鎌倉時代が終わって室町時代になると、安東家の勢力は衰えはじめた。 安東家の人々同士の内紛は早くから起きていましたが、1400年ころになると、奥羽地方に勢力を もっていた「もう一つの大名=南部(なんぶ)家」と争うようになり、その戦争に決定的に負ける ようにもなってきたのです。 安東家の人々が戦争で負けたとき、その人々の中には「最後に逃げのびることのできるところ」が ありました。えぞ地=北海道です。そこで、1430年ころになると、安東家の人々は、ときどき北海道に 逃げのびるようになったようです。 「戦争に負けて北海道に逃げ込んだ」といっても、「体制をととのえて、また奥羽地方に攻め返す」 ためでした。じっさい、安東家の軍勢は何度も奥羽地方に上陸作戦を実施しました。 そして、1456年には、安東家の人々は、本拠を秋田に建て直すのに成功しました。 しかし、その家来だった人々の中には、そのまま北海道に住みついた人もいました。 それでは、アイヌ人の天下だった北海道に入り込んで住みついた日本の人々は、その地で平和に 暮らすことができたでしょうか。 じつは、北海道に逃げ込んだ安東家の人々は、その機会に北海道を支配するつもりでもあった のです。そのため、アイヌの人々から厳しい反発をかうようになったとしても不思議ではありません。 ススム |