1番
出典:「後撰集」より
あきの かりほのいほとまをあらみ             わが衣手ころもでつゆにぬれつつ
天智天皇てんじてんのう

■口語訳

秋の田のほとりにつくった仮小屋に泊まって、刈り取った稲の番をしていると、 小屋の屋根をふいたり、小屋の周りを囲んだりしている苫の目があらいので、その隙間から忍びこむ冷たい夜露に、 私の着ている着物の袖は、しっとりとぬれていくことだなあ。
とま・・・スゲ・アシなどをあんですくったむしろ。 家の周りをこれで覆った。

■作られたワケ

旅から戻ったある日、天皇は秋の草花の咲く御所の庭を歩いていました。そこで 花にかかった夜露を見て「この夜露は農民たちをもつめたくぬらしているのだろう。つらいだろうな・・・。」 と思いこの歌を作ったそうです。

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■作者プロフィール

天智天皇(626〜671)
中大兄皇子と呼ばれた皇太子時代、中臣(藤原)鎌足と共に「大化の改新」を行いました。 その後、都を近江(今の滋賀県)の大津に移し即位しました。日本ではじめて水時計を作らせた ことでも有名です。


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