中国を統一した元は高麗に続いて日本も従えようと使者を送ってきました。しかし八代執権北条時宗がこれを拒否したため、1274年、元・高麗合わせて3万5千あまりの軍勢で日本へ攻めて来ました。日本軍は元軍の集団戦法と火薬の使用によって苦戦しましたが、たまたま起こった暴風雨によって元軍は大損害を受け敗退しました。