正解!!! 答えは、「ア」なんだよ。 奥羽地方での戦争で負けた安東家の武士たちが、おおぜいで北海道に逃げ込んできた1454年から 2年後、安東家の家来たちとアイヌ人との間で大きな戦争が起きました。 そして、日本の武士たちはその戦争に大負けして、一時本州に追い返される寸前にまでなりました。 その戦いを「コマシャインの戦争」といいます。(コマシャインはアイヌの総大将の名) 戦争ならば、両方の言い分を聞いてはじめて「どちらにどんな正義があったか」公平な判断を 下すこともできるでしょう。ところが、アイヌの人々は、文字を知らなかったので、その戦争の 記録を書き残していません。そこで、和人側の記録だけをもとにするより他ないのですが、 それでも、この戦争の時はアイヌの人々の方に理があったといえそうです。 日本側の記録をもとにすると、事件は1456年の夏、函館に近いシノリ村の鍛冶屋(かじや)と アイヌの青年との喧嘩(けんか)がもとになって始まりました。 奥尻島の擦文文化では、すでに製鉄の技術をもっていましたのですが、アイヌ人は和人の政策により、 自分で鉄を作る方法を知りませんでした。それでも、鉄の便利なことはよく知っていて、 和人その他の民族との交易によって鉄を入手していたのです。 ところが、北海道に住みついた安東家の家来たちは「武器になるような刃物」をアイヌ人に渡さないように とても警戒したようです。 ススム |