24番
出典:「古今集」より
このたびは ぬさもとりあへず
手向山
たむけやま
紅葉
もみじ
の
錦
にしき
神
かみ
のまにまに
菅家
かんけ
■口語訳
今度の旅は急な出発だったので、ぬさを用意する ひまもありませんでした。手向山の神さま、とりあえずこの美しい紅葉をぬさとしてお供え します。どうかお心のままにお受け取りください。
※ぬさ・・・「幣」と書き、神に祈るためのささげ物。布や紙でつくらていた。
■作られたワケ
898年秋、道真が宇多上皇のお供して吉野へ行く途中のこと。 供の一人が、道祖神にお供えするものを忘れてきてしまいました。「これは困った!道真、どうし よう」「はい。じゃあ私が歌を捧げましょう。」こうしてこのの歌が作られたそうです。
■作者プロフィール
菅家(845〜903)
菅家は、菅原道真を尊敬したよび方です。道真は平安時代初期の学者。 宇多天皇に信頼され、右大臣になりましたが、左大臣藤原時平たちの告げ口で、 大宰府(福岡県)に流され、そこで死にました。