明治時代 1900年
〜義和団事件〜

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太和殿の左にある香炉。
義和団事変の際に連合軍兵士が金メッキを削り取った生々しい跡が残ります。
1898〜1899年、ドイツ、ロシア、イギリス、フランスが次々に清の領土を借り受け、港や軍事基地を設けました。このころ清では、日本に学んで立憲政治を実現しようとする改革の動きが起こりましたが、保守派の反撃で失敗しました。
外国勢力が最も多く侵略していた山東(シャントン)省で、義和団を中心に外国人排斥運動が起こり、1900年には北京(ペキン)や天津(テンチン)で、鉄道の駅やキリスト教会が襲われました。そこで日英米仏独露など8カ国の連合軍が出兵してしずめ、北京を占領しました。そして清国の軍事力を弱め、治外法権の地域を広げ、外国領土のようにする要求をし、さらに多額の賠償金を請求しながら、関税などの重要財源を差し押さえました。列国の中国分割は激しくなりました。