百人一首とは
■百人一首

百人一首は、鎌倉時代、京都の小倉山に住んでいた歌人の藤原定家が、百人の人の最も代表的な和歌を一首ずつ選んだものです。

天智天皇から順徳院までの、約600 年間の代表的な歌人の秀歌が、年代順に配列されています。それらの百首は、すべて「古今集」「新古今集」など十の勅撰和歌集から選ばれたものです。(2番の持統天皇と4番の山部赤人の歌は、藤原定家が「新古今集」から選びましたが、その原歌は「万葉集」です。 )
恋文だよ

百首のうち、恋の歌が四十三首もあり、季節では秋の歌が十六首で一番多く選ばれています。なお、百人のうち女性歌人は二十一人、僧侶は十五人です。

■歴史

貝合わせ平安時代の「貝合わせ」が、かるたのルーツといえます。二枚貝をふたつに分けて片方をさがすゲームです。やがて、貝に歌や絵を書いて遊ぶようになりました。

また、百人一首が、「かるた」として遊び始められたのは、戦国時代からでした。はじめは、宮中とか諸大名の大奥等(奥さんたちの集まる所)で行われ、それが年間行事となりました。

なかなか庶民の触れられないものでしたが、江戸時代に入り、木版画の技術に伴って「国民必須の学問の教本!」といわれるようになりました。そして、「民用小倉百人一首」等々が出版され元禄時代から一般庶民の間にも広がりました。お正月の良き団欒として各家庭でも行われるようになったのは、ずっと後の安政のころからだといわれています。