもたちに明日を
 戦争トップに戻る トップに戻る 貧困トップに進む